「うちの番組の再放送です。もし、時間がありましたらみて下さい!」
最近知り合った人から、ファックスが送られてきた。
BSの番組をみたことがない。転居して凡そ3年きちんとテレビがセット出来ていない。
この頃、朝の7時前後からNHKのニュースをみる。その後は、夜の10時頃の報道ステーションを日常みる位である。
ワイワイ云って娘にテレビをセットして完全に見られる体制に整えてもらった。
何一つするにも子供達を当てにして、自分でやろうとしない状態が出来上がっている。
{BS エンターティメント 歌伝説
岸洋子・テレサテン・ちあきなおみ・ザ・ピーナッツ・青江三奈の世界}
8月6日~14日までの間で、午後7時45分から、90分間の5日間に渡る放送時間である。
仕事をセーブしながら、計画を立ててその時間帯に合わせた。
テレビの前に陣とって、まるで舞台を観る感じで熱心に聞き入った。
テレサ・テンは可憐だった。
まだ、何処か可愛さの残る大人であった。
「マミーね、昔テレサ・テンに似てるって云われた事があるんだ!」
孫にいったら、
「ふーん、どこが?」と云って、疑いの目を向けている。
「本当だよ!あんたもその孫なのだから喜びな」
あきれて声も出ないという感じだった。
「私も、42,3才で死んでいたらもっと惜しまれたかもね。そしてテレサ・テンに何処か似てたよねって言われてさ。少し長生きしすぎて醜くなったから、”バカが何を云っている”位にしか解って貰えないのだね」
「解りました。わかりました。信用します」
孫が逃げて行った。
何処が似ていると思われたのか、よくよく観察するとわかった。
悔しいかな、少しタレ目の感じが似ているのである。口に出すのでなかった。
そんなことよりも、以前何処かのチャンネルで「テレサ・テン物語」をみた。しかし、歌番組としては遥かにこちらの方が上だった。
9日:ちあきなおみの世界
聞き惚れて、瞬きをするのも勿体無いくらいテレビに見入った。
”喝采””紅とんぼ”等待ってましたと言う気持ち。
こんなに素晴らしい番組は知らない!と思う。今まで見たどの歌番組よりもとても重量感があった。もう、酔いしれた。
大満足して、次の13日:ザ・ピーナッツの世界。
殆んどが白黒の世界、家のテレビが壊れたのかと勘違いするほど画面が悪かった。
白黒はやはりみずらい。歌を聴くのであっても画面も必要である。音が割れるのでこれは勿体無いが…。
14日:青江三奈の世界。
次々と、夜毎真面目に観るものだから、娘が”すいか”をソーッと差し入れしてくれた。
ちあきなおみの世界の時は、口に入れる余裕がなかったけれど、その夜は違った。
すいかをほおばり、ゆっくり聴くことが出来た。食べ終わるとソーッと廊下に器を出して置く。
「お母さんも食べたよ!」クスクス笑う、そんな声が隣でする。
この青江三奈さんは真面目な歌い方をする人だった。言葉の最後まできちんと発するのである。
昔、カラオケを習った時、「最後のところは、はっきり云わない!」と云われた。
その様な事を思い出しながら聴いていると、ちあきさんはその様な歌い方をした。
しかし青江さんは、はっきりと違った。
何か歌う流儀と言うものがあるのだろうか?誰かに又聞いてみたくなった。
歌を聴き終えると、私の宿命の勉強が始まる。相棒との相性を見たり、運勢の流れをみる。成功者というのは、特に歌の世界では小さい時からの努力が大変である。環境も大切である。色んな事をおもいながら、蒸し暑い夏の夜を今聴いた歌の余韻を大切にしてその人を紐解く。
BSの歌伝説にめぐりあえて、私は燃えた。
”喝采”が世に出た時、私は夫を亡くした翌年だった。テープを掛け掃除機を使いながらこの歌を覚えていた。泣きながら、掃除機の音でごまかしつつ…。この歌を聴くとその当時の自分の姿が蘇る。
”紅とんぼ”は、東京に来て水商売に身を任せつつ…。やめる時を狙っていた。
そんな懐かしい思い出が「歌」に沁みている。
横浜・伊勢崎町には、青江三奈さんのモニュメントが建っているという。
涼しくなったらそこに行こう。
先の楽しみまでが出来た「歌伝説」の夏の夜でした。
「こんな素敵な番組を教えて頂いてありがとう!これからのさらなるご活躍も祈っています」
テレビの横にある仏壇から、お線香の香がソーッと顔を撫でた。
「今夜はあなたも一緒に、聴きましたか?」
最近のコメント