« ”まだお前は、来るなよ!” | トップページ | ”驚きの雨” »

”炭鉱の町で育った同窓生”

10月の最終日曜日、和歌山県那智勝浦町”ホテル・中の島”で「同窓会」が行われた。
三重県南郡(旧・入鹿村)石原産業紀州鉱業所が最高に繁栄していた頃、その炭鉱の町で私達は小学校、中学校に通っていた。当時の友達が集うのである。

勝浦温泉のホテル・中の島と墓参りが出来るという条件が揃ったので参加する事にした。

前日は台風で彼方此方が荒れ模様だったが、当日の28日は秋晴れの最高の日になった。品川8時過ぎの新幹線に乗る。Photo_2

気がつくと早くも富士山が山頂に雪を頂いてくっきりと顔を出していた。
私が出かける時は、何時も晴れ。午前中大雨が降っていても、東急セミナーへ午後出かける頃は晴れているという感じで。

何も自慢する事は無いけれど、秘かに天候だけには自信がある。

その自信の裏づけが出来るような快晴に恵まれた。Photo_3

名古屋から紀勢本線・南紀3号に乗り換える。

1号車1番A席の希望指定席である。これは、永年郷里へ帰るうちに身につけた知恵。要するに先頭車両で運転席の直ぐ後ろになる。人の行き来が無いから、人に出会わないので気が楽という事から、指定席を取る時に希望を出す。

名古屋から3時間半、特別席で過ごす。
Photo_4

今回乗り合わせた千葉と三島の観光客は「何処まで行っても単線だね…」と感心しているのをよそ事の様に聞きながら、松阪牛のお弁当を注文し、週刊誌を読み、お昼寝をする。

自由時間を少し持て余す頃になると、長いトンネルから抜け出し遠方に熊野灘が目に入ってくる。
そうすると「やっと来た!」懐かしい気持ちになる。

Photo_5 電車の窓がパノラマに変わり、見慣れた七里御浜の海岸線が昔の事を思い起こさせる。
暫らく、勢いよく浜に打ち上げる波を見ながら、望郷の思いを楽しむ…。

Photo_6

電車は進み、新宮市・御手洗の浜を過ぎると、 リアス式海岸の白波が立つ美しい風景と、青い海と空を満喫する事になる。

そうするうちに、列車は終点・勝浦駅に近づく。200710281507001

迎えの友人がいるはずなのに、駅には姿が見えない。
「ナイスッ!」と思って、そのまま友達のみやげ物店へ直行。

話に盛り上がっている時、バックの中で携帯が鳴る音に気がつく。

「何処でいるんだよ!」
「みやげ物店で遊んでいるから、時間になったらホテルへ行きます」

ワイワイ、ガヤガヤ何事かと思ったら、懐かしい男、女友達の顔が目に入る。
同じ電車に名古屋から4、5人乗って来たらしいが、私の姿が見えなかったという話。心配してくれていた様子で、駅近辺のみやげ物店を探してくれていたそうだ。
高校時代の友達、温ちゃんとの話も途中で炭鉱の子達と桟橋へ向う。

「良く、来たなー。遠いところから…」
口下手の男達が最高の賛辞を言って迎えてくれる。
「ちょっとも変わってないね。昔のままのHちゃんや!」
遠慮のない女どもが顔を合わせる。
気兼ねのない印象を、そのまま口にする最初の挨拶である。

Photo_7 こうして”炭鉱の町”で育った私達の同窓会が賑やかに幕を開き、賑やかなまま「再会」を約束して幕を下ろすはずであった。

しかし、それは数時間後に

「出て行けッ、直ぐに出て行って!」と、大声で叫ぶ事態が起こる事は予想もしなかった。
人生でこんなに大きな声を張り上げ、怒声を叫んだのは始めての終わりであろう。
心無い男の色に狂った仕業の為に、叫び過ぎて心臓が止まるかと恐怖に駆られた。

戯れに本命でないと言いつつ他の女性の布団に入り、騒ぐのを側で無視する私の導火線に言葉で二度触れて来た。
無視とは許している行為でなく、我慢してやっているだけの事。
それを間違えて、おごりで私の興味をもそそるつもりが地雷を踏んだのだ。

医療関係に従事する「先生」と呼ばれる男の、人を舐めた行為が度を越したのである。

「子供の頃から、あんただけは大嫌いだった!」
腹たち紛れに、ついでに本心をぶちまけた。
「やっぱりそうか、そうだったんだ!」
あんなに戯れて騒いでいた男が手を止めて、女の布団の中からそう言った。
「出て行け、出て行ってくれ!ここはあんたに関係ない部屋だ」
私は叫んで放り出そうと試みた。

もう一人、同室で布団に入っていた友達は飛び起きて、男と女が騒ぐのを布団の上に座ってボーッと呆れ顔でただ眺めていた。
その様子が私には可笑しくて、たまらなかった。

金縛りにあった感じで男は布団から出るに出られず、帰るに帰れなくなっている時、本命の女性が部屋に戻った。そこで異様な何かを察知したのであろう、男を誘って出て行った。わずかの時間とは思うけれど、実に長い感じがした。

その夜は怒りに興奮して、眠れなかった。
「今は楽しい、しかし明日はもっと大切である」という事で、身体の弱い私は宴会の後はカラオケにも雑談にも加わらず、温泉に入って早くから床に着いて身体を労わっていたのに…。

男は、朝食には姿を見せず「仕事がある」と言って早朝帰ったようだ!
常識を弁えない最低男の顔は、思い出す度に身震いがする。

炭鉱の町で育った遠慮の無い者同士の集まりであっても、許せる事と、してはいけない事、言ってはいけない事のけじめがあるはず。
「おい、お前!」「○○子ッ」まるで自分の妻を呼ぶような言葉を使っても、そこは幼馴染のよしみである。

この話を他の部屋の人が聞いたら「やっぱり、あの人は強いね!」そう思うだろう。
とんだ昔を出してしまう羽目になってしまった。

「地位?を鼻にかける人間は、己の態度も改めよ!」
そこが許せないのである。

大虎を退治した気持ちになって、何処かすっきりした。

感情をストレートに出す人のすっきりする気持ちが、やっと理解できた。

|

« ”まだお前は、来るなよ!” | トップページ | ”驚きの雨” »

コメント

あのーぉ、入鹿って石炭ではなく、銅が主だったように記憶してるのですが?
ずいぶん前に入鹿を離れたため(42年卒)、記憶が曖昧です・・・
鉱山街でしたよね。
行ってみたいです。

投稿: K_SUE | 2008年9月28日 (日) 11時27分

コメントありがとう御座います。
石原産業の紀州鉱山は、銅の産屈が国内でも屈指だった様ですね。懐かしい生活が思い出されます。最近の紀州鉱山の町の名残を載せました。
http://an-kikei.jugem.jp/?page=11

投稿: kiko | 2008年9月28日 (日) 14時01分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ”まだお前は、来るなよ!” | トップページ | ”驚きの雨” »