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”まだお前は、来るなよ!”

郷里へ帰る日が近づいて来たが、どうも荷物が纏まらないし気持ちも今一…。
しかし、自分なりのスケジュールは出来ていた。
夫の墓参り、翌日は姉の墓参り、時間があれば那智の妙法山の阿弥陀寺へ連れて行って貰おう…と。

夢を見た。
身体の調子が悪くて私は横になり、側で姉がいて二人で雑談していた。
そこへ父と母の姿が窓越しに見えた。
「さあ、行こう!那智山へお参りに」
母が大きな声でそう姉を誘った。
「私も連れてって!連れてくれなきゃ自殺するッ」
大きな声で叫んだ。
父と母が頭をつき合わせてコソコソと話をしていた。
「まだ、お前は来るなよ!」
父は私に向って一言そういったかと思うと、先頭に立ち、母、姉を引き連れて暗闇に消えた。その歩き方は、三人とも同じでリズムに乗ったものだった。
「エッさ、エッさ」と言う感じで、身体をゆすりあの世の人?が見せる特有の歩き方だった。

何とも言えない気分で目を覚ますと、頭はガンガンしていた。

今見た夢を辿り、父と母について同じリズムで歩く姉の姿を思い出しながら、すっかりあの世に馴染んだ姉を見たような気がした。
きっと成仏して「私の事は、もう悲しまないで頂戴」と言ってる様に思った。

父が亡くなって3年余り、はっきり夢に出て声まで聞いた。
幼い時から父の一言が思慮深さをもって私を導き、成長させた。今回もきっと何かを教えたのだろう…。
懐かしさと羨ましさが混じった夢だった。

私も、これが最後のお墓参りになるかも知れない様な気がする。

お昼過ぎ友達の電話で目が覚めた。
「帰って来るんだって、スケジュールは?」
「それなりに決まっているの。会いたいけれど時間が上手く取れなくて、ごめんね!」
「本宮へおいで、送り迎えするから…。お姉さんがいる時だったら悪いから遠慮したけれど、今は遠慮なく誘うわ」

しかし、兄貴に義理もある。
どうしたものかと考えている時に、今朝見た夢を思い出した。
父の言いたかった事が、直感した。

「解った、お言葉に甘えて貴女に従うから、宜しく!」
その言葉を伝え、那智の妙法山へお参りするのを辞めた。

昔、父が悩む私に言った。
「先祖は生きている者を苛めたりはしない。だから、お前は何も気にするな!」
私が夫を亡くして間もなく、ある霊能者の処に行って聞かされた事を伝えた。
「お父ちゃん、私の右肩に父方の祖母がついていて、左の方には母方の祖母がいて両方とも悲しんでいるんだって。それは貴女が可哀想なのでなく、貴女の嘆く姿を見ている我が息子と、娘の苦しみが可哀想に思って私に縋っているんだって…。それ、本当?お父ちゃん私の事で悲しんでいるの?」

「先祖は、生きている者を苛めたりはしない!」
それっきり、私は夫の幻を追っかけて、霊能者に会う事を辞めた。

霊能者の一言も一理あると思う。
しかし、何時までもそう言う事にばかり振り回されていては前が見えなくなる。
父の一言には、もっと大きな意味がある。

今回の夢の言葉で、私は吹っ切れたことがある。

気分爽快になって出かけ、故郷で幼な友達とひと時を過ごそう!

早くも宅急便は東京を離れ”ふるさと”に向かっている。

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”説明書”

日曜日、渋谷へ携帯電話を買い替えに息子を誘って出かけた。

渋谷は日曜日とあって大変な人の波。
ハチ公前のスクランブル交差点をもみくちゃにされながら渡り、センター街も雑踏の中を通り抜けて、目的のお店に行く。

何も今月、無理して買い換えなくても良いように思うけれど、聞くところによると10月の末で機種が高くなるという事。
「これが、我が人生最後の携帯だ!」
なんて、殊勝な事をいいながら…。

写真が綺麗に撮れて、軽いもの。今回は赤を辞めて地味な感じの物を選んだ。
手始めに夕食場所の「串助」と、表のスペイン通りをカメラに収めた…。

夜、息子に
「使い方、教えて!」
「説明書を読みなさい!」
「面倒だから、嫌だ!教えて…」
「あのね、説明書だと思うから面倒に感じるのです。あんたの好きな小説家が書いた”恋愛小説”だと思って読むと楽しいよ」
「嫌だ、簡単に教えてよ!」
「じゃ、松本清張の”推理小説”と思って問題を解いて行くと興味が沸いて、もっと先を知りたくなるよ。説明書というのはそういう感じで親しみを持たないと駄目だよ!」

何時もの息子と感じが違うな?と思っていたら、彼の仕事は説明書関係を扱う仕事だった。
道理でな!理屈はわからないでも無いが、あの厚い説明本を読む気がしない。

郷里へ帰る時に、電車の中でぶっつけ本番でマスターする事にした。

最初テストした渋谷の風景も撮れてなかった。
Photo

仕方無しに”ドコモダケ”を撮って見たけれど「320万画素」になっても私の腕ではさほど代わり映えしない感じがする。

こう云うのを「宝の持ち腐れ」と言うのだね!

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九州のお土産

パパのライブと、祖父のお見舞いを無事に済ませた孫達が戻ってきた。
彼方此方で歓迎を受けたらしく、沢山のお土産を下げて来た。

風月銘菓

Photo_9 Photo_10

{博多の銘菓「雪うさぎ」。純白で可愛い「雪うさぎ」は、お子様の人気者。 博多に伝わる「うさぎ」の民話をもとに創られた。ふわふわのマシュマロの中は、美味しい黄味あんがたっぷりです。ホワイトうさぎとピンクうさぎは、いつも仲良しです。}

”博多通りもん”

Photo_11 博多西洋和菓子、世界お菓子コンテスト受賞のもの。
「モンドセレクション」金賞受賞で、博多に伝わる和菓子の伝統に、バターを初めとして西洋和菓子の素材を取り入れて製造しているのだそうだ!
「通りもん」の由来は、
オランダ語の休日「ゾンターク」がなまって「どんたく」という博多弁になり、
「西洋休日」という意味で、この日ばかりは、博多の街は大賑わい。
飾りをつけた台を引き、着飾ったり、三味線を弾き笛、太鼓を鳴らして街を練り歩く、
この行列を「通りもん」という。昔の博多のほのぼのとした、そして懐かしい心に残る祭りとして現在に受け継がれている。そういうところから、このお菓子の名前がつけられた。

”にわか煎餅”

ちなみにこれは、娘が買ってきたものです。

Photo_12 東雲堂
{二○加煎餅本店は明治39年に創業。
以来郷土博多を代表する菓子の一つとしてお茶の間を賑わし、全国津々浦々博多二○加のお面で親しまれております。里帰りのお土産に家族団欒の憩いの時に二○加煎餅を御賞味下さい。}

”秋の山”

Photo_13 かごの底に、金平糖が入っています。
可愛いので、暫らく観賞用に仏壇に供えています。

”肥後 花あそび”

Photo_14 材料を厳選し、小豆本来の味を余すところ無く引き出し、余分なものは一切加えないと言う菓子職人「立山 学」氏、一生一品の作。
これは、珍しいもので美味しかったですね!

”繊月”

Photo_15 熊本人吉で生まれた、焼酎です。

”肥後の切れ味”

Photo_16 熊本の和菓子
”ところ変われば、品変わる”といいますが、各地の銘菓の豊富さに驚きます。
食欲の秋深まり、益々体型が変化するのを悔やむばかりです。
無理ないですよね!この和菓子の一覧をごらん頂いて…。

来週の”同窓会”が、ただ、ただ案じられます。

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”命日”

のんびりしていたら
「お母さん、お母さん、お昼食べさせて!」
息子が飛び込んできた。
「何、下げているの?」
「今日は命日だね」
「誰の?…。お父さんとお祖母ちゃんの日命日だけど…」
「忘れたの?お父さんのだよ!」Photo_4
「えーっ、忘れてた。日命日だと今朝、思いながらお線香上げたけれど」
「本当に忘れていたんだ!」
「そう、33回忌した時、もう忘れようと決めたの。そしたら気が楽になって、本当に忘れていた」
「もういいよ、これからは俺達がやるから、忘れな!」
「ありがとう。お願いするわ」

「夕飯は来ないからね、F1グループの集まりがあるから」

仏壇に可愛いお饅頭を供えて、がさがさと部屋中を騒がせて出て行った。

静かになった部屋を見回しながら、短い時間であったが息子の慌しさに私は疲れた。

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”静かな日曜日に”

今日はとても気持ちの落ち着いた休みを迎えている。
ネットの原稿にも追われず、授業もなくのんびりと過ごせそうだ!

昨日、孫達はパパの”ライブ”を追っかけて福岡へ行った。
今日は熊本に入り、揃って祖父のお見舞いに行くと言う。
お陰様で、私はのんびりとボーっとしていたら良いのである。

そう云えば、5ヶ月近く掛かった隣のビル解体作業も9月の末で終わった。
ショベルカーの作業を見ながら感心したものである。
人の手を煩わせる事無く見事にコンクリートを剥がし、残った鉄骨を一箇所に纏めていた。実に手馴れたものである。

その出来た更地は今暫らく、時間貸しの駐車場にするという連絡が我がマンションの掲示板に張り出されていた。
「便利になって良かった!」
車で授業に来る生徒や、相談者の事が頭に浮かんでそう思った。

そのお知らせも束の間の喜びであり、身の振り方の問題が大きく圧し掛かって来たのである。一昨日「臨時総会開催」のお知らせが入った。

「やっぱりな!そうなるだろう…」予想が当たった。
期待半分、面倒草さも感じられ複雑な思いである。
①更地 Photo      

②目黒通りが見えた Photo_2

 ③山の手通りPhoto_3

我がマンションの買収問題が起こったのである。

82軒の世帯が、どの様に動くか?

{この先我がマンション独自で立て替えた場合は建蔽率の問題があり、今の広さが確保出来ないという。この買収に応じれば、等価交換になると言う。}

{個人的に考えた場合は、面倒な事だけれど素直に従いたいと思う。反対に、女一人これ以上の物は望めない。そして、古い建物よりも新しい住まいが子供達の手元にバトンタッチ出来るのであれば、もう願う事はありません。}
という気持ちである。

人生最高の年に、このマンションを買った。現在風の改装を施したものである。
人から見たら歳いってからよう買ったと思うかも知れないが、病気ばかりしていた私にはそう云うチャンスは無かったのである。

恐らく来年一年は、家族でワイワイ過ごせるだろう!案外長い時間が掛かると云うから2012年の完成になると踏む。
その頃になると余計引越しもしんどい。猫の産宿みたいに動くのが面倒!だから、其の儘、子供達に譲る事になるかも知れない。

私の頭ではもう青写真が出来ている。青写真で無くこういうのを”捕らぬ狸の皮算用”と呼ぶのかも知れない。
しかし、「臨時総会の目的」内容を読むとそうなっている。

子供達に出席を頼んで、私は留守になる。

子供達の集まらない静かな日曜日が、急に勿体無いような感じがした。
「はよう帰って!」
ご飯作りが一番幸せを感じる。「母」を一生懸命努めている昨今である。

静かな日曜日が、もの思いの時間に費やされる。

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”子宝とは?”

今日は此処で「運命の仕組み」の話を子供に絞って書いてみようと思う。
子供が生まれなくて悩んでいる人、又は、子供の問題で苦しんでいる人がいるとすれば、何かのお役に立つと思う。

結婚して子供の誕生を望むのは、夫婦として当然の気持ちである。
しかし、結婚そのもの”は神様が人間に与えたある種の試練の始まりなのである。
その神様が、神の真意を受け止める能力の弱い若年期に最も重要な人生の伴侶を選ばせるわけです。そこが結婚とは人生最大の賭けであると言われるゆえんです。
その善し悪しの確立は50%なのですが、誰しも良い方に進むことを望んで結婚するのです。その「結婚」は神が与えた試練であるから、その後起こりえる事に対して”神頼み”してはいけないのです。と、いう事も勉強の一部である。

夫婦の相性で”子宝”であるか、そうでないかが決まる。
子宝とは、子供が生まれたとか、どうか等を云うのでなく、元気に誕生して無病息災で成長するのを指す。

昨今は、色々な形で無理に子供を抱く人も多くある。例えば試験管ベイビー、代理母等。
わが子が誕生した瞬間は「この子さえあれば、もう何もいらない。欲を申しません!」
とその時は、神に感謝する。しかし、その感謝の気持ちが、親の子供に対する期待が大きくなるにしたがって徐々に薄らいで行く。
親は「欲」を出すからである。

例えば、結婚しました。
しかし、夫婦の相性が「子供縁の薄い関係です」と、いう結びつきであるとする。
その様な夫婦関係において生まれた子供と両親の間には、融合しにくい霊魂世界を持つ子供が誕生するのです。
その事は、子育てをする時に人並み以上の苦労と努力を要し、必要以上のエネルギーを消耗しなければならないのです。
要するに子供が病気がちであったり、不良化、何かと親が頭を抱える状態に追い込まれやすいのです。
でも自然に従って子供が産まれなかった時は、その夫婦には経済運が特別恵まれたり、名誉、名声が際立ったりするのです。

反対に、子供縁のある夫婦に実際子供が誕生した場合は、運命的に本当の”子宝”となり、子供の成人以降には社会的活躍が抜きん出るようになり、子供を生き甲斐として生活できる夫婦になるのです。
しかし、その夫婦に子供が生まれなかった場合は、生き甲斐を失い、生きる意欲も失われ、夫婦として晩年の人生に悲しみと悩みが広がって行くのです。

神様の恩恵は、全てに公平であり平等に与えられます。しかし、運命的には本人だけに対しての公平であり平等ではないのです。
本人を中心に前後三代を眺めて公平で平等になっているのです。(専門的には、六親法)その場合、自分達は家系の真ん中に位置しているとは限らないのです。

その家系の中に自分のポジションがあり、自分が今何処に位置しているかを考える事も楽しいことです。そして、家系の中で個人個人に課せられたお役目と言うものが存在するのです。

子を持つ親もそうであれば、夫の立場の人も子供の誕生に意義を唱える場合、決して昔の言葉の「産まず女」を非難してはいけないという事である。
妻の立場の人も、子供に恵まれなくとも悲観する事はなく、夫婦の相性がそうさせるのだと気持ちを入れ替え、先の事を考えるべきである。

”子宝”と、いう事一つにしても大変な意味を持つ。

我が家はどうであろうか?
そんな事云わずと知れた事!この親にして、この子供達があると何時も苦笑している。

子供を責める前に、己の心を中庸にして「神様が天から眺めたらどんな判断をするだろう!」
そんな事を考えていたら、腹を立てるのが一歩遅くなる。

家庭の平和は、心の持ち方が大きな要素を占めが「鈍感」な事も救われる場合が多い。

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”なんちゃって?”

先日、F1レースを観戦に行って来た息子が、静岡の一口”茶饅頭”を下げて来た。

「大阪のユニバーサルスタジオへ行ってきました。秋限定の商品だそうです」
中国から授業を受けに来た生徒が、”栗おたべ”をお土産にくれた。

Photo_2
「助けてー!”メタボ”がどうにもならないよ」

心の中で叫びつつ、手をだした。

「美味しかったです。ご馳走様」

「これは、中国のお土産です。”なんちゃって”商品ですが、旅行へ行く時に持って行くと便利ですから…」Photo_3
「ありがとう!今月末に郷里へ帰る時、鞄の中に入れて持ってゆくわ」
「でも、なんちゃってですからね」
Photo_4 「なんちゃってでも、かんちゃってでも私には関係ないの。助かるわ」
大きい手提げ袋が、小さく畳める。

私はブランド品には余り関心がなく、何でも見て気に入ったものでお洒落をする。

どうですか?このなんちゃって商品。

何でも中国にはこの様な偽物が氾濫していると言う。

その様な国で中国語を本格的に勉強し、検定試験を受けると言う。
そして、半年に一度集中して占いの勉強に帰る彼女の熱心さに、教える私も熱が入る。

頑張ってね!

ありがとう。

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”里の秋”

毎日暑くて、秋の訪れは何時だろう…。
そんな事を思いながら汗をぬぐっていたが、故郷の畑に秋はいつもの様に訪れていた!

兄さんからの宅急便が届いた。箱一杯に詰め込まれた秋の実りが、汗をかいていた。

柿・栗・みかん・茗荷・ししとうetc…。お味噌もあった。Photo

畑の幸だけでない、海の匂いも届けられた。

鯵の丸干し、鯵の開きとウルメイワシ等も。

ふんだんな秋の味覚に、兄貴の優しさが沁みる。

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