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”お赤飯”

私はお赤飯が大好きなのです。ですから何かにつけて赤飯を炊いていました。
例えば小さな喜びの時でも、その事を内緒にして嬉しさを赤飯で表現したものですが、
この頃子供達と食事をする機会が増えてからは、子供の意見が優先になり「赤飯却下」なのです。
しかし、今回はどうしてもお祝いしたい事があり、秘かにもち米を用意しておきました。

誕生日を迎えました。この誕生日は運勢上でも大変な意味があるのです。
現実には、姉が亡くなった歳と同じになりました。私は当時の姉よりも元気です。これはとって有難い事なのです。

子供達と孫が誕生祝いをして、私を喜ばせてくれました。Photo
現状では、何も悩みのない穏やかな誕生日を皆で楽しみました。

あくる日、昼食に3合の赤飯を炊き、先ごろ甥っ子から送られた”串本の干物”を焼いて、秘かに一人で舌鼓を打ちました。
お米2合:1合のもち米に小豆0.5カップの量です。この目安の赤飯が美味しいのです。
残りの赤飯は、ボツボツ毎日頂くのです。満足な誕生日でした。Photo_2

暫らくして、今度は子供達にお返しの夕飯を招待した。
ワイワイガヤガヤとお店も、私達のテーブルも賑やかな時間を過ごした。
この様な幸せな時間を持てる事は、本当に神様に感謝です。

出て来るご馳走を眺めながら、今日と言う同じ日が「二度と来ない」のだと思うと、大変感慨深かった。Photo_3

次は5年後、もしも私が元気で存命ならば、生徒を一堂にして「お別れの誕生会」を催そう。

その年は「宿命百占学」を披露目してから、満25年になる。

側で家族が集う賑やかな話題からそれて、私は自分の世界に入りその様な事を計画立てていた。

食事が済んで、外に出たらとても涼しく気抜けがした。
「昼間のあの暑さは何だった?」

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真夏の贈り物!

「叔母さん、今魚屋に来たら美味しそうな開きがあるから少し送ります。住所メールして下さい」
和歌山県串本町に住む、甥っ子のお嫁さんからメールが入る。

翌日、新鮮な開き類が届いた。Photo
鯵・ふぐ・カマス・それに鯵の味醂干と、沢山の干物が入っていた。
「わあーッ」嬉しくて歓声を上げた。

これで、お昼の焼き魚の心配はいらない。

Photo_2 Photo_3 お昼は必ず焼き魚が欲しい。

そして夕飯には必ず一品お刺身を付ける。

これが我が家の食事メニューの定番である。

関西育ちの私は、スーパーに行ってお魚を選ぶのが大変である。好き嫌いが多い。
焼き魚では、子持ししゃも・鮭の辛口・鮎・新物のサンマだけ買う。
それでいて、お昼は煮魚か焼き魚がないと食事はすすまない。
 
夏の初めにサンマの新物を見つけ買った。一匹450円だった。それから少しして、渋谷東急の駅ビルの魚屋さんで、一匹1200円というサンマを見つけた。
買うか、どうしょうか暫らく悩んで諦めた。
1200円のサンマの味を知りたくて買おうと思ったが、みんなの分を買ったら相当高い物になる。
「同じだったら、お肉の方が良かったのに」と、きっとブーイングが来る。
しかし、心残りはある。確かに新鮮な艶というものがあった。

あのサンマの姿が、そこのお店に立つと頭に焼き付いている。
今は、一匹200円足らずでお店に並んでいる。もう、そうなったら魅力がない。

それよりも”南紀の冬の名物”サンマの丸干しが待たれる。

欲・得には興味がないが、食欲に対する気持ちは旺盛である。
明日の夜は、夏シャブを食べに行く約束をしている。そこでもやはり、お刺身が出る。

お魚を食べない日は一日とてない。

私の心の乾きを見抜いて「干物」を送ってくれた若い夫婦に心から感謝する。
「真夏の最高の贈り物です。ありがとう!」

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熱い?夜!

「うちの番組の再放送です。もし、時間がありましたらみて下さい!」
最近知り合った人から、ファックスが送られてきた。

BSの番組をみたことがない。転居して凡そ3年きちんとテレビがセット出来ていない。
この頃、朝の7時前後からNHKのニュースをみる。その後は、夜の10時頃の報道ステーションを日常みる位である。
ワイワイ云って娘にテレビをセットして完全に見られる体制に整えてもらった。
何一つするにも子供達を当てにして、自分でやろうとしない状態が出来上がっている。

{BS エンターティメント 歌伝説 
岸洋子・テレサテン・ちあきなおみ・ザ・ピーナッツ・青江三奈の世界}

8月6日~14日までの間で、午後7時45分から、90分間の5日間に渡る放送時間である。
仕事をセーブしながら、計画を立ててその時間帯に合わせた。
テレビの前に陣とって、まるで舞台を観る感じで熱心に聞き入った。

テレサ・テンは可憐だった。
まだ、何処か可愛さの残る大人であった。
「マミーね、昔テレサ・テンに似てるって云われた事があるんだ!」
孫にいったら、
「ふーん、どこが?」と云って、疑いの目を向けている。
「本当だよ!あんたもその孫なのだから喜びな」
あきれて声も出ないという感じだった。
「私も、42,3才で死んでいたらもっと惜しまれたかもね。そしてテレサ・テンに何処か似てたよねって言われてさ。少し長生きしすぎて醜くなったから、”バカが何を云っている”位にしか解って貰えないのだね」

「解りました。わかりました。信用します」
孫が逃げて行った。
何処が似ていると思われたのか、よくよく観察するとわかった。
悔しいかな、少しタレ目の感じが似ているのである。口に出すのでなかった。

そんなことよりも、以前何処かのチャンネルで「テレサ・テン物語」をみた。しかし、歌番組としては遥かにこちらの方が上だった。

9日:ちあきなおみの世界
聞き惚れて、瞬きをするのも勿体無いくらいテレビに見入った。
”喝采””紅とんぼ”等待ってましたと言う気持ち。
こんなに素晴らしい番組は知らない!と思う。今まで見たどの歌番組よりもとても重量感があった。もう、酔いしれた。

大満足して、次の13日:ザ・ピーナッツの世界。
殆んどが白黒の世界、家のテレビが壊れたのかと勘違いするほど画面が悪かった。
白黒はやはりみずらい。歌を聴くのであっても画面も必要である。音が割れるのでこれは勿体無いが…。

14日:青江三奈の世界。
次々と、夜毎真面目に観るものだから、娘が”すいか”をソーッと差し入れしてくれた。
ちあきなおみの世界の時は、口に入れる余裕がなかったけれど、その夜は違った。
すいかをほおばり、ゆっくり聴くことが出来た。食べ終わるとソーッと廊下に器を出して置く。
「お母さんも食べたよ!」クスクス笑う、そんな声が隣でする。

この青江三奈さんは真面目な歌い方をする人だった。言葉の最後まできちんと発するのである。
昔、カラオケを習った時、「最後のところは、はっきり云わない!」と云われた。
その様な事を思い出しながら聴いていると、ちあきさんはその様な歌い方をした。
しかし青江さんは、はっきりと違った。
何か歌う流儀と言うものがあるのだろうか?誰かに又聞いてみたくなった。

歌を聴き終えると、私の宿命の勉強が始まる。相棒との相性を見たり、運勢の流れをみる。成功者というのは、特に歌の世界では小さい時からの努力が大変である。環境も大切である。色んな事をおもいながら、蒸し暑い夏の夜を今聴いた歌の余韻を大切にしてその人を紐解く。

BSの歌伝説にめぐりあえて、私は燃えた。
”喝采”が世に出た時、私は夫を亡くした翌年だった。テープを掛け掃除機を使いながらこの歌を覚えていた。泣きながら、掃除機の音でごまかしつつ…。この歌を聴くとその当時の自分の姿が蘇る。
”紅とんぼ”は、東京に来て水商売に身を任せつつ…。やめる時を狙っていた。
そんな懐かしい思い出が「歌」に沁みている。

横浜・伊勢崎町には、青江三奈さんのモニュメントが建っているという。
涼しくなったらそこに行こう。

先の楽しみまでが出来た「歌伝説」の夏の夜でした。

「こんな素敵な番組を教えて頂いてありがとう!これからのさらなるご活躍も祈っています」

テレビの横にある仏壇から、お線香の香がソーッと顔を撫でた。
「今夜はあなたも一緒に、聴きましたか?」

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"目と気”

人間の中には、不思議な力を持つ人がいる。
普通の人には見えないが、その人が嗅ぎ付ける「気」というものがある。
インターネットで私を見つけたと言う人が「東急セミナー」に入った。
私の何かをいたく気に入ってくれた様子。何かを感じさせるものがあったのだろう。

「”火の玉”の話で共感しました。私は病院のベットで、隣のおばあさんが泡を吹くのをはっきりと見ました。しかし、誰にもそれが見えなかったらしいです。その人は、間もなく亡くなりました」
その話を聞いて、私自身が驚いた。

「私ね、自分が泡を吹く夢を長い間みて苦しんでいました。何で泡を吹くのだろう…と夢の中で考えていましたが、分からなかったです。しかし、何処か身体が悪いに違いないと思っていました。身体から毒を出しているのだと考えてましたが、どうしょうもなくそのままでしたが、今年になって、ある事をきっかけに体調が物凄く変わり、元気になるとその泡を吹く夢で苦しむことが無くなったのです。泡と言うけれど、ぶくぶく、ぶくぶくと止めどなく口から出る感じで苦しい思いをする上に、妙な匂いがするのを感じるのです。何かは分からないけれど健康体でないという事だけはわかっていました。貴女のお話を聞いて納得した感じです」
そんな紹介からその人は、机を並べて勉強する事になった。

そして、私を目の前にした時にその人の「気」に感じたものは、ベージュとお猿さんだったそうで、次に見えた時
「これ、私が第一印象で感じたものです。」Photo
と云って、鞄に引っ付けて足早に帰っていった。

「お見事です!」

私の性格はナチュラルなのです。私の言葉は脚色がないのです。
Saru

そして「申年生まれ」ではありませんが、宿命的に申が一番影響しているのです。

活気ある人が入ってくれて、教室の中が一変した。同色ばかりで勉強をしていると感じない事がある。他の生徒達の勉強の為にも、「違い」と言うものが判断しやすくなった。

それにしてもインターネットという世界は、無限の力があるものだ。
襟を正し道しるべとして、さらなる努力を積み重ねようと胸に誓った。

「中庸の精神」に、恥じない様に!

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ことの他、暑い夏!

東京も平年に比べて、12日遅い梅雨明け宣言が一昨日あった。
いよいよ夏本番を向え、うっとうしい気持ちから開放されるはずだった!

しかし、今年は今までにない憂鬱な梅雨時の気持ちが続くのである。
隣の元銀行の解体作業が6月の中旬から始まり、毎日朝から、解体事業の騒音と地響き。この前の「新潟地震」の時には、判断が狂った。

Photo_12 Photo_13 6/19:建物の周囲に囲いが設けられ、屋上へクレーン車で吊り上げられた重機が備えられます。 

6/25:屋上に二台の重機が載りました。どうやら、最上階の建物だけが先に壊されるようです。Photo_14 

Photo_15 6/27:屋上の6階部分がすっかり解体されると、二台の重機が再びクレーン車に吊られ地面に下ろされました。
今度は、地面から解体が進められるようです。

まず画面右側の5階部分から下に進みます。
時々、マンションの玄関で写真を撮っていると、工事現場の人たちが怪訝そうに見返して来るので、少し自重します。

しかし、楽しいので見ていたい心境です。

地面から本格的に解体作業が進みだすと、玄関を開けただけで埃臭さが鼻につきます。
今は季節柄、南風が吹くので良いですが、北風が吹く時期だったら大変です。
夕方工事が終わってから、携帯を持ち出して作業の進み具合を眺めます。
何にでも色んな方法があるらしく、素人が考えているのと違うので驚きますが、解体もそれなり順番があるようです。

Photo_16 7/25:作業始から一月が過ぎました。夕方眺める工事現場の解体も随分と進み、今まで見えなかった目黒通りのビルの裏側が顔を出しました。
玄関から見える風景が、すっかり変わってしまいました。

昼間の賑やかさと共存している時、お不動さんのお祭りがあるとの事で、散歩を兼ねて夜祭に家族で出かけた。
今の”ヨーヨー”のカラフルな事。 Photo_17

009_2 境内は広く沢山の夜店が出ていたが、昔ほど人が無くまばらである。
活気とか、お祭り特有の雑踏の賑わいが味わえないので、大きな大人がつるんで歩いている方が目立つ。
気にしながらも境内に入るとお参りしてしまう。閉じかかった寺院の山門をくぐり参拝をした。
しかし、夜の寺院参拝は、疲れがどっと押し寄せる。

汗だくで家に戻り、和歌山の甥っ子達から送られて来た”ジュース”で乾杯!
  朝、やはりだるい感じで目を覚ます。今日は、解体作業もお休みで一息つける。

8/3:現在、解体作業は少しだけを残し、地面には沢山の土が山積みされている。

次は、何が建設されるのか楽しみであるが、今のところ未定との事。
土地買収が思う様に進まないのだろう!
今日も、この辺の土地の急騰の広告が新聞の折込に入っていた。

暑い日が続いて、さらに喧しい昼間の作業にうんざりしながらパソコンを打っているとイライラする。だから手を止めて、昼寝をする。どうだろう!ぐっすり寝入っている。
何かが可笑しい?と思いながらも、騒音も地響きも寝むる時には関係がないのだと自分に言い聞かせる。私の頭も鈍ったのかも知れない。
「良く、この喧しさで昼寝ができるね!」と家族は笑う。
もう少しの辛抱である。暑さもこの騒々しい解体作業も。

Photo_19 甥っ子や知人から送ってもらった、瑞々しい岡山産の”マスカット”を口にしながら、
「暑い夏だからこそ、この美味しさが味わえる」と妙な関心をして、暑さに対抗する。

今年の8月は私にとって、意味深い”夏”である。

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