ありがとうございました。

"引っ越す事にしました。”

こちらです。
http://an-kikei.jugem.jp/

引き続き、宜しくお付き合い下さい。

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”占い師冥利に尽きる”

早くも12月、昨日は亡き姉の誕生日だった。
離れ離れに生活している甥っ子達を思い浮かべながら、きっと各自母を思い出しているだろう…。
壁に掛けられていたブラウスも、珍しい品種だという紫陽花の花も、姉の喜ぶ顔と共に走馬灯のように思い出になった。

冬眠生活の間にネットの原稿を仕上げ、来年一年分の教材を用意しておいた。
これで一年は、授業に関しては気楽である。

先月末の事、ある学校経営者の人から久しぶりに電話があった。
「お願いしたい事がありましてね。お伺いしたいのですが…」
{女の子の事で相談との話。小学6年生頃から登校拒否が徐々に始まり、家の外に出なくなっているという。自分の顔が醜いから恥ずかしいと言っては、人が訪ねて行くとお面をかぶって応対したり、マスクをつけて話をするのだそうである。自分の事に全て自信がなく、家から出る事を拒み、何時も一人で絵を描いて過ごしていた…}
という話である。

今までは、祖母と父母が熱心に子供の気持ちを理解してコントロールして来ていたが、最近こういう事を言ったそうだ。
「もう普通の人の話は聞きたくない。私が聞きたいのは、運命学から自分がどの様になっているのかを知りたい。それ以外は信じない!」
という事を言うので、親ではどうしょうも出来なくなり、知人の理事長に相談に行ったという事であった。

約束の時間に若い女の子と、その母親を伴って理事長が見えた。
幼い感じがするその女性は、20才という。
「遠い所からご苦労さんね!そちらはもう雪が降っているの?此処までどの様にして来たの?」
「今朝、新幹線に乗って来ました。東京と違って私達の方はとても寒いです」
「そう、夜中?いや朝方ね、彼女が私の寝ている部屋をノックしたのよ。あれっ!と飛び起きて考えたの。{今日のお客さんが無事に着く知らせ}だと解ってね。それから暫らくぐっすり寝ましたが」
私がそう言うと、不思議そうな顔をしてお母さんが見ていた。

「実は、夕べ寝るまで、{私、行けない。行かない}で揉めてました。しかし、朝{行く!}と言って起きて来たのでびっくりしたんです」
「私のところには先に、気持ちが着いていたわよ!」

私には変な知らせがあって、翌日の来客は玄関のチャイムで、予約の約束は電話のベルで必ず知らせがある。
今回のように、部屋をノックするという事は始めての事。それは、もう話が付いているので、本人の気持ちだけの問題なのである。
だから、本人が私の所に「気」を送って来たのであろう。

以前、霊能者に聞いた事がある。
「人を鑑定するという事は、電話だから気楽というのではない。その人のいる場所まで「気」が行き様子を見るから、鑑定するという事は疲れるのだ」
という話を思い出す。

目の前に立つその子は、人に顔を見せたくないと言う気持ちが強いからか、それとも今の流行なのか知らないが、昔の歌手のカルメンマキに似た髪形をして、さらに前髪、横の髪で顔の輪郭をすっぽり隠していた。
時折透けた髪の毛から見える瞳が大きくて綺麗で、光っている。顔色は白く綺麗な肌をしている。

恐らく、周りの者が長い期間腫れ物にさわる感じでその子に接していたのであろう。

「箱入り娘」である。
その箱入り娘さんが、おそらく自分に目覚めたのだと思う。
大人の宥めたり、あやしたり、見え過ぎた美辞麗句が鼻に付き出し、自分の運命上の評価?を知りたくなったのであろう、と私は考える。

だから
「私は、誰のいう事も信じない。信じるのは占い師のいう事。そのような人に自分の事を聞いてみたい」。
今迄の自分から脱皮する機会を、探し出したくなったのだと思う。
良い時期に私も出合ったと思った。
後ろから押すのでなく、前にまわり、道をつけて上げれば良いのである。

3時間近く雑談した。

全て彼女についてでなく、彼女の話がすっきりして本人も納得し今後の道筋がつくと、物はついでにという事で、家庭の話になったりで、後は本当に余禄である。

若い彼女の頬が赤みを帯び、綺麗な輪郭が見え隠れする頃になると、本人もまつわり付く髪がうっとうしく感じるのか、手で払いのけるしぐさが目立つようになった。

{あー、普通の女の子らしくなった}内心で私はそう思った。

「これから、外に出て友達と仲良くします。ありがとうございました」
何事も無かったような感じで帰って行った。

私は何時もの様にどっと疲れが出て、布団をかぶった。

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”ボランテイァ活動”

同窓会で知った仲間のボランテイァ活動に、気持ちが洗われた。
小学校から同じであったその男性は、小柄で大人しい人だった。

朝、観光船の時間待ちをしている時、退屈している女性の側に来て昆虫を作って見せてくれた。
「しょうろうバッタ!」と言っていたが、草で織り込んでゆく、実に良く出来たものである。

Photo_12 「残り物だけれど、これをあげる」と言って、松ぼっくりで作った”親子の熊”と”鉛筆”の飾りを貰った。

Photo_13 壊さないように大事に持ち帰り、今玄関に飾っている。
聞くところによれば大阪に住んでいて、ボランテイアで老人会や子供達に教えているとの話。
道理で、顔が穏やかな感じがする。
「材料費が大変だよ!」と、言っていた。

私も何かお手伝い出来ないかな?と咄嗟に思った。
「そうだ!なにか百金へ行って探してこよう」

少し私も協力する事を秘かに決めている。

兄貴の宝物
冷蔵庫から沢山の冷凍された「」が出て来た。Photo_14
「これを宅急便で送るか?これもあるけど食べるか?」
有に50匹はある。恐らく兄さんの”とっておき”のものであろう。
Photo_15

「貰っていい!」
鮎の「白子」である。

気持ちの変わらない内に…。

お陰でこの冬、鮎が思い切り食べられる。

わーい!

賑やかな同窓会が済んで、早くも10日。

Photo_16 今朝その仲間の一人から「みかん」の宅急便が届いた。
「近所の人の取り残しみかんだけど、送るね!」

夕べ電話でそう云っていた。

やっぱりみかんは”紀州みかん”に限る。
「ありがとう!」

ブログを一応書き終えた。

頭の中のけじめがついて「やれやれ!」   これから暫らく、冬眠生活します。

本職の原稿に何も手が着いてなく、期限がただ迫り来るので恐怖を感じています。

元気で頑張っていますから、暫らくのお別れです。

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”世界遺産熊野古道・中辺路”

のんびり温泉につかって、夕飯に彼女の手料理をお腹一杯いただき休ませて貰った。
ぐっすり眠れたのか目覚めが良かった。彼女の家は築3年。贅を尽くした和風の立派なものである。Photo
部屋はお茶室になっている。

襖も天上も何もかもが、建築を手掛けた大工さんの拘りの作品のようだ。

Photo_2 私がとりわけ気に入ったのが、竹の垣根。

とてもお洒落で落ち着いた素敵なお住まいです。

午前4時半まだ夜は明けていない。

6時、上のお寺の早朝の鐘が鳴る。Photo_3
東海近畿地蔵霊場第26番札所 曹洞宗 新豊山「祐川寺」の鐘の音。

朝食前にお寺にお邪魔すると、入り口に可愛い小坊さんの写真があった。Photo_4

和尚さんが、早朝祈願のお経をあげてくれた。
自分個人の為にお経を頂くとは、あり難い事です。

新宮へ戻る前に「世界遺産・熊野古道」へ車で行ける場所を案内するという事で連れて行って貰った。
彼女は、本宮町・中辺路界隈の「語り部」である。

Photo_11一日6時間位歩いて案内するのだそうで、その時に貴賎笠を被ると喜ばれるそうだ!

この笠も中国産の物が土産物店で1000円程で売られていると言う。
しかし、本物の笠は皆地の人が手掛けているそうで、5000円するそう。

関東から見えるお客さんは、特に歴史に熱心な人が多く、案内する張り合いがあると言っていた。

熊野古道とは?
Photo_6

紀伊半島南部にあたる熊野の地と伊勢や大阪・和歌山、高野及び吉野とを結ぶ古い街道の総称で、「熊野街道」とも呼ばれる。

熊野古道には伊勢と熊野速玉大社を結ぶ伊勢路、その伊勢路の花の窟から分かれて熊野本宮大社に向かう本宮道のほか、大阪から和歌山を経て熊野に至る紀伊路は田辺で熊野本宮に向かう中辺路と、そのまま紀伊半島を海岸線沿いに那智へ向かう大辺路、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路、吉野から熊野本宮へ向かう奥駈道(おくがけみち)とも呼ばれる大峯道などのいくつかのルートがあるのです。

Photo_7 この熊野古道「中辺路」は田辺から紀伊山地に入り熊野本宮大社を経て熊野速大社、熊野那智大社を巡る参詣道をいいます。
平安時代以降、皇族貴族をはじめ多くの人が熊野詣に使ったのがこの道です。熊野三山を巡った後は、難所「大雲取」「小雲取」を越えて熊野本宮大社へ戻り京へと帰って行かれたのだそうです。

この近辺には、水呑・伏拝・祓戸王子があり、平安期には、多くの上皇・貴族が訪れた「熊野詣」のメインルート「紀伊路」~「中辺路」沿線には「熊野九十九王子」と呼ばれる小さな社跡が残っています。
これは、熊野権現(熊野の神様)の子神を祀る社跡で、今も熊野古道の見どころで通過ポイントとして親しまれているそうです。

国道168号線を、本宮大社を横目に見ながら進み発心門へ着いた。

「熊野九十九王子」の中でもとりわけ、格式が高いと言われている五体王子(藤代・切目・稲葉根・滝尻王子)の中の一つ「発心門王子」。Photo_8

「発心とは、発菩提心、即ち仏道に入る心を起こすことをさし「菩提心を発す門」という意味を持つ」。

ここは文字どおり聖域熊野本宮の入口なのです。

Photo_9 藤原定家の歌

「いりがたき みのりのかどは けふすぎぬ いまよりむつのみちにかへすな」
苦行の末、ようやく仏の国に入ったのだから、もはや六道苦の世界に後戻りはするまいという決意を述べたものだとされ、歌碑が建つ。
六道=地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界を指す。

水呑王子を参拝して、Photo_10伏拝王子に進むとお天気が良いので、遠くに那智のお山が霞んで見えた。

今日も、多くのグループの人達がこの熊野古道を散策に来ている。
皆元気が良い!羨ましい限りである。

残念ながら時間がないので近くにNHK朝の連続ドラマ”ほんまもん”のロケ地があるらしいが、それは又の機会の楽しみにして、此処で新宮へ戻る事にした。

12時過ぎ兄の待つ家へ戻ると、”秋刀魚の馴れ寿司”を買って待っていてくれた。
思わぬ食べ物で、こおどりした。

やっぱりこれをいただかないと新宮へ来た甲斐がない!兄貴の”心遣い”に感謝した。

兄にホームで見送られ、13時6分発名古屋行きの電車に乗って新宮を後にした。

今回は、此処に書いていない多くの人に再会出来、ひと時を過ごさせて貰った。

実にハードなスケジュールであったが、体調が良く嬉しかった。

「皆さんお元気でね!ありがとう御座いました」

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”天気は快晴”

念願の姉のお墓にお参りです。兄と朝食もそこそこに車を走らせた。
こうしてお願い出来るのも、わずかな期間かも知れない。そう思うと淋しさが込み上げる。74才になる人へ、そう運転もお願い出来ないだろう。
走りなれた尾呂志街道も又一箇所、新しく道が出来上がっている。
同窓生がこの町で生活していると言うので、寄って見る事にした。
上野という所は、尾呂志の中でも一番環境が良いようでのどかさが伝わり、今日の陽気は小春日和を感じるのに充分。
「こんにちは!」
言うより先に玄関の戸に手を掛けて開けたが、お留守の様である。
がっしりとしたたたずまいを見回しながら、気持ちの手土産を置いて玄関を閉めた。
「やあ、来たか!」
機嫌の良い言葉を期待しただけに、少し残念に思った。

{若かりし頃、この地をくまなく代議士や県会議員の選挙カーに乗って回ったものだ。その当時と差ほど変化は無い様に思う。しかし、人の代が変わりこの歳で再びこの地を踏むとは想像もしていなかった。}

紀和町板屋に入ると、直ぐ目に付いた物がある。Photo
Photo_2

紀州鉱山の資料館」の大きな看板の上の銅像である。
この地で父と母の愛情を一杯受けて育ち、巣立った私達である。
この象徴になる「炭鉱夫」の像は、忘れられないこの地のお父さん達の姿である。
しばし、懐かしく見とれて思い出に馳せた。

此処から、実家の前を通り友達のお墓参りに行く。誰も住まない実家は二階の雨戸が傷んでいる。その痛ましさを横目で見ながら、山のお墓に向う。
昨年春に亡くなった「善子ちゃん」のお墓に、どうしても手を合わせたかった。
涙で目頭がかすんだ。お互い身体の弱さには、人知れず悩んだ人生だった。

この様に車を自由気ままに「止まれ、進め!右へ行ってッ」と、お願い出来るのも兄だからである。

さあ、これで満足!。
姉の待つ湯の口の墓地へ進める。
「昔、この先で右へ行ったよなー。ちょっと回ってみよう」Photo_3
兄が言って本当に懐かしい道を、そして思い出の多い場所を尋ねた。
この川の岩から飛び込んで、善子ちゃんと泳いだ。中学生の夏の思い出。婚約をして、あの木陰で風に吹かれて過ごしたわずかな時間。
今、立つ場所に祖父母の店があり、そこが何よりも姉と私の人生にまつわる物語が生まれた。
Photo_4 その鉄筋の建物だけが時代の波に押し流されて壊され、川原の「榎木」が何度もの水害に立ち向かい残っているのも皮肉なものだ。
「あの、榎木の所に水が来ると、そろそろと思って店の物を上に運びあげ始めたのだよ!」
水害から守る為、雨が降る度に商品の荷揚げ…。姉の声が聞こえてきそうな感じがする。一番環境の変化を受けた小川口の祖父母の店跡に立って、姉を偲び亡き夫の姿を思い浮かべた。

湯の口の墓地に着くと、木の葉がお墓の周りを埋め尽くしていた。
綺麗に掃き清めながら、最後になるかも知れないが気持ちよくお掃除が出来る事を感謝した。どれ程、生前大浜の夫の墓掃除をして貰った事か…。

お返しできる環境にいま出会い、有難さで一杯だった。
「ねーさん、来たよ!これが最後になるかね…」
落ち葉を除くと新しい石碑が光っていた。返す返すも淋しくて残念な姉との会話である。
思う存分お墓で時間を過ごし、次の行動へと進むことになる。

昼食は瀞流荘で、お刺身定食を食べる。大きい切り身のお刺身とヒジキの煮物。
「ひじきの煮物を食べるの久しぶりだなー。美味しいね」
思わず口に出た兄貴の言葉を聞き、日頃の生活を垣間見た感じがした。
何も作ってやれない自分を恥じた。申し訳ないと思った。そして可哀想に思えた。

志古のドライブインで、買い物がしたい!」
昼食を済ませ、三重県側から「葛橋」を渡り和歌山県側に移る。
対岸の湯の口を見ながら川下に進み、宮井大橋を渡り国道168号に出る。
大体このコースは何時もの通り、しかし今日はその先で違った。
娘が今年手がけた仕事に「新宮市小口」のイルミネーションの紹介の事が話題になった。
「少し遠いけれど、そこに行って見るか!」
とにかく何でも知っている兄貴に驚かされた。
「お母さん、おじさんに教えて上げてよ。小口でイルミネーションの飾りが見えるって…」
娘がその仕事を手がけ、新宮市の観光課の人と会話をしたらしくそう言っていたが…。

国道168号線のさつき温泉バス停近くから進む事8キロ。Photo_5
新宮市”小口自然の家”があり、大きなもみの木が立っていた。この建物は廃校を利用した宿泊施設で、側には広いキヤンプ場がありその為の設備も整っている感じである。
きっと夏には涼を求めて、多くの家族連れが訪れているのでしょう。Photo_6

Photo_7 更に驚いた事は、皇太子様もこの場所を訪ねられた事である。

Photo_8 ”高倉神社”が鎮座していてそこをご参拝されたのだろうか?

東京から来たという若い娘さんが、近くのお寺に宿泊して近辺を散策しているのに出会った。良くぞ、知っているという感じである。

永年過ごした新宮市の町の事も知らないで観光案内に従事した自分をちょっぴり恥じた。
娘に良いお土産話が出来ると思うと、この地を訪ねた事は大変良かった。

彼方此方とドライブして、再び168号線に出て新宮へ帰った。
紀州みかんの配送を頼み、ジャスコで兄へのお礼を買って家に着いたら4時だった。
それから又友達が待ってくれている本宮へ、今来た168号線を戻るのである。

対岸に”撞木山”と呼ばれる岩肌を眺めて少し進むと新しい長いトンネルが出来ていた。
この撞木山とは「鐘が鳴るか撞木が鳴るか、鐘と撞木のあいがなる」という、バスガイド時代の案内文の一節である。
お寺の鐘を突くと鐘から音が出るのか、それとも撞木が音を出すのかどちらかと考えると、どちらでもなく、釣鐘と撞木の間から音というのが生まれてくるのですよ!と言った説明だったと思う。

一昔も二昔も、それよりもっと前の案内を思い出しながら懐かしんでいると、トンネルの切れ目が友達の待つ自宅近くだった。和歌山県田辺市本宮町請川
思ったよりもズーとトンネルのお陰で近かった。でも、丸一日ハンドルを握ってくれた兄にしたら大変なことである。「本当に、ありがとう!ご苦労様」

「あんた、犬大丈夫?嫌い?」
「犬好きだよ、だけど人にも犬にも愛想は振れないの!」
「犬には愛想はいらないよ。犬は何でも良く知っているから」
一本やられました。
苦笑しながら彼女の後について行くと、少し離れた所から犬が尻尾を振って歓迎してくれていた。
「見てッ、いつにない喜びようで尻尾を振っている」
犬も受け入れてくれたのだろう。

友達の新築の家を拝見するよりも先に、川湯温泉へ急いだ。
私の到着を待ち構えてくれていたのであろう。
辺りはすっかり、夜のとばりがおりていた。

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”驚きの雨”

Photo_8ホテル・中の島温泉を9時半出港して、

紀の松島めぐり”を遊覧船で約一時間楽しんだ。
過去にも何回か、この観光は経験している。

11時前に皆と桟橋で別れ、私は約束の場所バス・ターミナルへ急いだ。
急に雨がぽろついて来た。

甥っ子のお嫁さんのカナちゃんと、その娘りなちゃんが車で来てくれた。
これから忙しいスケジュールが始まる。

まずは新宮へ急ぎ、ジャスコでお線香と御花と供え物のお菓子を買った。
これから主人の待つ、大浜へお墓参りに行くのである(もしかしたら、別に待っていないかも知れないが…)。

「叔母さん、雨がさっきより強く降ってきて止まないね!」
「かなちゃん、これはきっと叔父さん(亡夫)がお前のやりたい事を先にしてから大浜へ来い!という事よ」
「何をするの?」
「買い物と昼食。お腹が空いて来たでしょ!それを先に済ませよという事よ。そしたら天気になるからさ」
「……?」
「最初は家具屋さんのSへ連れて行って!買いたい物があるの」

「思うものが買えたから、次はお昼にしましょ!何処かに連れて行って頂戴」
「回転すしとうどんが食べられる処で良いですか?」

「美味しいね!美味しいね!」
三歳前のりなちゃんがうどんばかりを食べながらそう言っていた。可愛くて可笑しくてただ笑ってばかりの私。
関西味の肉うどんに舌鼓を打ちながら、回転すしも食べられるし最高の喜びで、私もりなちゃんに同感である。

お腹一杯に膨らんで外に出たら、雨が上がり太陽が出て水溜りが光っていた。

「さあ、大浜へお参りに行くよ!」
「叔母さん、何で解るの?天気になる事が…」
「さっき言った事ね。出任せで言ったのや!そうなるといいなーと思ってさ」
「不思議な事や!さっぱり解らん」

今回急に、見慣れた墓石が何故か小さく、まるで人間が歳を取って縮んだのと同じ様に感じた。

{あんたも歳を取ったね!}心で話しかけた。

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”炭鉱の町で育った同窓生”

10月の最終日曜日、和歌山県那智勝浦町”ホテル・中の島”で「同窓会」が行われた。
三重県南郡(旧・入鹿村)石原産業紀州鉱業所が最高に繁栄していた頃、その炭鉱の町で私達は小学校、中学校に通っていた。当時の友達が集うのである。

勝浦温泉のホテル・中の島と墓参りが出来るという条件が揃ったので参加する事にした。

前日は台風で彼方此方が荒れ模様だったが、当日の28日は秋晴れの最高の日になった。品川8時過ぎの新幹線に乗る。Photo_2

気がつくと早くも富士山が山頂に雪を頂いてくっきりと顔を出していた。
私が出かける時は、何時も晴れ。午前中大雨が降っていても、東急セミナーへ午後出かける頃は晴れているという感じで。

何も自慢する事は無いけれど、秘かに天候だけには自信がある。

その自信の裏づけが出来るような快晴に恵まれた。Photo_3

名古屋から紀勢本線・南紀3号に乗り換える。

1号車1番A席の希望指定席である。これは、永年郷里へ帰るうちに身につけた知恵。要するに先頭車両で運転席の直ぐ後ろになる。人の行き来が無いから、人に出会わないので気が楽という事から、指定席を取る時に希望を出す。

名古屋から3時間半、特別席で過ごす。
Photo_4

今回乗り合わせた千葉と三島の観光客は「何処まで行っても単線だね…」と感心しているのをよそ事の様に聞きながら、松阪牛のお弁当を注文し、週刊誌を読み、お昼寝をする。

自由時間を少し持て余す頃になると、長いトンネルから抜け出し遠方に熊野灘が目に入ってくる。
そうすると「やっと来た!」懐かしい気持ちになる。

Photo_5 電車の窓がパノラマに変わり、見慣れた七里御浜の海岸線が昔の事を思い起こさせる。
暫らく、勢いよく浜に打ち上げる波を見ながら、望郷の思いを楽しむ…。

Photo_6

電車は進み、新宮市・御手洗の浜を過ぎると、 リアス式海岸の白波が立つ美しい風景と、青い海と空を満喫する事になる。

そうするうちに、列車は終点・勝浦駅に近づく。200710281507001

迎えの友人がいるはずなのに、駅には姿が見えない。
「ナイスッ!」と思って、そのまま友達のみやげ物店へ直行。

話に盛り上がっている時、バックの中で携帯が鳴る音に気がつく。

「何処でいるんだよ!」
「みやげ物店で遊んでいるから、時間になったらホテルへ行きます」

ワイワイ、ガヤガヤ何事かと思ったら、懐かしい男、女友達の顔が目に入る。
同じ電車に名古屋から4、5人乗って来たらしいが、私の姿が見えなかったという話。心配してくれていた様子で、駅近辺のみやげ物店を探してくれていたそうだ。
高校時代の友達、温ちゃんとの話も途中で炭鉱の子達と桟橋へ向う。

「良く、来たなー。遠いところから…」
口下手の男達が最高の賛辞を言って迎えてくれる。
「ちょっとも変わってないね。昔のままのHちゃんや!」
遠慮のない女どもが顔を合わせる。
気兼ねのない印象を、そのまま口にする最初の挨拶である。

Photo_7 こうして”炭鉱の町”で育った私達の同窓会が賑やかに幕を開き、賑やかなまま「再会」を約束して幕を下ろすはずであった。

しかし、それは数時間後に

「出て行けッ、直ぐに出て行って!」と、大声で叫ぶ事態が起こる事は予想もしなかった。
人生でこんなに大きな声を張り上げ、怒声を叫んだのは始めての終わりであろう。
心無い男の色に狂った仕業の為に、叫び過ぎて心臓が止まるかと恐怖に駆られた。

戯れに本命でないと言いつつ他の女性の布団に入り、騒ぐのを側で無視する私の導火線に言葉で二度触れて来た。
無視とは許している行為でなく、我慢してやっているだけの事。
それを間違えて、おごりで私の興味をもそそるつもりが地雷を踏んだのだ。

医療関係に従事する「先生」と呼ばれる男の、人を舐めた行為が度を越したのである。

「子供の頃から、あんただけは大嫌いだった!」
腹たち紛れに、ついでに本心をぶちまけた。
「やっぱりそうか、そうだったんだ!」
あんなに戯れて騒いでいた男が手を止めて、女の布団の中からそう言った。
「出て行け、出て行ってくれ!ここはあんたに関係ない部屋だ」
私は叫んで放り出そうと試みた。

もう一人、同室で布団に入っていた友達は飛び起きて、男と女が騒ぐのを布団の上に座ってボーッと呆れ顔でただ眺めていた。
その様子が私には可笑しくて、たまらなかった。

金縛りにあった感じで男は布団から出るに出られず、帰るに帰れなくなっている時、本命の女性が部屋に戻った。そこで異様な何かを察知したのであろう、男を誘って出て行った。わずかの時間とは思うけれど、実に長い感じがした。

その夜は怒りに興奮して、眠れなかった。
「今は楽しい、しかし明日はもっと大切である」という事で、身体の弱い私は宴会の後はカラオケにも雑談にも加わらず、温泉に入って早くから床に着いて身体を労わっていたのに…。

男は、朝食には姿を見せず「仕事がある」と言って早朝帰ったようだ!
常識を弁えない最低男の顔は、思い出す度に身震いがする。

炭鉱の町で育った遠慮の無い者同士の集まりであっても、許せる事と、してはいけない事、言ってはいけない事のけじめがあるはず。
「おい、お前!」「○○子ッ」まるで自分の妻を呼ぶような言葉を使っても、そこは幼馴染のよしみである。

この話を他の部屋の人が聞いたら「やっぱり、あの人は強いね!」そう思うだろう。
とんだ昔を出してしまう羽目になってしまった。

「地位?を鼻にかける人間は、己の態度も改めよ!」
そこが許せないのである。

大虎を退治した気持ちになって、何処かすっきりした。

感情をストレートに出す人のすっきりする気持ちが、やっと理解できた。

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”まだお前は、来るなよ!”

郷里へ帰る日が近づいて来たが、どうも荷物が纏まらないし気持ちも今一…。
しかし、自分なりのスケジュールは出来ていた。
夫の墓参り、翌日は姉の墓参り、時間があれば那智の妙法山の阿弥陀寺へ連れて行って貰おう…と。

夢を見た。
身体の調子が悪くて私は横になり、側で姉がいて二人で雑談していた。
そこへ父と母の姿が窓越しに見えた。
「さあ、行こう!那智山へお参りに」
母が大きな声でそう姉を誘った。
「私も連れてって!連れてくれなきゃ自殺するッ」
大きな声で叫んだ。
父と母が頭をつき合わせてコソコソと話をしていた。
「まだ、お前は来るなよ!」
父は私に向って一言そういったかと思うと、先頭に立ち、母、姉を引き連れて暗闇に消えた。その歩き方は、三人とも同じでリズムに乗ったものだった。
「エッさ、エッさ」と言う感じで、身体をゆすりあの世の人?が見せる特有の歩き方だった。

何とも言えない気分で目を覚ますと、頭はガンガンしていた。

今見た夢を辿り、父と母について同じリズムで歩く姉の姿を思い出しながら、すっかりあの世に馴染んだ姉を見たような気がした。
きっと成仏して「私の事は、もう悲しまないで頂戴」と言ってる様に思った。

父が亡くなって3年余り、はっきり夢に出て声まで聞いた。
幼い時から父の一言が思慮深さをもって私を導き、成長させた。今回もきっと何かを教えたのだろう…。
懐かしさと羨ましさが混じった夢だった。

私も、これが最後のお墓参りになるかも知れない様な気がする。

お昼過ぎ友達の電話で目が覚めた。
「帰って来るんだって、スケジュールは?」
「それなりに決まっているの。会いたいけれど時間が上手く取れなくて、ごめんね!」
「本宮へおいで、送り迎えするから…。お姉さんがいる時だったら悪いから遠慮したけれど、今は遠慮なく誘うわ」

しかし、兄貴に義理もある。
どうしたものかと考えている時に、今朝見た夢を思い出した。
父の言いたかった事が、直感した。

「解った、お言葉に甘えて貴女に従うから、宜しく!」
その言葉を伝え、那智の妙法山へお参りするのを辞めた。

昔、父が悩む私に言った。
「先祖は生きている者を苛めたりはしない。だから、お前は何も気にするな!」
私が夫を亡くして間もなく、ある霊能者の処に行って聞かされた事を伝えた。
「お父ちゃん、私の右肩に父方の祖母がついていて、左の方には母方の祖母がいて両方とも悲しんでいるんだって。それは貴女が可哀想なのでなく、貴女の嘆く姿を見ている我が息子と、娘の苦しみが可哀想に思って私に縋っているんだって…。それ、本当?お父ちゃん私の事で悲しんでいるの?」

「先祖は、生きている者を苛めたりはしない!」
それっきり、私は夫の幻を追っかけて、霊能者に会う事を辞めた。

霊能者の一言も一理あると思う。
しかし、何時までもそう言う事にばかり振り回されていては前が見えなくなる。
父の一言には、もっと大きな意味がある。

今回の夢の言葉で、私は吹っ切れたことがある。

気分爽快になって出かけ、故郷で幼な友達とひと時を過ごそう!

早くも宅急便は東京を離れ”ふるさと”に向かっている。

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九州のお土産

パパのライブと、祖父のお見舞いを無事に済ませた孫達が戻ってきた。
彼方此方で歓迎を受けたらしく、沢山のお土産を下げて来た。

風月銘菓

Photo_9 Photo_10

{博多の銘菓「雪うさぎ」。純白で可愛い「雪うさぎ」は、お子様の人気者。 博多に伝わる「うさぎ」の民話をもとに創られた。ふわふわのマシュマロの中は、美味しい黄味あんがたっぷりです。ホワイトうさぎとピンクうさぎは、いつも仲良しです。}

”博多通りもん”

Photo_11 博多西洋和菓子、世界お菓子コンテスト受賞のもの。
「モンドセレクション」金賞受賞で、博多に伝わる和菓子の伝統に、バターを初めとして西洋和菓子の素材を取り入れて製造しているのだそうだ!
「通りもん」の由来は、
オランダ語の休日「ゾンターク」がなまって「どんたく」という博多弁になり、
「西洋休日」という意味で、この日ばかりは、博多の街は大賑わい。
飾りをつけた台を引き、着飾ったり、三味線を弾き笛、太鼓を鳴らして街を練り歩く、
この行列を「通りもん」という。昔の博多のほのぼのとした、そして懐かしい心に残る祭りとして現在に受け継がれている。そういうところから、このお菓子の名前がつけられた。

”にわか煎餅”

ちなみにこれは、娘が買ってきたものです。

Photo_12 東雲堂
{二○加煎餅本店は明治39年に創業。
以来郷土博多を代表する菓子の一つとしてお茶の間を賑わし、全国津々浦々博多二○加のお面で親しまれております。里帰りのお土産に家族団欒の憩いの時に二○加煎餅を御賞味下さい。}

”秋の山”

Photo_13 かごの底に、金平糖が入っています。
可愛いので、暫らく観賞用に仏壇に供えています。

”肥後 花あそび”

Photo_14 材料を厳選し、小豆本来の味を余すところ無く引き出し、余分なものは一切加えないと言う菓子職人「立山 学」氏、一生一品の作。
これは、珍しいもので美味しかったですね!

”繊月”

Photo_15 熊本人吉で生まれた、焼酎です。

”肥後の切れ味”

Photo_16 熊本の和菓子
”ところ変われば、品変わる”といいますが、各地の銘菓の豊富さに驚きます。
食欲の秋深まり、益々体型が変化するのを悔やむばかりです。
無理ないですよね!この和菓子の一覧をごらん頂いて…。

来週の”同窓会”が、ただ、ただ案じられます。

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”命日”

のんびりしていたら
「お母さん、お母さん、お昼食べさせて!」
息子が飛び込んできた。
「何、下げているの?」
「今日は命日だね」
「誰の?…。お父さんとお祖母ちゃんの日命日だけど…」
「忘れたの?お父さんのだよ!」Photo_4
「えーっ、忘れてた。日命日だと今朝、思いながらお線香上げたけれど」
「本当に忘れていたんだ!」
「そう、33回忌した時、もう忘れようと決めたの。そしたら気が楽になって、本当に忘れていた」
「もういいよ、これからは俺達がやるから、忘れな!」
「ありがとう。お願いするわ」

「夕飯は来ないからね、F1グループの集まりがあるから」

仏壇に可愛いお饅頭を供えて、がさがさと部屋中を騒がせて出て行った。

静かになった部屋を見回しながら、短い時間であったが息子の慌しさに私は疲れた。

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”静かな日曜日に”

今日はとても気持ちの落ち着いた休みを迎えている。
ネットの原稿にも追われず、授業もなくのんびりと過ごせそうだ!

昨日、孫達はパパの”ライブ”を追っかけて福岡へ行った。
今日は熊本に入り、揃って祖父のお見舞いに行くと言う。
お陰様で、私はのんびりとボーっとしていたら良いのである。

そう云えば、5ヶ月近く掛かった隣のビル解体作業も9月の末で終わった。
ショベルカーの作業を見ながら感心したものである。
人の手を煩わせる事無く見事にコンクリートを剥がし、残った鉄骨を一箇所に纏めていた。実に手馴れたものである。

その出来た更地は今暫らく、時間貸しの駐車場にするという連絡が我がマンションの掲示板に張り出されていた。
「便利になって良かった!」
車で授業に来る生徒や、相談者の事が頭に浮かんでそう思った。

そのお知らせも束の間の喜びであり、身の振り方の問題が大きく圧し掛かって来たのである。一昨日「臨時総会開催」のお知らせが入った。

「やっぱりな!そうなるだろう…」予想が当たった。
期待半分、面倒草さも感じられ複雑な思いである。
①更地 Photo      

②目黒通りが見えた Photo_2

 ③山の手通りPhoto_3

我がマンションの買収問題が起こったのである。

82軒の世帯が、どの様に動くか?

{この先我がマンション独自で立て替えた場合は建蔽率の問題があり、今の広さが確保出来ないという。この買収に応じれば、等価交換になると言う。}

{個人的に考えた場合は、面倒な事だけれど素直に従いたいと思う。反対に、女一人これ以上の物は望めない。そして、古い建物よりも新しい住まいが子供達の手元にバトンタッチ出来るのであれば、もう願う事はありません。}
という気持ちである。

人生最高の年に、このマンションを買った。現在風の改装を施したものである。
人から見たら歳いってからよう買ったと思うかも知れないが、病気ばかりしていた私にはそう云うチャンスは無かったのである。

恐らく来年一年は、家族でワイワイ過ごせるだろう!案外長い時間が掛かると云うから2012年の完成になると踏む。
その頃になると余計引越しもしんどい。猫の産宿みたいに動くのが面倒!だから、其の儘、子供達に譲る事になるかも知れない。

私の頭ではもう青写真が出来ている。青写真で無くこういうのを”捕らぬ狸の皮算用”と呼ぶのかも知れない。
しかし、「臨時総会の目的」内容を読むとそうなっている。

子供達に出席を頼んで、私は留守になる。

子供達の集まらない静かな日曜日が、急に勿体無いような感じがした。
「はよう帰って!」
ご飯作りが一番幸せを感じる。「母」を一生懸命努めている昨今である。

静かな日曜日が、もの思いの時間に費やされる。

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”子宝とは?”

今日は此処で「運命の仕組み」の話を子供に絞って書いてみようと思う。
子供が生まれなくて悩んでいる人、又は、子供の問題で苦しんでいる人がいるとすれば、何かのお役に立つと思う。

結婚して子供の誕生を望むのは、夫婦として当然の気持ちである。
しかし、結婚そのもの”は神様が人間に与えたある種の試練の始まりなのである。
その神様が、神の真意を受け止める能力の弱い若年期に最も重要な人生の伴侶を選ばせるわけです。そこが結婚とは人生最大の賭けであると言われるゆえんです。
その善し悪しの確立は50%なのですが、誰しも良い方に進むことを望んで結婚するのです。その「結婚」は神が与えた試練であるから、その後起こりえる事に対して”神頼み”してはいけないのです。と、いう事も勉強の一部である。

夫婦の相性で”子宝”であるか、そうでないかが決まる。
子宝とは、子供が生まれたとか、どうか等を云うのでなく、元気に誕生して無病息災で成長するのを指す。

昨今は、色々な形で無理に子供を抱く人も多くある。例えば試験管ベイビー、代理母等。
わが子が誕生した瞬間は「この子さえあれば、もう何もいらない。欲を申しません!」
とその時は、神に感謝する。しかし、その感謝の気持ちが、親の子供に対する期待が大きくなるにしたがって徐々に薄らいで行く。
親は「欲」を出すからである。

例えば、結婚しました。
しかし、夫婦の相性が「子供縁の薄い関係です」と、いう結びつきであるとする。
その様な夫婦関係において生まれた子供と両親の間には、融合しにくい霊魂世界を持つ子供が誕生するのです。
その事は、子育てをする時に人並み以上の苦労と努力を要し、必要以上のエネルギーを消耗しなければならないのです。
要するに子供が病気がちであったり、不良化、何かと親が頭を抱える状態に追い込まれやすいのです。
でも自然に従って子供が産まれなかった時は、その夫婦には経済運が特別恵まれたり、名誉、名声が際立ったりするのです。

反対に、子供縁のある夫婦に実際子供が誕生した場合は、運命的に本当の”子宝”となり、子供の成人以降には社会的活躍が抜きん出るようになり、子供を生き甲斐として生活できる夫婦になるのです。
しかし、その夫婦に子供が生まれなかった場合は、生き甲斐を失い、生きる意欲も失われ、夫婦として晩年の人生に悲しみと悩みが広がって行くのです。

神様の恩恵は、全てに公平であり平等に与えられます。しかし、運命的には本人だけに対しての公平であり平等ではないのです。
本人を中心に前後三代を眺めて公平で平等になっているのです。(専門的には、六親法)その場合、自分達は家系の真ん中に位置しているとは限らないのです。

その家系の中に自分のポジションがあり、自分が今何処に位置しているかを考える事も楽しいことです。そして、家系の中で個人個人に課せられたお役目と言うものが存在するのです。

子を持つ親もそうであれば、夫の立場の人も子供の誕生に意義を唱える場合、決して昔の言葉の「産まず女」を非難してはいけないという事である。
妻の立場の人も、子供に恵まれなくとも悲観する事はなく、夫婦の相性がそうさせるのだと気持ちを入れ替え、先の事を考えるべきである。

”子宝”と、いう事一つにしても大変な意味を持つ。

我が家はどうであろうか?
そんな事云わずと知れた事!この親にして、この子供達があると何時も苦笑している。

子供を責める前に、己の心を中庸にして「神様が天から眺めたらどんな判断をするだろう!」
そんな事を考えていたら、腹を立てるのが一歩遅くなる。

家庭の平和は、心の持ち方が大きな要素を占めが「鈍感」な事も救われる場合が多い。

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”なんちゃって?”

先日、F1レースを観戦に行って来た息子が、静岡の一口”茶饅頭”を下げて来た。

「大阪のユニバーサルスタジオへ行ってきました。秋限定の商品だそうです」
中国から授業を受けに来た生徒が、”栗おたべ”をお土産にくれた。

Photo_2
「助けてー!”メタボ”がどうにもならないよ」

心の中で叫びつつ、手をだした。

「美味しかったです。ご馳走様」

「これは、中国のお土産です。”なんちゃって”商品ですが、旅行へ行く時に持って行くと便利ですから…」Photo_3
「ありがとう!今月末に郷里へ帰る時、鞄の中に入れて持ってゆくわ」
「でも、なんちゃってですからね」
Photo_4 「なんちゃってでも、かんちゃってでも私には関係ないの。助かるわ」
大きい手提げ袋が、小さく畳める。

私はブランド品には余り関心がなく、何でも見て気に入ったものでお洒落をする。

どうですか?このなんちゃって商品。

何でも中国にはこの様な偽物が氾濫していると言う。

その様な国で中国語を本格的に勉強し、検定試験を受けると言う。
そして、半年に一度集中して占いの勉強に帰る彼女の熱心さに、教える私も熱が入る。

頑張ってね!

ありがとう。

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”里の秋”

毎日暑くて、秋の訪れは何時だろう…。
そんな事を思いながら汗をぬぐっていたが、故郷の畑に秋はいつもの様に訪れていた!

兄さんからの宅急便が届いた。箱一杯に詰め込まれた秋の実りが、汗をかいていた。

柿・栗・みかん・茗荷・ししとうetc…。お味噌もあった。Photo

畑の幸だけでない、海の匂いも届けられた。

鯵の丸干し、鯵の開きとウルメイワシ等も。

ふんだんな秋の味覚に、兄貴の優しさが沁みる。

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”F1レース観戦”

「富士山を背にF1日本、開幕」
{自動車レースの最高峰・F1の世界選手権シリーズ第15戦日本グランプリが28日、富士スピードウエイで開幕した。同コースでの開催は30年振り。初日はフリー走行。29日に予選、30日に決勝が行われる。世界各国から11チームが参加。日本からはトヨタ、ホンダ、スーパーアグリ・ホンダが参戦。同コースでは76年に日本初のF1が開かれたが、続く77年のレースで2人死亡の大事故が発生。採算が合わなかったこともあり、以降の開催を断念していた。}

そのF1レースを見学に、今日息子が意気揚々と出かけた。

「あのレースを見ると、絶対自分の何かが変わる感じがする」
と、夕べ呟いていた。

今日29日は生憎の雨模様で、急に肌寒い。
「風邪をひかなければ良いが…」私はその心配をする。

人に聞いた話だけれど、80才過ぎたおばあさんが、60才の娘に「風邪ひくなよ、足元気をつけよ」と言っていた。
という話が理解できるようになった。
いつまで経っても、娘と息子は子供なのである。

幼さだけが親の頭にこびり付いているから、
「無茶な事するなよ!無謀な事したらあかんよ!」
30才を過ぎた息子を送り出した。
「女は弱し、されど母は強し…」なんてそれは嘘だ。

「富士山の写真を撮って来て!」
メールで甘えられるのも、息子にだけである。

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”リサイタル”

今日23日は凌ぎやすい天候になった。
昼食を早い目に済ませ、渋谷行きのバスに乗る。

渋谷駅前からNHKスタジオパーク行きのバスに乗り換える。

Nhk2時開演の「日本デビュー20周年記念”キム・ヨンジャ”リサイタル」を見に行くためである。

渋谷は祝日とお祭りが重なって大変な人出。
この人の特別なフアンでもないが、この人が歌う「暗夜航路」が好きで、そしてこの人の真面目さに魅かれるから行く。

S席7000円である。チケットを買うのが遅かったからか?、二階席で真ん中あたり。

3000人は収容するホール。Nhk_2

NHKホールの建物も舞台も平凡なものである。

しかし、舞台が開くと生まれ変わるのである。いつも照明が素晴らしく輝く。二階席に少し空席があるだけでほぼ満員。
大きく二部に分かれていたが、中10分の休憩を挟んで殆んどが”キム・ヨンジャ”の歌で構成されていた。

5時終了。満足なリサイタルであった。

「今、終わった!」
「お風呂と食事の用意できてるよ!」
今日は、ゆっくり渋谷で買い物をしょうと思って出てきたが、思ったよりも時間が長引き直ぐ帰る事にした。
外は今にも雨が降りそうな感じ。渋谷駅行きのバスに乗ろうとしたが、行列が長い。歩く方が早いと思って散歩のつもりで動き出した。
何処に行っても人任せで、何にも覚えていないけれど、この渋谷だけは自信がある。

過去渋谷のど真ん中で6年生活しているから、どの道に迷い込んでも不自由しない。
距離感もわかっていて、そういう自信もあるから、歩く事にした。

Photo 丁度懐かしい宇田川町内会の神輿が目の前に来た。

目黒と違って派手さがある。

集客もさること乍、集金の差もあるだろう。

ハチ公前広場に来た時「日経の号外でーす」
「自民総裁に福田氏」と大きく出ている号外を配ろうとしていたが、雰囲気が可笑しい。
号外が出た時に過去何度か出くわしている。そういう時は号外を持っている人は自分が倒されないように立っていれば良いだけであるが、今日は「号外です」を連呼している。
その周りに人は寄っていかない。私自身もそんな気持ちである。

丁度ハチ公の前で号外を配っていた人は新聞を持つ手が疲れたのか、置いたまま「日経の号外でーす」と声を張り上げていた。
如何に人気の無い号外である。

ポツリポツリと雨が落ちて来た。渡されたから貰った号外を手に急いでバスに駆け込む。

本職の立ち場からこの選挙を判断すると、

福田さんと麻生さんは正反対の質を持つ人物であり、森喜朗氏と福田さんは同じ質。麻生さんは、民主で言えば岡田さんと同質。
方や「穏やかに穏やかに、話し合いをして…」の一点張りの福田さんに対し、麻生さんはメリハリをつけて物を言う人。だから街頭演説は聞く人の心を惹く。

福田さんは再度の挑戦に強い人で、混迷の時に出て来る役目。そういう意味でも条件が良いし、さらに今年は運気が良かった。

一方、麻生さんはミステリー期の清算期の人だから少し早すぎた。次の機会を待ちたいものであるが、この人自身、今少し稼動力が低いのが残念である。

福田さんの言葉は、はっきりしない事が多い。しかし、決める時はきつく思い切った事をする事を忘れてはいけない。又その言葉は人の心に刺さる程である。

と言うと、最初の言葉と矛盾するが例を上げるとこういう事。
喧嘩をしている人達の間に入って「皆、誰とでも仲良くしょう。喧嘩しないで、穏やかに話し合いしましょう」と割って入ったつもりが、気がつけば何も纏まらず自分も一緒になって喧嘩して殴ってしまう状態である。

揉め事の仲裁に入っても、何も纏められない人なのである。

前総理の「放棄」と似たような事が無い!とはいえない。案外無責任な所があり、クールで取り付くしまのない人と見る。
前総理ともう一つ似ているところは、決して人のいう事に耳を貸さないと言う所が同じである。人の意見に耳を貸さないという事は、人のいう事は参考にしないのである。
さらに福田さんは、自分の体験で物をいう事においては強いけれど、体験できてない事には全くの駄目人間である。
この様な人が、一般人が期待する「格差社会をなくす」働きが出来るのであろうか?
弱者の立場が理解できるであろうか?
云っても響かない相手に物を申すのも「如何なものかと思う」

そんな期待の薄い総裁誕生を表現する「号外」の配布だった。

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”残暑の夕日”

「暑さ寒さも彼岸まで!」
明日は秋分の日。東京は今日も最高に暑かった。
しかし、この暑さも今日までで明日からは平年並みの気温に戻ると言う嬉しい予報。

夕方、部屋から外を眺めると、遠くで夕日がビルの窓に反映しているのが見えた。
見方によっては、ビル火災と間違う?品川区大崎あたりになる。Photo
最近は部屋から見えるだけでも、彼方此方に立派なビルが建ち始め競い合っている感じがする。

「この部屋に来ると、本当に都会だなーと感じるね」
子供達が良く言う。

Photo_2

 先日頂いた岡山の葡萄も、 猛暑の時に最高のおやつになった。

秋深まる頃には、郷里にお墓参りを予定している。

一時の真っ赤な夕日がせわしなく色んな思い出を蘇らせ、ビルの陰に沈む。

「今日一日も元気で過ごせました。ありがとう!」

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”その考え、余りにも厚かましくない?”

先日「東急セミナーBE」で一日体験があった。
”今回は、このような感じで進めて欲しいのです”という要望があり、それにそってメモを用意した。

「何でも占いに関する質問がありましたら、おっしゃって下さいね!」
一人の男性が手を上げた。
「このセミナーで占いの勉強を半年続けたら、人を占って商売できますか?」
「じゃ、貴方に質問します。もし、半年此処で勉強をした人に自分の人生を占って貰いますか?」
「それは、嫌ですね!」

私ははっきり物事を云う。例えそれが人集めに対して不利な事であろうとも。
「今のような質問を良く聞きます。この様なカルチャーセンターは、彼方此方で沢山あります。何処のカルチャーでも一人でも多くの人が来て、人数の増える事を望んでいます。それは当然です。私達講師は、生徒さん達がその時間を楽しみにして通われ、問題が起きない様に気をつけて授業を進めます。それが与えられた役目であって、プロに仕上げる気持とは違います。ここはプロを目指す人の窓口と考えてもらった方が良いと思います。しかし、あえて個人レッスンに進める事も致しません。その様に手招きする事はご法度という気持ちで教壇にたっていますから…」

たかが占い!されど占いである。
何をするにも、長い時間とそれに伴う経費もかかる。タカが半年で何が勉強できているかである。
”たかが占い!”と思うから、時間もお金も掛けないで、お金儲けが出来ると踏むのである。

高校を卒業しました。大学を出ました。その学校でお金儲けの仕方を習いましたか?教えてくれるだろうか?
基礎から、上級のお勉強であってお金儲けのノウハウでないはず。
学生時代勉強した色んな基礎があって、それを活用して世の中で生きてゆくには無駄にはならない。
しかし、それがすぐお金儲けには使えないという事は身を持って体験している事と思う。
如何にその人に商才があるかの問題も加味されて、言うなれば何を学んでもお金儲けに繋がって行かせるのもその人の才覚でもある。

苦労せずノホホンと6ヶ月通ってそれだけでお金儲けが出来る位なら、世の中で占い師は存在しない。
何故なら自分が半年勉強すれば良いのだから…。

何故?その様な簡単な事が理解出来ないのだろうかと思う。
そしてその様な質問をされる度に”あなた、人の人生を何と考えている!”と思い、腹立たしくなる。

反対に話を聞くと、世の占い師がどれ程の勉強を重ねているかにも問題がある。

易占やタロットは「今」を占うには良く当たると言われる。しかし、過去や未来は占わないという。
私達は、ズーと先の人生を判断して今の生き方を指導する。
今日の精神状態や明日と言う簡単な事でなく、「先見の明」を占いの勉強を通して心得ている。
だから、長い年月体験と勉強を怠る事無く続けているのである。

余りにも厚かましい考えは反省して、努力が何時かは「実を結ぶ」と言う気持ちで頑張って欲しいのです。

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人任せ!

今日は目黒区主催の「サンマ祭り」が開かれていた。
宮城県気仙沼から運ばれたサンマを炭火で焼いて無料提供する。
昨年は5千匹のサンマが用意されたそうである。

今年も昨年の暑さに負けない強い日差しが、朝から射していた。
昨年は夏物衣料を整理していて、お祭りには行かなかったのを思い出す。

今日も残暑が厳しい。朝からパソコンを打ちながら、息子からの電話を待っていた。

「お早う!今日はどうするの?」
「電話が来るのを朝から待っていたよ!」
「起こしてくれと頼んでいたのに…。じゃ、出かけよう。12時半不動前駅だ」

以前から気になっていたお墓の汚れの事と、どうしても確かめておきたい事があった。

不動前駅で東急線に乗車、武蔵小杉に向う。
「住所は?」
「エーッと、知らない」
「じゃ、駅名は?」
「うーん、思い出せない。考えるわ。以前一度行ってくれた時は、下北で乗り換えたじゃない!」
「今日は、路線が全然違うのだよ。参ったなー」
息子が私の携帯を取り上げ、メールを打っていた。電車は容赦なく進む。
「返事来ないなー」
私も娘にメールを打つ。しかし、返事がない。

その内電車は武蔵小杉に着いてしまった。
「駅で、地図(路線)を見るから大丈夫よ!そうしたら思い出すから」
「駄目だよ!ここはまだ東急線だから同じだよ」

「もしもし…」
「は~い」どうもお昼寝をしていたようである。
「お母さん、何処に行くのか解らないの?」
「何!どうしたの?」
「行く先がわからないの。下車駅の名前は何処だった!」
「鶴川よ!あー、びっくりした」
「ありがとう。思い出したわ」
出かける前に娘が部屋に来ていた。
「三人で出かけたら皆疲れて夕食の用意するのが大変だから私は留守番するわ」
そう云っていた。急に私がボケて物忘れをしたのだと取ったようである。
物忘れは酷いが、まだボケ症状ははっきりと出ていないつもりであるが、しかし…疑わしい。

お陰様で目的駅がわかり、JR南武線に乗り換えて登戸へ向う事になった。
「この切符は、下車する所まで買ったからね」
「うん!」

登戸に着き、次は小田急線に乗り換える事になった。
「切符を取ったよね」
「改札口に入れたよ!」
「持っているの?」
「ないよ」
「駄目じゃないか、通過するだけなんだよ!」
「駅員さんに言わないと」

「もう、切符は僕が持つ。あんたにはその場で渡す」
”云われてしまったよー”

それでも、予想していた時間よりも早く着き墓地までの道すがら、秋になり稲穂の色づきに感心し、ナス畑を見渡しながら暑い沿道をすすむ。
一年半位の間にすっかり周囲が変化して、造成地が墓地になっている。

003 まるで此処はお墓の銀座である。
管理事務所も分散されポリスボックスの造りで点在して警戒を強めている感じ。

「こんにちは、今日は墓石の拭き掃除に来ました」
「行ってらっしゃい」女性の管理員が出てきた。

暑さの厳しさにめげず、墓石を二人で拭いていると男性の管理人が側に来て見ている。
「この墓地は、被害に遭わなかったのですか?線香立てに花立があるかどうか気になり確認しに来ました」
「此処は被害に遭っていませんよ!反対に持ち主の方に電話を掛けた位です。皆さんが心配して自宅に持ち帰っているのですから」
「うちはどうする?お母さんの遺骨を抱いてお墓に来ました。”線香立ては?花立は?ありゃー家から持ってくるの忘れました”じゃ何にもならないわね」
「管理事務所でも、預かってはいますけれど…」

運気が良いので、そのままにしておこうと思った。何も置いていないのも妙に墓石の値打ちが下がり感じが悪い。

汗だくになったので、墓地の隅で上着を着替えて帰る事にした。
「ご苦労さん!さあ、昼食をとりましょう」

「少し墓地が遠すぎたかなー」
「そんな事ないよ。伯母さんの事や板屋(祖父母)の事を考えたらうんと近いよ」
「そう、お母さんは来る事ないから良いのだけれど、来てもらう事考えたらね遠すぎたかなーと思うの」
「家から往復約2時間、電車賃は往復1500円弱。しかし、駅から墓地までは歩かないでタクシー使ってね」
「僕は歩く、沿道の畑を見ながら歩くのは楽しいよ!」
「目的は墓地でなく、君の場合は虫にあり!」

不動前に着いたら5時前であった。今日の日曜日も失敗もあったけれど楽しい日でした。
来週は、NHKホールに出かける。
一ト月をこの様に過ごしていると、本当に短く過ぎてしまう。

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夏の夜の思い出話!

猛暑だった夏の夜が嘘のような昨今、秋の夜長に鳴く虫の音を聞きながら眠りに入る幸せなひと時に”その時あなたならどう対処する”という感じのお話をしたいと思います。

じっくりとその人の立場に立って考えてみて下さい。

この歳になると食事に行く相手もグーンと若い人である。昔は年配者に連れて貰ったものだけど、今は違う。
ある時、渋谷・東急セミナーで仕事を終えて、6時にホールで待ち合わせた。

「何処に行きますか?」
「そうだね、どうする」
「私が一度行きたいと思っているお店に付き合って下さいよ!」
という事で行く先が決まった。

世間話をひとしきり、ねた切れになった頃その人は家族の話を出して来た。
「娘が今月お産で帰って来るのですよ!」
「そう、それは楽しい事ですね。初孫さんですか?」
「そうなんだけどね…」

{娘が帰って来るのは楽しみ!孫が生まれるのも嬉しい。しかし、である}
「お父さん、あの娘に彼氏が出来たんだって、結婚を考えているらしいのよ」
ある時奥様が、ソーッと耳打ちしたらしい。
「何処の誰と?」
「写真があるから見てみる?」

アルバムを手に総合写真に写っている一人の男性を指差し
「この人よ!大勢で写っているので見難いけれど」

まじまじと眺めていたが、オヤッと感じる事がありアルバムの表紙を見直すと…
「このアルバム、君の時の卒業写真じゃない?」
「そうよ、私の時のよ。彼はその時のクラスメイトだったから良く知っている人よ」

奥様は、夫より一つした。娘の夫も自分より一つ下という事になる。

その人は、その時どの様な返事をしたかは聞かなかった。聞かなかったのは私の配慮。
一番反対したのが息子さんであったそうだ!
「俺は絶対反対だよ!妹の婿さんを何と呼べばいいのだっ」

「古典落語よりズーと面白い現在版の落語が生まれそうね」
「参ったよ~」

今頃は、目を細めてお爺ちゃんを演じているでしょう!その後の話は知らない。

その人と別れ際に思った。年下の男性と食事をしちゃった!私も歳を取ったものだと。

大粒の汗を流して席に着いた若者を、私は痺れを切らして待っていた。
「仕事終わった?」
「もう一度、社に戻りますから後でゆっくりします」

此処は、彼が一度入ってみたいと思っていたお店だそうである。
私は、過去に4,5回来ていた。
「思い切り飲んで、食べたらいいわよ!」
息子にご馳走する気持ちで世間話をし、仕事の話をし飲み続けた。

「以前、友達と飲んだ勢いでカラオケをしに行ったんですよ!僕の番が来てイントロが終わり、さあ歌いだそうと思ったら…」
そこで話しに詰まった。
「どうしたの?何か起こったの」
「テレビにお袋が出て来て…。何じゃ、これはですよ」
「えー、お母さんが、それで歌は歌ったの?」
「歌いませんよ!お袋見ながら声は出ませんよ!」

その歌の題名は聞かなかったが、おそらく演歌である。配役応募で選ばれたのであろう。
息子の驚きも分からないでもない。

今日は、この辺で。

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リラックスした休日!

先週の失敗があって早くも一週間が過ぎた。
その間、授業をしながら鑑定し、ネット占いの原稿を一つ仕上げ、忙しかった。

その様な意味で第二週目の日曜日は心の底からリラックスした。
丁度、8、9日は大鳥神社の秋祭りである。町内総出でお祭り騒ぎになる。
今年は、隣の元銀行の跡地が「宮本」の陣になっていた関係上、朝から大きな笛太鼓のお囃子が流れる。Photo 
賑やかなものである。

私は今年初めてお祭りに少しばかり”奉納”させて貰った。
家族元気で仲良く毎日を暮らす事が出来るのは、氏神様のお陰である。

8日の夜は、夜店で賑わう大鳥神社の境内を散策した。出店は多いが人の出入りは今一少なく感じる。

Photo_2 夜の街を沢山の神輿が「わっしょい、わっしょい」女神輿も元気なものである。

大たこ焼きを買ったら、一つ80円程につくと云って騒ぎながら子供達が食べていた。
これもお祭りの賑わいの一つである。

夕べは熱帯夜で寝つきが悪く、夜中に起き出してノートを見て過ごした。
朝からお囃子が賑やかである。

洗濯してお部屋の掃除を済ませシャワーを浴びてすっきりしたらお昼になった。
娘が用意してくれた「パスタ」を食べ、午後からは賑やかなお囃子の音楽を聴きながら、お昼寝をする。
「なーんだ、昼寝していたのか。しかしこの喧しいのに良く眠られるね!」
息子があきれた様に云いながら家に来た。
「工事なら振動があるけれど、祭りの音楽は子守唄みたいなもの」
それから、暫らく昼寝の続きをした。

「平和な日曜日を過ごしたね!」
同じ事を考えながらいたのか、娘がそういって夕方入ってきた。

この平和な時間も今日でしばしお休み。明日から一週間は連続で仕事が入っている。
次の日曜日は又楽しい計画があるが、どうも”目黒のさんま祭り”でもあるようだ。

元気で何より。

働く時は一生懸命頑張ってまた充実したお休みを迎えたい。

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休日

9月の最初の土曜日、孫の学園祭があり、クラス全員で”よさこいソウラン”を踊ると云うので娘と見に行った。
テンポの激しい踊りは見ている分には楽しい!
身体は動かないが、気持ちが一緒に踊る。なんと楽しい事!
{今時の高校生の文化祭はこういうものなんだ!}と、色んな事で珍しく又特別若さが羨ましく思った。
男子生徒も一生懸命に踊る。大漁旗も立派に刺繍までしてつくられていた。
孫の踊る姿を見に行ったのでなく、孫達が踊る”よさこいソウラン”を見に行ったのである。クラス全員が玉の汗を流して踊る姿は、とても頼もしい感じがした。
孫の高校最後の学園祭で私も一緒に思い出を作らせてもらった。

次の日の天候は暑過ぎる事無く、お散歩に丁度良い感じである。
息子をお供に横浜に行く事になった。私が頼んだのである。
10時半に東急不動前駅~武蔵小杉まで電車に乗り、その後乗り換えて横浜に出た。
横浜からはJRの京浜東北線で、関内に行った。
夏休み最後の日曜日とあって子供連れの親子が多く、横浜から乗り関内駅で多くの人が降りる。
「今日は、巨人とデイゲームが横浜スタジアムであるからその人達だよ!」息子がそう云う。同じ関内駅で下車して、私達は目的地の伊勢佐木町を目指す。

今日は日曜日だからか、一丁目からズーと歩行者天国になっている。初めての商店街を四丁目までのんびりと歩く。
今回、何をしに伊勢佐木町まで来たかは、息子には云ってない。Photo_4

「此処だ!これよ」私は一つのモニュメントを指差し、早速携帯カメラに収めた。
「これ、何?。これを見に来たの?」
Photo_5 「そうよ、これを見に伊勢佐木町まで来たのよ!」
「何も書いてないのに、これがそうだと何で判断するの?」
「テレビで見たから解るの。そして横に名前が書いてあるから間違いない!」
Photo_6 「ワーッ、ここだ!満足満足」
はしゃぐ私を見ながら、息子は不思議がる。
「本当に、これでいいの??」
「いいんだから、このモニュメントを見に来たのだから、少々字が見えなくともいいの」

「じゃ、次は何処?本当に此処なのかな…」
納得行かない感じの息子は、何度も聞き返す。

目の前の派出所に飛び込んで、次の目的場所の所在を聞いた。
「この先の広い交差点を左に進むと、日の出駅があります。その坂道を進まないで、右にある下の道を進んだバス停の近くに建っています」
おまわりさんに道案内を頼むとそう云われた。
「さっき聞いた行きかたを、もう一度云ってみて」
何度も、私に反復を促して道を進む。

ぼけた人を相手にしている感じに聞こえしゃくにさわるが…。
やっと、目の先に銅像らしきモノを見つけた。

幼い頃からフアンだった「美空ひばり」のモニュメントである。
{横浜が生んだ不世出の歌姫、美空ひばりの像である。哀しき口笛を歌った頃の十代の姿であることも彼女の原点の地であるにふさわしい。実家が魚屋であった彼女の長いお得意先が、この像のある寿司屋だという。ここのご主人は最後まで、ひばりの理解者だった…}Photo_7

「僕の携帯で撮っておくよ!」
このモニュメントには、彼も納得の様子である。
私も一度このモニュメントを見たいと以前から思っていたので嬉しかった。

「さあ、今日の目的はこれでお終い。次は食事ね」
「さっき伊勢佐木町で美味しそうなかつおのお寿司があった。そこへ行こう」もう一度、四丁目まで戻った。

昼食を済ませ外に出ると、
「さっきの場所にもう一度行こう。そこにあるから…」
彼が言うので従った。
{オヤッ、何処からか歌が流れている。青江三奈さんが歌う”伊勢崎町ブルース”である}
側に行くと、初老のご夫婦が車道にたたずみ流れる曲を聴いていた。Photo_8

ピアノの形をした大きな記念碑があり、伊勢佐木町の名を一躍有名にした、青江三奈の名曲「伊勢佐木町ブルース 」のモニュメントである。
私も側に行きボタンを押した。そこで初めて納得した。Photo_9

先程はこのモニュメントを歩道側から見たので裏であった事に気がついた。
Photo_10 そして先程撮った写真が「ピアノ」の後ろ側であるのに気がついたら可笑しくて笑いが止まらなかった。

{そうだよな、確かテレビで歌が流れますと云っていた。音符も書かれていたけれど、不思議だとは思っても裏側から見ているとは感じなかった。
もう建てられてから月日が経つので、雨や風の影響で字が消えたのだと思って納得して訪ねるのが遅すぎたと、自分の心に言い聞かせていたのだ}

先月「BS エンターティメント 歌伝説 青江三奈」を見た画面と同じ感じで、写真を写しなおした。

「変だ、変だと思ったけれど、裏から見ているとは気がつかなかったね」
このような物に興味の無い証拠が息子の様子でわかる。これが本当のお供の役かな?

テレビで魅せられて、モニュメントを是非見に来たいと思った私も単純であるが、モニュメントの裏側を見て満足する私はもっとおバカさんである。

しかし、楽しかった。

帰りの電車でも思い出しては、可笑しくてしょうがなかった。
不動前駅で下車して、彼は自宅へ帰った。

満足した気持ちで歩いていると、五百羅漢寺の門前に
”幸せは得るものでなく 感じるものである”と書いてあった。

本当に幸せとは、感じるものであるのだ!とつくづく認識した。
例えば、お昼食に違う場所で食事をしたなら、青江三奈のモニュメントは後ろ側しか見なかった事になる。
しかし、私は行きたいと思っていた場所に行けた事、息子がお供に行ってくれた事に喜びを感じ「何と私は幸せ者」と神に感謝するだろう。

お散歩の締めくくりに良い言葉と出合い機嫌よく家に戻った。
今日の話を娘にすると

「何で、前も後ろも確認しないのかその気持ちがわからない」
と、一笑されて終わった。

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”お赤飯”

私はお赤飯が大好きなのです。ですから何かにつけて赤飯を炊いていました。
例えば小さな喜びの時でも、その事を内緒にして嬉しさを赤飯で表現したものですが、
この頃子供達と食事をする機会が増えてからは、子供の意見が優先になり「赤飯却下」なのです。
しかし、今回はどうしてもお祝いしたい事があり、秘かにもち米を用意しておきました。

誕生日を迎えました。この誕生日は運勢上でも大変な意味があるのです。
現実には、姉が亡くなった歳と同じになりました。私は当時の姉よりも元気です。これはとって有難い事なのです。

子供達と孫が誕生祝いをして、私を喜ばせてくれました。Photo
現状では、何も悩みのない穏やかな誕生日を皆で楽しみました。

あくる日、昼食に3合の赤飯を炊き、先ごろ甥っ子から送られた”串本の干物”を焼いて、秘かに一人で舌鼓を打ちました。
お米2合:1合のもち米に小豆0.5カップの量です。この目安の赤飯が美味しいのです。
残りの赤飯は、ボツボツ毎日頂くのです。満足な誕生日でした。Photo_2

暫らくして、今度は子供達にお返しの夕飯を招待した。
ワイワイガヤガヤとお店も、私達のテーブルも賑やかな時間を過ごした。
この様な幸せな時間を持てる事は、本当に神様に感謝です。

出て来るご馳走を眺めながら、今日と言う同じ日が「二度と来ない」のだと思うと、大変感慨深かった。Photo_3

次は5年後、もしも私が元気で存命ならば、生徒を一堂にして「お別れの誕生会」を催そう。

その年は「宿命百占学」を披露目してから、満25年になる。

側で家族が集う賑やかな話題からそれて、私は自分の世界に入りその様な事を計画立てていた。

食事が済んで、外に出たらとても涼しく気抜けがした。
「昼間のあの暑さは何だった?」

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真夏の贈り物!

「叔母さん、今魚屋に来たら美味しそうな開きがあるから少し送ります。住所メールして下さい」
和歌山県串本町に住む、甥っ子のお嫁さんからメールが入る。

翌日、新鮮な開き類が届いた。Photo
鯵・ふぐ・カマス・それに鯵の味醂干と、沢山の干物が入っていた。
「わあーッ」嬉しくて歓声を上げた。

これで、お昼の焼き魚の心配はいらない。

Photo_2 Photo_3 お昼は必ず焼き魚が欲しい。

そして夕飯には必ず一品お刺身を付ける。

これが我が家の食事メニューの定番である。

関西育ちの私は、スーパーに行ってお魚を選ぶのが大変である。好き嫌いが多い。
焼き魚では、子持ししゃも・鮭の辛口・鮎・新物のサンマだけ買う。
それでいて、お昼は煮魚か焼き魚がないと食事はすすまない。
 
夏の初めにサンマの新物を見つけ買った。一匹450円だった。それから少しして、渋谷東急の駅ビルの魚屋さんで、一匹1200円というサンマを見つけた。
買うか、どうしょうか暫らく悩んで諦めた。
1200円のサンマの味を知りたくて買おうと思ったが、みんなの分を買ったら相当高い物になる。
「同じだったら、お肉の方が良かったのに」と、きっとブーイングが来る。
しかし、心残りはある。確かに新鮮な艶というものがあった。

あのサンマの姿が、そこのお店に立つと頭に焼き付いている。
今は、一匹200円足らずでお店に並んでいる。もう、そうなったら魅力がない。

それよりも”南紀の冬の名物”サンマの丸干しが待たれる。

欲・得には興味がないが、食欲に対する気持ちは旺盛である。
明日の夜は、夏シャブを食べに行く約束をしている。そこでもやはり、お刺身が出る。

お魚を食べない日は一日とてない。

私の心の乾きを見抜いて「干物」を送ってくれた若い夫婦に心から感謝する。
「真夏の最高の贈り物です。ありがとう!」

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熱い?夜!

「うちの番組の再放送です。もし、時間がありましたらみて下さい!」
最近知り合った人から、ファックスが送られてきた。

BSの番組をみたことがない。転居して凡そ3年きちんとテレビがセット出来ていない。
この頃、朝の7時前後からNHKのニュースをみる。その後は、夜の10時頃の報道ステーションを日常みる位である。
ワイワイ云って娘にテレビをセットして完全に見られる体制に整えてもらった。
何一つするにも子供達を当てにして、自分でやろうとしない状態が出来上がっている。

{BS エンターティメント 歌伝説 
岸洋子・テレサテン・ちあきなおみ・ザ・ピーナッツ・青江三奈の世界}

8月6日~14日までの間で、午後7時45分から、90分間の5日間に渡る放送時間である。
仕事をセーブしながら、計画を立ててその時間帯に合わせた。
テレビの前に陣とって、まるで舞台を観る感じで熱心に聞き入った。

テレサ・テンは可憐だった。
まだ、何処か可愛さの残る大人であった。
「マミーね、昔テレサ・テンに似てるって云われた事があるんだ!」
孫にいったら、
「ふーん、どこが?」と云って、疑いの目を向けている。
「本当だよ!あんたもその孫なのだから喜びな」
あきれて声も出ないという感じだった。
「私も、42,3才で死んでいたらもっと惜しまれたかもね。そしてテレサ・テンに何処か似てたよねって言われてさ。少し長生きしすぎて醜くなったから、”バカが何を云っている”位にしか解って貰えないのだね」

「解りました。わかりました。信用します」
孫が逃げて行った。
何処が似ていると思われたのか、よくよく観察するとわかった。
悔しいかな、少しタレ目の感じが似ているのである。口に出すのでなかった。

そんなことよりも、以前何処かのチャンネルで「テレサ・テン物語」をみた。しかし、歌番組としては遥かにこちらの方が上だった。

9日:ちあきなおみの世界
聞き惚れて、瞬きをするのも勿体無いくらいテレビに見入った。
”喝采””紅とんぼ”等待ってましたと言う気持ち。
こんなに素晴らしい番組は知らない!と思う。今まで見たどの歌番組よりもとても重量感があった。もう、酔いしれた。

大満足して、次の13日:ザ・ピーナッツの世界。
殆んどが白黒の世界、家のテレビが壊れたのかと勘違いするほど画面が悪かった。
白黒はやはりみずらい。歌を聴くのであっても画面も必要である。音が割れるのでこれは勿体無いが…。

14日:青江三奈の世界。
次々と、夜毎真面目に観るものだから、娘が”すいか”をソーッと差し入れしてくれた。
ちあきなおみの世界の時は、口に入れる余裕がなかったけれど、その夜は違った。
すいかをほおばり、ゆっくり聴くことが出来た。食べ終わるとソーッと廊下に器を出して置く。
「お母さんも食べたよ!」クスクス笑う、そんな声が隣でする。

この青江三奈さんは真面目な歌い方をする人だった。言葉の最後まできちんと発するのである。
昔、カラオケを習った時、「最後のところは、はっきり云わない!」と云われた。
その様な事を思い出しながら聴いていると、ちあきさんはその様な歌い方をした。
しかし青江さんは、はっきりと違った。
何か歌う流儀と言うものがあるのだろうか?誰かに又聞いてみたくなった。

歌を聴き終えると、私の宿命の勉強が始まる。相棒との相性を見たり、運勢の流れをみる。成功者というのは、特に歌の世界では小さい時からの努力が大変である。環境も大切である。色んな事をおもいながら、蒸し暑い夏の夜を今聴いた歌の余韻を大切にしてその人を紐解く。

BSの歌伝説にめぐりあえて、私は燃えた。
”喝采”が世に出た時、私は夫を亡くした翌年だった。テープを掛け掃除機を使いながらこの歌を覚えていた。泣きながら、掃除機の音でごまかしつつ…。この歌を聴くとその当時の自分の姿が蘇る。
”紅とんぼ”は、東京に来て水商売に身を任せつつ…。やめる時を狙っていた。
そんな懐かしい思い出が「歌」に沁みている。

横浜・伊勢崎町には、青江三奈さんのモニュメントが建っているという。
涼しくなったらそこに行こう。

先の楽しみまでが出来た「歌伝説」の夏の夜でした。

「こんな素敵な番組を教えて頂いてありがとう!これからのさらなるご活躍も祈っています」

テレビの横にある仏壇から、お線香の香がソーッと顔を撫でた。
「今夜はあなたも一緒に、聴きましたか?」

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"目と気”

人間の中には、不思議な力を持つ人がいる。
普通の人には見えないが、その人が嗅ぎ付ける「気」というものがある。
インターネットで私を見つけたと言う人が「東急セミナー」に入った。
私の何かをいたく気に入ってくれた様子。何かを感じさせるものがあったのだろう。

「”火の玉”の話で共感しました。私は病院のベットで、隣のおばあさんが泡を吹くのをはっきりと見ました。しかし、誰にもそれが見えなかったらしいです。その人は、間もなく亡くなりました」
その話を聞いて、私自身が驚いた。

「私ね、自分が泡を吹く夢を長い間みて苦しんでいました。何で泡を吹くのだろう…と夢の中で考えていましたが、分からなかったです。しかし、何処か身体が悪いに違いないと思っていました。身体から毒を出しているのだと考えてましたが、どうしょうもなくそのままでしたが、今年になって、ある事をきっかけに体調が物凄く変わり、元気になるとその泡を吹く夢で苦しむことが無くなったのです。泡と言うけれど、ぶくぶく、ぶくぶくと止めどなく口から出る感じで苦しい思いをする上に、妙な匂いがするのを感じるのです。何かは分からないけれど健康体でないという事だけはわかっていました。貴女のお話を聞いて納得した感じです」
そんな紹介からその人は、机を並べて勉強する事になった。

そして、私を目の前にした時にその人の「気」に感じたものは、ベージュとお猿さんだったそうで、次に見えた時
「これ、私が第一印象で感じたものです。」Photo
と云って、鞄に引っ付けて足早に帰っていった。

「お見事です!」

私の性格はナチュラルなのです。私の言葉は脚色がないのです。
Saru

そして「申年生まれ」ではありませんが、宿命的に申が一番影響しているのです。

活気ある人が入ってくれて、教室の中が一変した。同色ばかりで勉強をしていると感じない事がある。他の生徒達の勉強の為にも、「違い」と言うものが判断しやすくなった。

それにしてもインターネットという世界は、無限の力があるものだ。
襟を正し道しるべとして、さらなる努力を積み重ねようと胸に誓った。

「中庸の精神」に、恥じない様に!

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それって”ノイローゼ?”

私のココログを覗いてくれている方に質問します。
あなたの精神状態は、普通ですか?それとも今月に入り特別”ブレ”がきつく感じますか?

ある人に私は悩みを訴えられました。しかし、私は返事をしていません。
何故なら、今年の今月はあなたの精神状態は「ノイローゼ状態」だからです。
もし、このココログを読んで下さったなら、来月まで「慌てず騒がず」静かに過ごして下さい。
それが、私の返事です。
今、あなたに何を回答しても、無駄だからです。
一つの事に凝り固まってしまっているのです。

その状態が「ノイローゼ?」の原因になるのです。

今月は、特別症状がきついのです。
来月になったら目が覚めると思います。
しかし、この様な事を返事として送っても、あなたの回答にはならないので今は失礼します。

もし、他の方で大変精神状態がイライラする人が居ましたら、まず今月は我慢して下さい。8月に入り暫らくすると、気持ちが落ち着いて来ます。
今年の今月は、腹が立つのが症状です。

無性に腹が立ったり、気持ちが落ち着かないのです。
特別そういう症状をきつく感じる方がいらっしゃると思いますが、相手がどうのこうのでなくて自分の精神状態が悪いのですから、喧嘩腰にならないように気をつけて下さい。
今月は最高に悪い時ですから、そこを過ぎれば楽になります。

あなたばかりが苦しいのではありません。

何事にも巡り合せというものがあって、たまたま今年がそういう巡りになっただけですから、辛抱して下さい。

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”照り焼き?”

夕方になって買い物に出た。猛暑である。
{今日は、こんなに暑かったんだ!道理で洗濯物が良く乾いたと思った}

「学校から帰ったら、直ぐにお風呂に入りなさい。用意しているから」
「はーい!」
孫から、元気な様子でメールの返事が帰ってきた。

5時少し前に真っ赤な顔をして入ってきた。
「今日は、暑かったね!」
「そうよ。暑くて”照り焼き”になると思って心配しながら歩いたわ」
思わず吹き出した。切実なる孫の気持ちが表現されたのである。
「そう、照り焼きまでゆかなくて良かったね!塩焼きのきついの位かな?」

夏休み前の水泳の時間で、もう充分に日焼けをしてしまっている。
だから、これ以上は日焼けはしたくない乙女の心境なのである。
「学校を出たら、夕日が私の顔を綺麗に照らしているの、もう悔しくって!」
お天道様にも腹が立つらしい。

「暑いから、シャワーだけでも良いかもね!」
「そうは思うの、しかし、湯船のお湯を見てしまうと入りたくなるの」
「そう、そう、小さな頃、水溜りを見つけると、”にやっ”としたかと思うと、”ジャブジャブ”と必ず入っていたもんね。その気持ちと同じなのよ」

お風呂に入ると、今度は歌の練習が始まる。
元気で体調の良い証拠である。
とにかく大きな声を張り上げて歌っている。本人曰く「発声練習」だそうである。

歌の聞こえる時は、頭を洗っているのだそうだ。

静かになると湯船に浸かってのんびりしているのだそうである。若い人の何やら理解し難い歌の文句だけを私も覚えてしまった。

キッチンで夕飯の支度をしながら、湯上りの”照り焼き”顔の孫を見て”小さな幸せ”に満足する。

その我を振り返り、つくづく「歳を取ったなー」と思った。

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”お盆です。母に会いました”

店先に並べられた仏様のお供え物を眺めながら、「東京は、もうお盆になったのだ!」
と思っていたら、夢を見ました。

母と姉がいました。姉の姿は見えなかったけれど、母のしぐさで姉のいるのが分かった。
姉は寝ているらしく、母は姉の看病をしている感じだった。
掃除機を黙々とかける姿が見えた。

「お母ちゃん、今朝は私が食事の用意をするわ。この頃私、パン食なの。その時に作る野菜の炒め物でもいい?油は使ってないからね」

母の返事を聞きたくて振り返ったら、そこにはもう母の姿は無かった。

「お母ちゃん!…」
自分の声で目が覚めて、妙に気持ちが落ち込んだ。
夢でもいいから、もっと一緒に居たかった。

Photo_120 その朝、姉の子供から大きな”桃”が送られて来た。
「姉さん、お母ちゃん、ミーちゃん達からだよ!あり難いね」

仏壇に語りながら、お供えをした。

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”社保庁の故意?”

家で座っているだけで、色んなニュースが飛び込んで来る。
一足早くと言うか、こんな事までがという話がよくある。
今回の話題もそうである。

別段それが、人生相談に関係しているのでないけれど、ご挨拶代わりのリップサービスとして耳にした。

「今日、あの問題の「社保庁」の書類を見ました。そこは仮の事務所になっていて、ガランとして何も置いていない広い部屋に書類が沢山並べれられていました。手にとって驚いたのですが、氏名○○のところに「磯貝」と書いてありました。しかし、その名前の振りがなに(かんばら)となっているのです。次の人は、苗字でなく名前の方に「洋一」とありました。それには(ひろかず)とかながふってあったのです。この様な調子で、物凄い数の書類です。しかし、いい加減でない?社会保険庁の怠慢さが良くわかった気がしました」

とその人は、テーブルに着く前に紙を出し、文字を書きながら、言葉悪く表現すれば、まくし立てた。

その人が戻られてから、一人で今の話を思い出していた。どうも頭の隅から離れないのである。
磯貝=かんばら。洋一=ひろかず(
読めないでもないけれど)。

年金関係の話題が出た時、「名前の読み方」が違って云々。という事が云われて受給拒否された人を思い出した。

その言葉と照らし合わせるとふと気が付いた事がある。

社保庁の怠慢で無く、この様な状態になるのを見越してあえて社会保険庁はやらせたのでないかな?と、私は思った。

”未必の故意”を、やっていたのでないかと感付いた。

それは怠慢以上に込み入った作業である。

私はお陰様で、人生幸せに救われるように生まれているのかも知れない。
彼方此方、フラフラ職業を変化させたけれど、無事に年金が入る様になっている。

二年前、銀行のロビーの端でテーブルを出して座っていた人が声を掛けて来た。
「年金の事、調べてみた事ありますか?」
「無いですが、私は貰うつもりはないのでいいのです。夫の沢山もらっていますから…」
「亡主人さんとあなた自身の年金は別ですから、一度調べてみましょうよ」
「いいです。もう充分満足しているので、あてにしていないのです」
「今日、此処に座って退屈しているの。お願いだから、仕事頂戴!」
そう云われて、年金の手帳を持って行った。

暫らくして、返事があった。
「二年後のお誕生日からXXだけの年金が貰えますよ!。これは、あなた自身のですからね」

その二年がたった。今、手を差し出すと届く距離になった。
その時の、年金関係の労務士の方に感謝である。
お金は、いくら貰っても嬉しい。

ささやかな、しかし確かな老後の喜びでもある。

おしゃべりできる、ニュースを沢山持って来てね、待っています。

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”家族で散歩”

6月はとにかく忙しい月だった。しかし、完全に仕事はまだ終了していない。
日曜日の昼食を取っている時
「今日、買い物に行かない?武蔵小山まで!」
「何を買うの?」
「日用品を。電車賃使ってまで買うものでないけれど、たまに外に出て散歩もいいよ!」

「これから、私達は不動前から電車に乗って出かけます」
五反田に住んでいる息子に、メールを冷やかしのつもりで打った。
「今、何処?僕は不動前の駅でチケットを買っているところ」
「じゃ、今からそこに行くから、待っていて!」

東京へ来た昭和57年頃、目蒲線に乗って「チン、チン」という電車の音を聞きながら、良く蒲田へ出かけたものだ。
今では、すっかり何もかも近代化され、目黒の駅も、不動前の駅も綺麗になっている。

思わぬ事で本当に何十年振りかで、揃って散歩に出る事になった。

息子は、武蔵小山で良く買い物をすると言う。
アーケードが二箇所あって、人の賑わう方へ案内してくれた。

「新宮の仲之町を思い出すね!」Photo_118
二人が言う。
「こんなに大きくないよ。人間の数も違うし…」
超現実的な返事をしてしまった。

Photo_119 子供達が言いたいのは、懐かしい幼き頃歩いた親子のあの時を思い出し、その感情と現在をダブらせたのであろう。
故郷のあの街を、今のように三人で歩いた昔、全てが甦った瞬間だったのであろう。

子供の感傷を咄嗟に理解できなくて、悔やんだ。

「何時も、三人だったけれど、お父さんは日曜日は居なかったの?」
「そうだね、土、日は仕事だからね!」
父と一緒に、仲之町を歩いた思い出が娘には無いと言う。

今日は、その父の誕生日だった。
各々の胸の中で何を考え、長いアーケードの商店街を歩いていたのだろう。

日用品の買い物で、段々と手荷物が増えて来る。
しかし驚くほどの人、人である。そして物価が物凄く安い。目黒では考えも及ばないのである。喫茶店は何処も満員。

本当に、昔新宮祭りに集まった仲之町の賑わいを思わせる程である。
つくづく思う。東京は何処へ行っても人が蠢いている感じだと。
裏手の喫茶店を探して、一休みする。

帰りは、途中で息子と別れ、目黒駅迄電車に乗って、駅ビルへ入る。
物価が高いのは、解っているけれど、やっぱり目黒の匂いが沁みたこの町がよい。
夕食の買い物をして、振り出しに戻った。

すっかり夕暮れになっていた。

一日、一日を私は大切に生きている。家族との幸せをかみ締めながら、

”今日も本当に楽しい日曜日をプレゼントして頂いて有難う!”

明日から、またセッセ、セッセと仕事に邁進します。

こんな楽しい日が、又巡って来るように頑張ろう!

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”紫陽花のあめ”

風林火山でお馴染みの山梨・甲府へ仕事に行った娘がお土産に買って来てくれたお菓子です。
2_8 金平糖の紫陽花。

私はやはり”花より団子”がいいです。
でも少し、この状態で眺めましょう。

Photo_116 信玄餅といえども、こだわりの「桔梗信玄餅・吟造り」。
さすが、一味違っていました。

梅雨時と言うのに、雨が降りません。
美しい夕日を見ました。

夕日は瞬きを5,6回もすればうんと感じが違ってしまいます。
のんびりとした日々を過ごしていると、夕日の美しさにも素直に感動をします。

Photo_117

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”祖母から、孫へのお作法”

”先におばあちゃんの知恵”を書いている時、思い出した話がある。

今からもう十年も前頃の生徒の話である。
「母が夜仕事をしていたので、何時もおばあちゃんが私の世話をしてくれていたの!お風呂に入ると何時もおばあちゃんが私の身体を洗ってくれながら言うのよ。”女の子はね、この耳の後ろを何時も綺麗に洗いなさい”って、何時も何時も言うので、お風呂に入って面倒な時には、顔を洗わなくても、耳の後ろだけ洗って出て来たりしたわ!訳が解らないけど、お風呂に入ったら耳の後ろを洗えばいいのだと思って…」
「理由が解ったのは、何時だった?」
そんな話をして笑った事があったけれど、これも”おばあちゃんの女性の身だしなみ”を孫に伝えた一つであろう。

最近、家でも孫達がお風呂に入る様になった。自然と洗濯物が置かれる。
孫に言った。
「女の子だから、自分の下着だけはお風呂に入る前に軽く洗って洗濯籠に入れる様にね」

それから、欠かす事無くその約束だけは守っている。

お箸の事。
「自分の使ったお箸は、食事が済んだら洗っておく様に!。今日も元気で食事が頂けましたと言う、お箸に感謝の気持ちでね」と伝えた。
同じ事を子供達にも言った。しかし、
「自分のお箸は、自分で洗っておく様に、水につけておくと塗りがはげたら勿体無いから!」

ありがとう!
何気なく、この言葉を一番使うのは、孫である。
そして、「大丈夫?」と心配する言葉を掛けてくれるのも、孫である。

思いやりの気持ち!
「お風呂から上がる時には、湯船に髪の毛が浮いてないか、必ず点検する事。これは、次に入る人への思いやりの気持ち」

”ありがとう”の感謝の心と”思いやり”の気持ちさえ持っていれば、喧嘩はしない。

何を云っても素直に聞いてくれるのは、孫だけである。
その孫へ”ありがとう”

孫の貴女へ、私からのお作法はこれ以上何もありません。

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”先人の知恵”

先日郷里の友達が、ご夫婦で摘んだ”お茶”を送ってくれた。
畑の幸が一杯詰まったダンボール箱の中に、炒った黒豆も袋に入っていた。
”何だろう?”と一瞬考えた。
同封の手紙に、
「お茶を飲む時に、お豆さんを入れて下さい。○○流の母のやり方です」

お礼の電話の時に聞いてみた。
「黒豆はどの様にすれば良いの?」
「家では、急須で飲んでいるの、沸かすともっと良いらしいです。その時に一つまみの炒り豆を入れるととても美味しい味がします」

何でも姑さんがその様にしてお茶を沸かして飲んでいたと言うのである。

代々続くお寺さんの家庭。
黒豆は、むしが綴った物でも炒って使えば良いという事だった。

早速その日から、番茶を沸かす時に一つまみの黒豆を入れた。

一つまみと言えば、5~6個である。
番茶の香がよく出る様にゆっくり沸かした。

「美味しい!」
何処かで飲んだ懐かしいお茶の味がした。遠い遠い昔、その人の姑さんの故郷と同じである、父の祖母の家か?それとも母の郷の家か?
子供の頃、郷里のお寺さんで親族一同テーブルを囲んで飲んだお茶の味か?も知れない。
その時は、子供だから、別段美味しいお茶と思って口にしたのではない!

しかし、今この歳になって飲むお茶は、懐かしい味と懐かしい思い出が一杯詰まって格別の味がする。
父方の祖母と母方の祖母の思い出が、急に瞼に浮かんだ。

「あの頃の、懐かしいお茶の味である」

黒豆を入れる事で何とも言えない口触り良いものになった。
あくる日、またびっくりする事があった。
昨夜、ポットに入れておいたお茶を棄てようとした時、入れた時のままの色と味にも変化がなかった。
「勿体無いから、昼食の時に飲もう」
こんなに美味しくて、味も変わらぬ飲み方を始めて知った。

「昔の人は、どうしてこの様な事を知ったのかね!」娘が感心する。
「本当に、そう思うね」

おばあちゃんの知恵を、もっともっと教えて欲しい!

美味しい番茶の飲み方を教わって、物凄く得をした気持ちになった。

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”虚しい思いがした”

午前中元気な姿を見せていた人が、夕方棺の中に入って皆に抱えられているのを見ながら、何故か虚しい思いがした。
これは、昨日議員宿舎で自殺をしたとされる、ある大臣の画像である。

「死んだ」と言う事はこんなに簡単に処理されるのだと思ったら、簡単には死なないぞとつくづく思う。
生きているからこそ、値打ちがあるのだという事を、妙に実感させられた映像だった。

「緑資源機構の談合」関係や「ナントカ還元水」の事などは問題でなく、大臣の宿命を見てみるとS20年の酉年生まれである。
ミステリーは、戌亥。昨年9月に農林水産相に任命されたのである。
彼のミステリーは、昨年の戌年から始まっている。
背信期・時空期・清算期となり、今年はミステリー期のど真ん中である。

「今年の時空期の現象は、身動きの取れない状態の時である。悪い芽はどんどん悪い方へ膨らんでゆく。忘れていた過去の傷が表に出てそれが命取りになる時期なのです。また、この時期は何らかの形で過去の決着が着くときでもあります。」
この様に落ち込むばかりの悪い事だけではないが、しかし、大臣関係の記事を新聞やテレビでの問題を考えながら紐解いてみるとその様な感じが思い当たる。

解りやすく説明をすると、

昨年からゴロゴロと石ころが谷に向って落ちて行く様子を、想像すれば良いと思います。
その石ころが人間の姿であって、今年になって谷底まで落ちて沈んだという様子です。
精神的にも谷底でもがいている様子である。誰の助けも力にならず、そうかと言ってもがけばもがく程沈んでしまう状態を指す。
結局自滅の道を辿る事になってしまった。

これは、過去の問題が明るみに出て命取りになったのであるが、逆に今、ミステリー期の(背信期)人がいて、この様な問題をやっているとすれば、それは隠し通せても7年先にはこの様に明らかにされるのだという事。

神様は平等に、その人の宿命に添って、世の中の人を導かれると確信する。

己の運勢を呪うのではなく、己の思いあがりを反省すべきなのです。

                                                                            合掌。

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”夏も近づく…”

Photo_112 今年も八十八夜( 立春からかぞえて88日目にあたる日で、だいたい5月2日頃。春と初夏の境目であり茶摘み、苗代のもみまきなど一般に農作業の目安とされて農作業も一段と忙しくなる)で摘まれた新茶を頂いた。

先日は、岡山の甥っ子が”だったんそば茶”を送ってくれた。
Photo_111{美容と健康に良いルチンが、普通のそばの約百倍含まれています…}

「血液をさらさらにして、長生きをして下さいよ、母の分まで!」

とメールがあった。

送ったものの、製造者は東京と知って
「飲み干したら、次からは東京で買って飲んでください」と言われちゃった。

朝食の時に急須に入れて用意する事にした。
あの蕎麦屋で飲むそば茶と違って、香りも良く、もっと美味しい。
これでコレストロールの数値が下がるのなら、是非、飲み続けたいと思う。

気を使っていただいて、ありがとう!

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”ニ人展”

今日は銀座へ知人ご夫婦の”二人展”を見に行った。
外国旅行の思い出を、水彩画で残しているそうだ!Photo_105

お年を召されてから、共通の趣味を持たれる事は大変素敵なことである。
数多くの絵画が壁に飾られ、どの絵も思い出深く人々を魅了する。
羨ましい限りである。

Photo_108 銀座を歩いていると、化粧品の会社で沢山の風車が回っていた。

思わずウインドウにカメラを向けた。

帰り、孫のお誕生日のプレゼントを探して、渋谷・恵比寿・目黒と足が棒に成る程彷徨った。
もう直ぐ「18才のお誕生日です」
”おめでとう!”

夕方疲れて家に帰ると、郷里の人から宅急便が届いていた。Photo_109

Photo_107 和歌山県南部の「晩稲梅(おしねうめ」を送って下さった。
「最高級梅干・昔からの梅どころ晩稲梅」

{”みなべ”は、昔々からの梅どころ、中でも「晩稲」はみなべ梅林の郷、本場中の本場です。その本場で特に、花の時から入念に丹精込めて育てた梅の実を更に厳選し、全てを別格扱いで漬け上げたのが、この地名を名乗るにふさわしい自信の品「晩稲梅」で、一粒一粒小袋に詰めました}とある。

足が痛いのと、疲れたのとお腹がすいていたのとで、大きな梅を思わず口に入れた。

「美味しい!」
梅にこの様な感激をするのは、始めての事である。

子供にも孫にも、この美味しさをそのまま味あわせた。

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ミステリー(天中殺)期とは?(その2)

今回は「結婚」と「事業・経営」について語ろうと思います。

ミステリー期の「結婚」は、無への出発と同じ様に白紙に返る事になりやすく、無視すれば子供に禍が出るか、夫婦の間に溝が出来やすいかのいずれかになります。
結婚生活そのものが乱れ、何かと問題が起こり家庭生活に波が多くなります。いざとなった時に倒れるのは、男性の方です。

次に事業家(経営者)の事ですが、このミステリー期に事業を始める事は、空気の非常に希薄な所で過激な運動をしているのと同じであり、何時倒れるかは長い短いはあっても時間の問題と言われますが、それよりもその事業そのものの繁栄は望めないでしょう。
大体長くもったとして、一周りです。一周とは次のミステリー期までです。
しかし、其処まで持つのは、ホンの一握りの場合だと思います。
殆んどは持って3年が目安でしょう。お金をつぎ込んで建て直しを試みても、溝にお金を捨てる感じになり、ただ足を引っ張る状態になるだけです。
もし、経営状態が悪い様に感じたら手を加える前に、その事業を手がけた出発点を見直してみて下さい。

対象は違って来ますが、

先ごろ体調不良の為にやむなく「引退」を発表した大関(戌亥ミステリー)の例を挙げますと、彼が初土俵を踏んだのが1994年(戌年)だそうです。
その前年から「相撲界」に入っていたとしたら、ミステリー期(酉戌亥の酉年)の入幕になります。
そして今年は「清算期」になり、引退を選んだと思いますが、丁度12年の運期を一周した事になります。
これが限界という活躍であったのです。実際には、昨年に現象は出ていますが…。

この様に、ミステリー期というのを疎かに考えたら怖いと言うお話です。
ミステリー期を如何に過ごすかで、その先の人生を波穏やかに過ごせるか、又は荒波の中でもがく日々を過ごす事になるかが決まって来るのです。
恥ずかしい話、全てのミステリー期のタブーの体験を私はしてきました。
もう一度やり直せる人生があるとしたら、お利口に生きようと思いますが、その前にもう「生まれ変わりたくない!」という気持ちの方が強いです。それ位、大変な人生を送りました。

ミステリー期の掟破りに課せられた厳しい試練は、天罰かそれとも神様から贈られた見せしめかは解りませんが、大変な苦しみです。

”生きるか死ぬか”の大病と、それとも”死のうかどうしょうか?”の落ち込みというものでした。
人様は私を見て、「その様には思えない!」といってくれますが、人様から私の風貌をみて「大変な人生でしたね!」と労われるとしたら、それは情けない事だと思います。
如何に人に感づかれない様に「涼しい顔」をする事が大変かは、湖で遊ぶ「白鳥」を想像して下さい。
水面下で足をバタつかせて、水面でスイー、スイーと知らん顔をして気持ちよさそうにしています。
人間の生活は多かれ少なかれ皆そうですが、悲しみや苦しみがあっても、騒ぐか、耐えるか、の二つに一つです。

泣いてる時は、人は寄って来ません。だから私は涙を外に出さず、身体の中を通すのです。
苦労している時は夢中ですから苦労とは思いません。振り返って考えると失敗だらけの人生でしたが、もう少しこの勉強を早くからして、自分のものとして活用していたら、私の人生もそれなりに穏やかでなかったかと考えます。
しかし、全ての事を体験してこそ今日の私が存在し、この様に多くの知らない人達にも聞いて貰えるチャンスが来たという事は、勉強したかいがあったのだとも解釈します。

あなたの為に、私はこの”ミステリー期”のタブーを書きました。
どうぞ、この中で何かを学んで自分の人生に、役立たせて頂きたいと思います。

何方も迎える”ミステリー期”ですから、無茶苦茶な感情に振り回されないように自分をしっかり持って下さい。

この問題は、今回を持って終結に致します。

ご自愛下さい。

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”かつお”
和歌山県那智勝浦町の宇久井港で水揚げされた”かつお”を二本送って貰った。
随分早くから、下のスーパーでかつおを買ってお刺身で食べていたが、話にならない色艶である。
三枚におろしながら、骨についた剥き身をその場で口にする美味しさは、人には解って貰えないだろうと思いながら口に頬張る。
これが絶品の味がするのである。Photo_104 (写真の出来が悪くてとても残念!)

夕飯の為に、たたきを作った。子供達は私が作った”たたき”しか食べない。
玉葱・茗荷・大葉・葱の野菜とその上に生姜をすってちりばめる。
何とも言えないかつおの焼き上がりの色と、野菜がマッチして食欲をそそる。

下のスーパーで求めるかつおでは、たたきは作れない。
先日買ったかつおは、色が白っぽくて口にいれる気にならなかったばかり。

今夜は、色の良い”かつお”のお刺身をいただこう。そして
今年は、もうこれで充分満足したから、”かつお”の食べ終いにしょう。

ありがとう!”ご馳走様でした。

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”新宿御苑の散策”

日曜日、新宿駅に知人の娘さんを迎えに行った。
自宅に連れて来てお話をするつもりで出掛けたのだが、改札口で「何処か行きたい所がある?」と聞いたら、
「今日帰りに新宿御苑で、宿題の植物を20種写真を取る」
という。
夕方近くになって、広い御苑の中を女の子一人歩かせる訳には行かない。
「じゃ、先に宿題をやっておきましょう」
という事になって、十何年振りかで新宿御苑へ行く事になった。4_1

広い庭園はお天気が良いから、家族づれ、若者のグループ、其処此処にアベックと見られる人達が多く楽しんでいた。1_5
考えてもみなかった散策に、内心驚いたがのんびりと草木の名前を見ながら、彼女がシャッターを切る手助けをした。
2_6 今月末迄に提出する宿題だそうである。

どこも綺麗で、丁度お昼時なのでのんびりと芝生に座ってお弁当を食べたい気持ちになる。
何処でもだけれど、カラスが人間のお弁当を狙って近づいている光景を何度も見かけた。此処も気持ちが落ち着けない所かと残念にも思った。

Photo_103 時期的にツツジが綺麗に咲いていた。

都会の真ん中で、こんなに素晴らしい緑の多い新宿御苑は、最高の憩いの場所である。
のんびりとした気持ちで、多くの木々とふれ合えたのは、若い学生さんのお陰である。

お話相手になろうと出かけたけれど、反対に植物の勉強をさせてもらった。
3_1 木々の間を吹く風につられて、今日の目的の内緒話が充分出来た。

一時間三十分程かけて、新宿門の入り口に戻ったが、パンフレットを見ると、半分弱の広さを散策した位であった。

思わぬ散策に、体調が持つか心配だったがどうにかこうにか元気を保つ事ができた。

爽やかな風が、何とも言えない心地よさを誘ってくれた。

楽しい一日でした。

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ミステリー(天中殺)期とは?(その1)

先日、転職の事でミステリー期の説明をしたら、それを読んだ人からメールで質問があった。
個人的に答えると感情が入っている様に取られてはいけないので、ココログに書いて一般の人にも参考にして貰う事にした。

ミステリー期の出し方等は省略して、もう自分のミステリー期を知っている人を対照に話を書きます。
ミステリー期に入ると、一般的に身近なところから考えると、転職の悩み、転居の悩みが出てきます。
転職の事は、先日書きましたが、転居の場合はやはり避ける方が無難です。

しかし、諸事情がありますから一概に「転居は止めなさい」とは言えませんが、転居先がまず自分の気に入った所は見つかり難いでしょう。
良く聞く話に、そういう時期に転居した人から必ず何かの問題点が出ます。中には「幽霊?」霊現象が出て直ぐに転居し直す人も居ます。
と言うように、その期間は何かと問題が多く落ち着いて過ごせないのが普通です。

私自身も経験から話しますと、3年間で2回変わる羽目に遭いました。新築のマンションでしたが、畳から恐ろしい数の家ダニが出て布団を敷くことが出来ない上に、窓を開けると近所のお風呂やさんの煙突の煙がまともに入ってきたりで、大変なので逃げ出しました。
次に借りた所は、渋谷の中心ですがそこでは、夜毎霊現象に遭いました。
ミステリー期の明けるのを待って、転居のしなおしです。転居費用もバカになりません。
ですから、「気分を変えたいので」という感じの転居であったなら「それは、よしなさい」という事です。

次は一番厄介な事ですが、「家を購入」する。
それは悪く行くと、”命”と引き換えになるのを覚悟の上です。
それ位強いしっぺ返しがあります。大体2~3年内に結果が出ると思います。
そうでなければ、その人がその家で落ち着く事が出来ない状態になります。
それは、例えば転勤が多かったり、転職で単身赴任の生活になったりで、家族とはその家で暮らせないでしょう。
家の購入は人生では大きな買い物ですから、絶対に時期は大切に考えて選ばないと大きな要素が含まれているのです。
その様に悪い時であったなら、何かの都合でローンが払えなくなる場合も出てきます。

「今、買わないともうこんな良い物件が無い!」と思うのは、ミステリー期の焦りです。
良い物件かも知れないけれど、貴方には縁の無いモノなのですよ!と神様がその人を試しているのです。
人生で大きな失敗に終わるか、救われるか、そこが自分の「我」の試しどころで、分かれ道になるのです。

天中殺は、「凶事」を招くばかりというのではありませんが、その期間は「受動的」に過ごしなさいという事です。
「目に見える世界」においては、物事の形成不能状態になるという事です。
                                              続く。

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桃ゼリー

Photo_101 同じ日に、岡山から来る人がいて、岡山に帰る生徒がいた。

桃ゼリーを頂いた。食べてしまうより、飾っておきたい感じがする。

ありがとう!

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”久しぶりの般若心経”

心の底で心配が薄れる事はなく、今日も気がかりの朝を迎えた。

身支度を整え、早朝”般若心経”を唱えた。前日から、甥っ子夫婦の「道中の安全」を仏様にすがっていた。
久しぶりなので声が出ない。

朝食を済ませた頃、メールが入った。
「4時30分に着きました。とても楽しかったです…」

明日は、仏様にお礼の”般若心経”を、唱えよう。

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”母の日・ありがとう!”

「東京のお母さん!今日は母の日でしたね。ありがとう」
大きな包みを抱えて、甥っ子夫婦が入って来た。Photo_99
夕べ、テレビで母の日を知ったそうである。

私はなるべく、母の日を彼に感ずかれ無い様に気をもんでいたが…。
それは今まで「母」に良くプレゼントを贈っていたのをしっていたから、母の日を忘れさせていてあげたかったのである。冗談交じりに

「不甲斐ない息子ですが、今後とも宜しく!」という、甥っ子の言葉を受けながら胸がジーンとした。

お昼迄、お嫁さんを連れて渋谷へ買い物に行ってきた。
渋谷名物「ハチ公」と「モヤイ像」を見せるのが精一杯の時間帯だった。
でもこれで私も満足した。
娘が用意していた昼食を食べて、再びビックサイトへ息子が送って行った。
よく来てくれました。本当に楽しい二日間をありがとう!
運転に気を付けて、岡山へ帰って下さい。ただそれを祈るのみです。

夜、子供と孫から「母の日」のプレゼントがあった。
        Photo_100             「あら、何時の間にこんな幼い娘を産んでいたのかしら?」

おどけながら、孫から美味しい紅茶を頂いた。

”みんな、みんなありがとう!”

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”男の逞しさ”

「仕事で東京へ行くんだけれど、一泊泊めてくれない?」
甥っ子から電話が入った。
「いいよ。ついでにお嫁さんも連れて来たら?」
「エ~ッ」
側で聞いていたらしく、歓声が上がる。
「側で居たんだね。やぶへびつついた感じかな?会社にさ、許可を得たら?…。」
「ちょっと、待ってね!」

「二人で行ってもいいの?」
「いいよ。待っている」

それからが大変である。お嫁さんは東京が初めてという事で、何処に案内しょうか…。
此方も家族総出で、色々案を出し合って事を進める準備をした。

まず、宿泊ホテルをゲット、次に問答の末「はとバス観光」に予約をしておいた。
万事おOK!

11日午後6時過ぎ
「今、浜松迄来ました」
夕方になったら、出発時間を聞こうと思っていたので、それには身体が震える程驚いた。
本当に、する事なすことの早い甥っ子である。
「これから、12時迄時間調整の為に休憩を取ります」

翌朝8時、
「お台場に着いています。お迎えはまだですか?」
「そろそろ、近場から電話が行くと思います。それを待って下さい」
メールではもどかしいのか、
「今、荷物を並べているので、見せて上げたいので待っているのです」
と電話がかかる。

「伯母さん、泊めてくれる」
から始まった話で内容ははっきり理解できないでいた。私は10時から仕事で動けないので、娘と息子がお向かいに走った。
その二人に”見せたい!”物があるそうで、ヤキモキしている様子。

{今回東京観光にあたり、はとバス半日コースを利用することにした。Photo_93
東京駅~皇居前広場(坂下門・二重橋・楠正成像)~浅草寺と仲見世(自由解散)~レインボーブリッジ=お台場・東京タワー(展望)~国会前~東京駅終点}である。
Photo_94

Photo_95 Photo_96

その観光を終えて我が家に帰ると、午後5時位になって私の仕事も終わって丁度良いのである。

「アー、疲れた!」と言って玄関に立ったのは、我が息子。長旅にもケロッとしていたのが、お客さんたちである。
楽しい賑やかな晩餐が始まって、今回の仕事内容を聞いて驚いた。

12,13日の二日間、東京お台場のビックサイトで「BP東京・ノスタルジックカーショー2007」の開催があって、岡山から出品する車を6台持ってきた、という事であった。

私はお金の掛かるクラシックカーよりも、甥っ子の運転するトラックの方に興味があった。
18m位あるというその車の写真を、撮って来てもらった。Photo_97
名古屋まで来る事はあっても、岡山から東京は、さすがに遠く感じたそうである。距離にして700k少々という事であった。
新幹線で来ても、名古屋までは辛抱できても、名古屋~東京迄が遠く感じると言う言葉を以前誰かに聞いた覚えがある。
それ程、東京は遠くに感じるらしい。

ビックサイトの会場は、展示車で珍しいものが多いので早く息子達に見せてやりたくて、気をもんで待っていたらしい。Photo_98

「世の中では考えもつかない程のビックな人達がいて、クラシックな車を部品から組み立て直してそれを眺めて楽しんでいる人もあるのだ」
と、甥っ子は話をしていた。

そういう車を6台荷台に積んで、長旅を仰せ使う甥っ子の様な人間もいるし世の中千差万別!太く逞しい両腕を眺めながら、あの世の姉は何を思うだろうか?と、私はやっぱり姉の事を思い出していた。

楽しい時間もあっという間に9時になり、今日の疲れが充分に取れる様に早い目にホテルへ送った。
「又、明日。お休みなさい!」

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”甥っ子夫婦を、迎える喜び”

今日は北風のとても強い日ですが、明日の土曜と次の日曜は、良い天気だそうで嬉しい。
地方から甥っ子夫婦が東京に来るという。気持ちが、浮き浮きする。
朝早く起きて、掃除を丁寧にし始める。床の雑巾がけをして汚れを取る事にした。
普段は猫の額ほどの広さと侮っていたが、雑巾がけを丁寧にすると、大変なものである。
「やれやれ、疲れるわ!」汗をじわっとかきながら雑巾がけ。
「そうだ、今日は開店休業にしょう」
のんびりと時間を掛けて掃除をする事に決めた。
こんな時に限って電話が鳴る。「通過、通過です」心の中で返事をしながら掃除に勤しんだ。
床が終わると、水回りも綺麗にしておこう。

でも電話が鳴ると、やはり気を取られる。

「sですが、仕事を変わったらいけませんか?」
イノシシさんである。
「来週、そちらに行くまで待てば良いのですが、どうも気持ちが落ち着かなくて…」
「いいよ。年内にね!」
「7月1日からだとどうですか?気に入った所を見つけてきたのですが」
「いいんじゃない!。年内中というよりも、もっといいわね!」
「そうですか、気持ちが楽になりました。もう少し今の所で頑張って仕事を整理します」

生徒からであった。
「今日は、彼女にとって決断する日。良かった。運よく電話をとって」

今年は、丁亥の年。この干支は異常干支の一つ。それも強い異常に入る。
だから何かと「世の中可笑しな事?異変」が起こって当然であって、決して不思議な事ではない。
「人が騒ぐ。人が争う」という感じで、騒がしい一年であることにも違いない。
事件・事故・これから暑くなって来ると、水難に関係する問題も多いだろう。

先程の転職の話になるけれど、彼女はミステリー期ではないが、
ミステリー(天中殺)に入ったら転職は「悪い!」のでは無く、その時期は多くの人が悩みだす。
しかし、気持ちが”ハイ”になっているから、冷静さに欠けるのである。これは何歳になってもそうである。
だから、変な自信が頭を擡げ「私なら大丈夫!」というおごりが出る。
そこで「確かな仕事が見つかった」といって転職してしまう。しかし、根本は時期が悪いので長く続かない職場になる。
だから、「素敵な転職先が見つかりました」と思っても、判断が狂っているからミステリーが抜けると「あの転職は間違いでした」
と必ずなるから、ミステリー期の転職はしないほうが「良い」となるのであって、「転職はいけない」というのではない。
成果を求めなければ、それで良いのであって、また永久性を望まない事でもある。

しかし、人間は近欲なところがあるので、直ぐ結果を求める。だから、その時期は、転職は良くないよ!と言うのである。

今年は、その様な時期に入った人が「迷い、苦しみ、焦る」年である。イノシシは、焦りと猪突猛進で突っ走る行動が強い。

この様な時期があるのを、若い時にマスターしていれば、どんなに人生が生きやすく、又失敗が少なくて悔いの無い人生が送れただろう…。そう思う。

横道にそれてしまったが、水回りも綺麗になったところで午後1時。食事が遅くなった。

甥っ子達が来る事は、本当に嬉しい。
「伯母さんの面子」で丁寧にお掃除して、迎えて上げたい。

それは時代が変わっても、我が子供達との永遠の仲良しでお付き合いをして欲しいと思う私の勝手な親心である。
その為に今、自分の元気なうちに、この様なプレゼントを皆にしておく。

わたしは、土、日は生憎、朝から夕方迄、仕事が入ってしまっている。
二人の姉弟が、東京を案内する計画を立てて、待っている。
”道中”気をつけて来て下さい。

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"ゴールデン・ウイーク”

菖蒲湯から上がり、のんびりとくつろいでいたら電話が鳴った。
「はい!」
「元気なの?」
「あーッ、ありがとう。元気ですよ!」
「”メールを打っても返事が来ないし、ブログも全然動いてないし、きっと何処か悪いのと違う?電話してみてよ”と言うからね…」
「ごめんね。元気なのよ、気にしながらメールの返事打つ機会を無くしたの。誤っておいて!」
「それは良いけどさ、本当に元気なんだね!」
「元気よ、ブログも気になるのだけれど、書きたい事は”言ってはいけない事”が多いしね。何を書こうか選ぶの大変なのよ」

お陰様で、ブログを多くの人に読んで頂いてるらしく、ブログの状態で健康を気にかけてくれている事を良く言われる。
言い換えれば、お歳だからその事が一番頭をよぎるのであろうか?
心配をお掛けして申し訳御座いません。

すこぶる元気なのでやっておきたい事、やらねばならない仕事が沢山あって、気まぐれなブログに気持ちが届かないのである。
目が霞みもう此の儘、先が見えないのかと心配しながらも目薬に頼ってパソコンを打っていた。

連休には友達と「明治神宮」を散策に行く約束をしていたけれど、相手の都合でキャンセルになった。
「もうけた!」と内心こおどりしたほど、夢中で仕事に没頭できたのである。
明日から、平常通り生活が動き出す。仕事の目的達成でもう満足感一杯。

しかしまあ、言ってはいけない話もあるけれど、これは仕事関係で得たものでないから話そう。
私の所に定期便のように、土曜日午後必ず電話を寄越す女性がいる。
「今、いい?」
「良いよ。どうした!」
「ママがね!…」
から何時も話が始まるのだけれど、世の中にこの様な親が居るかと思う位、娘を苛める母親がいるのである。
何故?と不思議に思う。
彼女は36才。苛められる年齢ではないと世間では思うかも知れないが、蛇に睨まれたかえるである。
生活環境も、ママの性格も良く知っている。何不自由ない上流家庭の生活をしている。
何故?わが子を大事にしないのか、私には分からない。しかし、少しわかる。

「子ずれの再婚で、わが娘に嫉妬する」ところもある。

女性は、悲しいかな再婚相手に対して、何時まで経っても、そしてわが娘を対象にして嫉妬するのである。
自分には変な自信があるのに、世間的に確信的な自信となるものを持ち合わせていないのでそれを娘に八つ当たりするのだ。

鳥が川で魚を捕って食べるシーンを思い出す。口先に銜えて石に打ち付けるやりかた。その様子を思い浮かべながら何時も聞く。
ただ聞いてあげるだけしか、私には何も出来ない。

「法律」というものがある以上。それが大きな壁になる。

しかし、この様な良く似た話が身近に何件かある。
人様が聞いたら「嘘でしょ!」と思うだろうが、母親に苛められるという女性が本当にいるのである。
しかし、良く考えたら苛められると嘆く女性達の共通のものが分かった。
「母親依存症」である。
だから、20%~30%はその女性達も考えなければならない事があると思う。
「しかし、お母さんが意地悪する」と泣いて訴える。

母親の方から言わせれば、30過ぎても独立しない女の子は「寄生虫」のような感じになって腹立たしいのである。日頃のストレスのはけ口が、そこに出るのだと思う。

「遅くても30才過ぎたら自覚して、自立する事を考えないと人生を無駄に過ごす事になるよ!」
「お母さんが意地悪をする」という前に、「お母さんを当てにした生活をするな!」

「己に甘い性格」の人が、そういうことになって「お母さんが意地悪する」となる。

久しぶりに書いたブログの内容が少しきつくなった感じがします。

ごめんなさい。

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"孫のお見舞い”

先週の土・日曜日、孫と娘が九州へ祖父のお見舞いに出かけた。
難病指定された病気にかかっているらしく、筋肉が萎縮して身体の動くところと云えば、目だけであるらしかった。

全ての感情を、黒目の動きで読み取る事しか出来ないという事らしく、それでも孫の顔を見ると大きな声を上げて泣いたそうである。
最高のもてなしをしてくれたのであろう。女の子の孫は他にはないのだそうで、大層喜んでくれたと感じる。
しかし、その病室には世にも不思議な病気の人達が、他にも何人かいたと言う話である。

パピーの病気は、コラーゲンが異様に増えるのだそうである。だから、髪の毛は白髪が一本も無く、肌が艶々として光り病人らしくない顔をして寝ていたそうである。

コラーゲンと云えば、よく基礎化粧品の成分に持ち入れられ”ハリのあるお肌へ”で女性が一番欲するものであるが、それが増えすぎて、筋肉が萎縮してしまうのだそうだ。
聞くに堪えがたい闘病生活をしている様子。気の毒な話である。

充分な意思疎通も取れないで病室を後にして、孫は泣いていたそうである。

それでも良く来てくれたという歓迎を受けて、パパの弟と妹家族は、天草へ魚を食べに案内してくれたり、
短い滞在時間を熊本城Photo_92 や阿蘇山のドライブにもつれて行ってくれたという事だった。

「お見舞いに行く!という事を、第一にしなさいよ!観光でないのだから」
出かける前に娘に言っておいたが、義弟妹の歓迎には此方の方が驚いたと言っていた。

看病で大変なマミーが時間を割いて、私に熊本の代表銘菓「誉の陣太鼓」を御土産に持たせてくれた。002
美味しいお菓子でした。ありがとうございます。

一人の孫を巡って、父方と母方の親達が同じ年という関係で何処か相通じるものがあるのだが、病気と聞くと「まだ、若いのに…」という勿体無い気持ちになる。
黒目しか動かないベット生活を想像すると、背筋が凍る。
今の医学では、何とかならないのだろうか?

遠くよりお見舞い申し上げます。

何かを多く学んだ「お見舞い」を果たし、元気で帰ってきた孫をみながら、
健康である?幸せを喜んだ!

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”お化粧”

日曜日、都知事選挙の投票を済ませ、娘と銀座に買い物に行く事にした。
「今日の買い物の目的は、○と○が欲しいの!」
「分かった、三越と松屋へ行こう」
東京に来た頃は、娘と二人で良く出かけたものだけれどと言っても、彼方此方と案内してもらったのであるが、随分長い間二人きりで買い物に出なくなっていた。
その間は、娘も子供の世話で私の道案内するどころでないし、孫を連れて買い物にお供してもらうと疲れに行くようなものである。

「そう、二人で行ってきて!」
買い物に出る事を伝えると、いとも簡単にその様な言葉が返されたようである。
両手が空いた気楽な気持ちで出かけた。

中目から日比谷線に乗って7つ目。これは先月友達と会うために乗ったばかりだからまだ覚えている。1_3
地下からデパートへ入った。そこからは全て道案内通りに歩く。
まず化粧品売り場に立ち止まった。
まるで盲導犬が、主人の為に教えている様な感じだなーと思いながら気に入った商品を探す。

「じゃ、次は婦人服ね!上から降りよう」
そういうとエスカレーターを使って婦人服売り場の一番上を案内して、
「ここから、どうぞ!」

「ちょっと、お腹が空いたわ昼食にしようよ」
食事をすると又元気が出て、2軒目のデパートも物色したが思うものが見つからなかった。2_4
しかし、これ程の見物は一人では到底出来ない。
何時も道案内の娘に先導を頼むとボーッとしながら付いて行けば良いので気楽なのである。
「しっかり、道を覚えてよ!」
「はい」
返事だけして,、又キョロキョロする。
覚えていた験しがないから、東京に来て月日が経つのに、何処へも行けない有様。

「やっぱり渋谷に行こう!」
という事になって、4時前に銀座線で渋谷に出る事にした。
「やっぱり、渋谷クラスのランクかね」
やはり渋谷でも、娘達の行くお店は私の知らない場所にある。

思う存分今日は楽しんだ。満足である。

帰りのバスの中で身奇麗なご婦人がいた。
「あの人綺麗だね。口紅が真っ赤だけれど、厭らしく思えないね…」
「そうね、先程の美容社員はみんな目元をきつく塗っていたけれど、口元にポイント持ってきてないわね」
「若い人のお化粧は目で、お年になると口になるんだね!」
「そうよ、だって年をとってから目をギラギラさせていたら厭らしいじゃない!」
「そういう事なんだね。口紅が真っ赤になるという事は、自分の老いを認めた事になるのだ」
「そういう事ですね!」

今日、真っ赤な口紅を買いに出かけた私の結論は、そういう事になりました。
身をもって認めた我の歳です。

墓穴を掘りました。

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”4月6日”

朝、仏壇の過去帳を捲ると、H16年4月6日寂という文字が目に入った。
”今日は姉さんの祥月命日だ”と思い、語りかけた。
「姉さん、3年は長かったのか短かったのか分からない。けれど、思い出す度に淋しさが増すよ!」
姉のお下がりのブラウスを着て、今日も一日が始まる。

朝食をとっている時、メールが入る。
「今から墓参りに行ってきます。膝はじん帯が伸びていました。階段の上り下りは怖く感じるし、左膝は踏ん張ると痛いです」
先ごろセンターラインを超えて走って来た対向車に正面衝突されて、一命を取り留めた甥っ子からである。
やはり自分の身体よりも、母のお墓参りの方が気になるらしい。

「おはよう!…。三年の内に色んな事があったね!貴方も大変頑張っている。悪い所は早く見つけて貰いなよ。全快はもっと先だね。気をつけてお墓参りにいってきて下さいね」
母親を思い出す時、必ずメールが来る。たまらなく淋しくなるのであろう。
メールの返事を打ちながら、溢れる涙が頬を伝い食パンの上に落ちた。

午後は、”東急セミナーBE”での授業開始である。
若い一人の生徒に聞いた。
「貴女は、私を何処で知ってくれましたか?」
「yahooの占いコーナーです」
「そう、お役に立ちましたか?」
「仕事の事で悩んでいたのですが、細かく丁寧に書いてあったので良く分かりました。しかし項目が少ないのでビットウエイの方でも見つけました。そちらを見るともっと沢山の項目が出ていたので、みんなやってみました。更に”HP”も”ココログ”も読みました。そうしたら、占いの授業があると書いていましたので、仕事をやりくりして通う事にしました。先生の占いは\315で安いです。一度IDやパスワードを入れると次々と簡単に出来るのでゲーム感覚になり、あちことに手を出してしまうので、大変な事になるのです」
「そう、有難う!でももうお金使わないでね。此処に来ている間はどの様な質問にも直に答えて上げるから」

「あのー。この本で宜しいのでしょうか?」
後ろの方の席から、品の良いご婦人が手を上げた。
この人は、先程ビルの中に入った時「何と上品な人だろー」と、後ろから眺めていた人である。
{買い物に来たのだろー}と考えながら、隣のエレベーターにと私は分かれて乗った。
授業が始まる少し前に、教室に入ってこられたから驚きであった。

「私、占いの本出していないのですが…」
「いえ、占いの本ではなくて、お書きになった本と、先生の名前が違うのですが…」
「エーッ。私の本です。そして本名です。何処でお求め頂きましたか?」
「孫に頼んで、インターネットで。しかし、孫が言いますのに、名前が違う!と云うものですから、これで良いのですと云ってはみたもののお聞きしないと自信がなくて」
「有難う御座います。何だか人生の失敗談が多くて、今考えると本を出した事恥ずかしくなります」

という様な感じで、私の気が付かない驚く報告があり授業になった。

「ワーッ。嬉しい。これが”夢”でした。黒板に文字を書く事が」
生徒は驚いた様な感じで笑っていた。しかし、いつもボードの教室が多く何処か不満であった。
新しい黒板に、白や、黄色のカラーを使って思い切り文字を書く夢を見ていた。
これが私の、幼い頃からの小さくてささやかであるが”大志”なのである。教師になりたかったのでなく。

”やったぞーッ”自分の胸に突き刺さる様に心で叫んだ。
気分は、満点。波にのった授業が出来た。

願望は何時叶うか分らない。もう、幼い時からの”志”は持ち合わせていない。
じっくりゆっくり人生の目的をこの年で達成できた。さらにこれからものんびりとマイペースを貫きながら日々を過ごそう。
本当に素晴らしい”我が人生”であった様な感じにすら思える。

春が来た!2007年4月6日でした。

心のかけ込み寺

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”桜咲く”

春爛漫の日曜日、近所の目黒川沿いの桜並木を散策した。
前夜の雨と強風で桜の花びらが川面に散って、何時もの風景と違う感じで目黒川が流れていた。Photo_86

通り抜け出来る桜並木には、所狭しと花見客が宴を開いている。
「こんなに人口があるかな?」
と思われる位、あちこちで場所が陣とられて賑わっていた。Photo_87

桜の花をゆっくり愛でる事も出来ず、そそくさと携帯カメラに収めて帰宅した。

お気に入りの一枚Photo_91

Photo_88←目黒新橋を挟んで川上

Photo_89→川下の風景

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”ライブの夜”

今月後半は外に出かける事が多い。それも夕刻からだから自然と帰りが遅くなる。
26日の日は孫の二回目の”ライブ”で、新宿3丁目迄、家族や子供達の友人が総動員となる。1_2

小さな身体から、張り裂ける様な声がやむと
「今回をもって暫らくライブはお休みになります。大学受験に向けて頑張ります…」
そう挨拶をしていた。

何時の日か、再びこの舞台に立つであろう孫の姿がすぐに連想される。
「お疲れ様でした」Photo_82

このたった一人の孫であるが、東京での楽しい体験を数多くさせてくれる孫でもある。

一先ず活動を休み、次の大きな目標に向う為に、すでにもう始動開始である。

集まった父兄?達の”宴会”が開かれた。皆、東京に来てからの若者達である。

これも孫のお陰で再会でき、不夜城の新宿の一角で、晩くまで昔話に華を咲かせた。
しかし、やはり老兵の私が一番先に根を上げて、帰りの途に着く。

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”60前の手習い”

”バターンキュー”で寝転んでいたら、封書を思い出した。
電話を掛ける事にした。

「もし、もし、夢さん!庵です。今日はお手紙ありがとう」
「あーら、お久しぶりです。元気でしたか?」
この口調に、私は何時も負けると思う。何処かしなやかさを感じるのである。
そして、先ごろ「高座」での活躍を引退表明した円楽師匠と良く似た感じのモノの言い方をするのを何時も感じる。
腰が引けて相手に譲る感じがとても真似が出来ないのを認める。
女性以上に女らしいのである。体型は、大きくがっしりしているが、出る言葉が優しいのである。何も用件を言わない内に、笑えて来る感じ…。
相手は、古典落語界の一人者・三笑亭夢太朗師匠。

「どうにか、元気です。今日はお友達に頼まれた事で電話したの!中野の落語会どうなりました?」
「色々あってね、○○○で6月位には一度開かないといけないと思っているの…」
「そう、それなりに伝えておきます。しかし、沢山のお客さんが入るのに勿体無い事ね!」

「庵さん、僕ね昨年川柳で天賞を貰ったの。天・人・地賞の天賞なんだけどね。披露するね!」
「”クールビズ 唱えた 大臣 厚化粧”  時期が時期だけに、大うけしたんですよ!」
大笑いした。
「そんなにあの方、厚化粧かな?」
「厚いというより、真っ白く塗っているね」
「カメラ写りを意識して、白く塗っているのね。しかし、参りましたね。その通りですから」
「でも、その後の僕の俳句の出来が悪くって…。残念なの」

「そうそう、お正月にメールアドレス書いたら、メールを頂いてしまってね。僕、読めるんだけれど、打てないの。もう直ぐ教えてくれる人が来てくれるから勉強してから出すわね」
「のんびりしたものね!早くしないと60歳に手が届くよ」
「頑張るから、待っていてね。それから、一度仕事の終わる時間帯に渋谷へ出て行って待ってる」
「5時終わりですよ!」
「5時ね分かった」

久々に一時間位、世間話をしていた。
夢さんと渋谷を歩いていると、目だってしょうがないだろう。
食事をするにも考えものである。寄席で人一倍汗かいている姿を見ている方が楽しいよ!

それよりも、風刺する上手さは落語家のお手の物である。
さぞやこの俳句には、前環境庁の小池大臣も参ったであろう。

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”一日体験”の日。

久しぶりに教壇に立っての授業の日が来た。
8Fの教室からブラインド越しに外に目をやると、東横デパートが見えた。_

集まった生徒は、50代越した人ばかり、以前のように「のんびりと優雅にお勉強したいのです」
という感じでなくて、即戦力を期待して体験に見える感じである。
時代がその様になったのか、「占い」で生活しようという事は、そんなに簡単でないのは一番私は知っている。

簡単そうに見える職業程、簡単そうに見せるまでの下積みが大変という事である。
来月から始まる授業では、のんびりと進めようと思う。
勉強する年齢層によって、進み方も異なる。しかし、高い年齢層ほど「焦る」のである。

授業を終えアシスタントを伴って、以前から気になっていた「ダイニング 若」を探して食事に行った。Photo_79
店内は余り広くは無いが、鏡の壁で錯覚をして大変広さを感じる。壁際の一つを除いて、テーブルが円形である。
Photo_80 コース料理を注文した。味そのものは良かった。美味しかった。
”ちゃんこ鍋”は塩味を選んだので正解だと思った。
店内は、若者のお客が増えていた。決してお安い値段ではないのだけれど…。
「やり手の若者の集う場所かも知れない!」

すっかり夜になっている渋谷の街を急ぎながら、今日の一日体験の話でなくて、今食べた食事の感想を話し合っていた。
良く考えてみると、丸テーブルというのは落ち着かないのである。ゆったりとかどっしり感がない。気持ちが落ち着かないのである。
これはお客の回転を良くする為に、お店側の良い作戦である様に思う。
他人の商売の方法に感心しながら、バス停に急いだ。

ふと、足元に漫画本が散乱している。めがね入れもある。どうやら落し物らしい。Photo_81
 

眺めていると、通行人はそれを見ながら不思議そうな顔をして通っている。
{都会の落し物には、色んな物があるなー}と思っていたら、
「あれだけ落としても気が付かないと言うのは、可笑しいね!」
誰かが囁いていた。

自宅に着いたら、8時過ぎ「あー疲れた」バターンキュー。

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”約束”

3時前に中目黒から日比谷線に乗って、彼女の待つ「銀座松阪屋」へ急いだ。
地下鉄を降り地上に上がると目の先に松阪屋が見えた。
日曜日とあって銀座通りは歩行者天国になっていた。やはり銀座は綺麗な街である。
百貨店の横の賑わいが異常なので「何だろー」と思って足を運んだら…。Photo_74

ヨン様でなく、ソン・スンホンさまがお帰りになると言うので、車が通るのを待っている人垣で賑わっていたのだ。
これは良い所に出くわしたと思って、賑わいを「パチリッ」。

Photo_75

松阪屋の正面に立って、もう一枚「ソン・スンホン」もパチリ!

久しぶりに会う彼女は「ペコちゃん」の喫茶店にいた。
そこも中高年の女性の熱気がムンムンで、今送ったばかりの「彼」の話で持ちきり状態。
皆がお友達になっていた。

「折角銀座に来て、陳列の中が空っぽのお店を何故選ぶのよ」
私はそう云うと、喫茶店を振り返り見て思いついたらしく
「そうだったわね。何にも見ずに入ってしまったのよ」

彼以外、銀座の街並みも関係ないみたいだった。
「サイン会も握手会にも参加出来なかったけれど、写真展だけは見てきたわ」
「握手?して欲しいの?」
「勿論、そうよ。手の上をかすれていっても嬉しい事よ!」
私にはそんな事信じられなーい。

こんな夢心地になって楽しんだ後、我が家でお泊りとは気の毒なので私は五反田の「ゆーぽーと」に部屋を予約していた。

故郷の友人と美味しい食事をしながら、この様な夜を過ごす事は何よりも嬉しい。
「私達は幸せ者だね!」
素直に喜んだ。中学校時代の友達である。
特別に何を話そう、何を愚痴ろうという事も無く、お互いに淡々と過ごしたがとてもリラックス出来た夜だった。
「私ね、貴女が夢中になる事が信じられなくて、思い出す度に口元がほころびるの」
「私もね、まさか自分が”追っかけ”やるとは思わなかった。それもこの歳になってさ」

そんな彼女だけれど、手先が器用で今回も手作りのお土産を持って来てくれた。Photo_76
「こんな事もしているし、ボランティア活動も地元でしているのよ。家事も手抜きしないでやっているのよ」
Photo_77 「ボランテイァは想像しなかったけれど、家事はきちんとする事は星をみるとわかっているわ。しかし、高齢になって追っかけするとは私の占いに出てなかった」
「娘の影響よ!娘についてあちこち行ってる間に自分がはまってしまってた」
「貴女は、子供の頃とても足が速かったから、追っかけ出来るわね!」
「そうかも知れない」

翌朝はチェックアウトまで、ホテルで充分な時間を過ごした。
「私の知らない埼玉のスタジアムや新しくなった羽田とか、貴女の方が良く知っているね!」
そう云いながら社会勉強を兼ねて、羽田空港まで彼女を送った。Photo_78

「元気で又会おうね!」
一番理想的な、お別れが出来た。

都会に喫茶が多いのは、家庭に人を呼ばないで外で話をする為。お泊りはホテルを利用すればよい事。と以前誰かが言っていた。

狭い我が家よりも、気の利いたおもてなしが出来たと思う。という事を実際に学んだ。
お泊り頂くのも良いけれど、「狭くてごめんね!食事の好みが合うかな?寒い目をしていないかな?」等と気を使っていたら神経が持たない。
それよりも同じ様にリラックス出来て、気兼ねなくおしゃべりが出来る時間が多い方が楽しい。

これに味を占めたから、今後はお客さんにはそうして頂こう。
決して家に呼ぶのは嫌なので無く、お互いに気を使うのが大変だからである。
連休頃だろう「甥っ子達」が、どっと押し寄せて来るらしい。
しかし、内には大きな沢山の部屋があると思うと気楽なものだ!

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”友達”

先月に約束した友達がもう東京にいる。
「ごめんね!ホテルに着いたのが9時半だったのよ」
「遅かったね。身体大丈夫?疲れていない」
「好きな事で騒いでいるから、元気よ!。それよりも物凄く人が入っていたわ!」
「夕刊にソン・スンホンの事が出ていたから少し勉強しておいたわ。1万5千人となってるよ!」
「どうりで凄いと思っていた。ところで明日の事なんだけれど、写真展には松阪屋の外階段に並ぶらしいの…」
私はお付き合いで写真展を見ようと思ったが、とっさに”やーめた!”と思った。
半端でないのだ。フアンというのは。
「外にある非常階段に7階まで並んで進むらしく、物凄い人みたい。それにならぶらしいの」
「そう、私2時に家を出て、銀座に向うけれど、買い物しているわ。とにかく、明日ね会いましょう」

そう云って電話を切ったが、ゆっくり考えると大変な事である。
サイン会や写真展を観るのはこんなに凄いとは思わなかった。
新聞にも「ファンミ」韓流大盛況とあり、今回の埼玉でのソン・スンホンのイベントも1万3千円らしい。

友達と少しは話が出来るように私もネットで「ソン・スンホン」を探してみたら見覚えがあるが…。
「いい男の人でない?顔立ちがはっきりしていて!」そうつぶやいたら、孫が「にこッ」と意味ありげに笑った。
「私は大丈夫よ。しかし、明日ミイラ取りがミイラになって帰ってくるかも知れないけれどね」

中高年女性が殺到しているという「韓流スター」との握手会やファンミーティング等の同年代の女性のパワーに驚く。
明日は少し私もそれを横目で眺めて来よう。

高調した感情をむき出しに話をする彼女を思い出しながら、「今夜はぐっすり眠れるのかな?」その心配をしていた。

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”祝い酒・景虎”

「○○、ブリは美味しかったですか?」
生徒が部屋に入るなりそう言った。
「そりゃ、そうよ!あれ程の品物はそう味わえないもの。でも食べきったのでなく保存しているのよ」

「じゃ、これ私からの祝い酒です。呑んで下さい」Photo_72
「ココログ見てくれたのね。ありがとう!」

Photo_73 横浜から、お酒と初めて見る「大阪北新地の点天」を提げてきてくれた。
ヤフーのサイトに私の占いが載ったのをみて、いち早く「おめでとう!」のメールを送ってくれた生徒だ。

気の利いたメールを貰っただけでも嬉しかったのに、申し訳ないです。
「ありがとう!」

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”さばのへしこ”

{若狭から京都までの 道のりを経て 生み出された 福井の珍味です}という
”さばのへしこ”をお土産に頂いた。

焼き物によし、お刺身によし、お茶ずけにも良いとある。Photo_71
調理方法通りに米糠を軽く洗い流して、お刺身と焼き物にしていただいた。

鮭の辛い味とよく似ていて、燻製の感じがした。
美味しかったけれど、本当にもっと美味しく味わえる方法は、地元の人に調理をして貰うのが良いのでしょうね!

珍味とかいてあるだけに、大変 「珍味」でした。
「ご馳走様」

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”ミニ朝市”

春雨の降る寒い日曜日の朝だった。
久しぶりに原稿を打つ為にパソコンに向っていたら、宅急便が届いた。
少し大きめのダンボール箱。郷里の義兄からのものだった。

中から、大根・チンゲン菜・さつま芋・シメジ・お味噌・サンマの丸干し・鯵の開き・鯵の丸干し・エタレイワシ・デコポン・沢山の種類の品物が顔を出した。
{この疲れかかったチンゲン菜は、どうしたのだろう?}Photo_70

テーブルに並べながら、朝市の風景を思い出した。
それ位沢山の魚類・野菜・みかんが故郷の香りと共に届けられた。

「兄さん、お早う!、今宅急便が届きました。何時もありがとう」
「あのな、俺、チンゲン菜やシメジや野菜を貰ったんだけれど、どうしょうも出来なくて送ったんだ!」
「ありがとう。貰ったものより、買い足して送ってくれた商品の方が多いように思うけど…」
「あれも、これも好きかな?食べたいだろうと思っていたら、そうなったんだ。皆でたべてくれ…」

チンゲン菜の食べ方が分からないと言う兄の声を聞きながら、3年前に亡くなった姉も可愛そうだけれど、年老いて残された「義兄」のわびしい存在が急に気の毒に感じた。

{今から12,3年程前になる。里に母のお見舞いに帰った時の事。散歩のお供をしていたら急に話を出してきた。
「夕べ、お父ちゃんと話をしたんだけれど、あんたに家も財産も全部あげるから、一緒に暮らしてくれないかと頼んでみようという事になってね。どうかね。そうしてくれないかね」

私にはその時、すぐ頭をかすめた事があった。
{父と母には、全てを無くした娘が不憫で仕方なかったのだろうな…。その上、病気の身体と貧乏生活が浮かんで不憫で仕方ないのだろう。何とかして上げるつもりで、外見は親を看る様に形つけて話をしたのだろう。
しかし私自身、長年身体は病んでいたが、精神は病んでいないつもりだった。でもそれは親の目には、そうは写らない}
「お母ちゃん、私は家や財産は欲しくないの。それよりも東京の生活を今棄てられないの。もう少しやってみたいの」
「そうか、駄目か!みてくれないのか」
母は残念そうにそういった。それから間もなく入院してしまった。

もし、あの時父か母が一人で生活していて私に縋ったのなら…と思うと。返事に困っただろう。いや、見捨てる事は出来なかっただろう。心で泣きながらも郷里へ戻ったと思う。
それを考えると、その時母に言った言葉は酷かったかも知れないが、「夫婦」でいるという事が私の持つ「情」を断ち切る事が出来たのだとつくづく思う。

兄と話をしながら、反面私には侘しそうに思えても本人は案外そういう感じでないかも知れない。又、そうであって欲しいと願わずに居られなかった。

「その内、何か送るよ。気長に待っていてね!」
「気など使わんでいいよ、俺一人なんだから。元気で暮らせよ!」

{「今日のエタレイワシは、すごく美味しかったよ!」亡き姉の言葉を思い出した。}

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”大ぶり”

「宇久井の港に沢山の”ぶり”が水揚げされたのでね、一本送ったから、明日朝着くよ。自宅に居るかな?」
「何時も美味しいものをありがとう。楽しみに待っています」

Photo_67 「わぁーッ!大きい”ぶり”だ」
「お腹には、卵が入っている!」それから一時間程かかって、テーブルの上で孤軍奮闘してさばいた。

今月の2日の日だった。
念願のヤフーの占いサイトにアップされたので、嬉しくて仕事上の良き理解者の彼に携帯メールをした。
「念願が叶いヤフーにアップされました。涙が出る程嬉しいです」
「おめでとう!近くだったら一升さげてお祝いに行くのだけれど…」

この時の一升が、ドカーンと一本になったのだ!
世の中で泳ぐ苦労を一番理解して貰えるのが、今の私には彼だけだ。
そう思って本心をぶっつけたら、こんな大きなお祝い迄頂いてしまった。
私も何時の日か、トーンとお返しをしなくちゃネ。

和歌山県那智勝浦町の宇久井港にその日大量の”ぶり”が水揚げされた様でした。
75cmの箱に入りきれず、尻尾を切ってました。
大変重く、テーブルの上に載せる時{私の体重ほどある?}と勘違いした。
お腹には、写真にあるように大きな卵が入っていました。二重の喜びです。

それを煮付けましたが「ホクホク」として、何とも言い表せない感触と味です。Photo_68

Photo_69 お刺身に良し、照り焼きに、塩焼きに、しゃぶしゃぶにも良しで、もう”めちゃ”嬉しいです。
あらは、ゴボウや大根と煮付けよう。

料理の腕の見せ所です。

しばし、占いサイトの成績も忘れられる。

「頂きます。ありがとう!」

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皆様のお引き立てに与り、感謝致します。

3月1日より”yahoo占い!"サイトにアップされる事になり、早くも一週間が経ちました。
最初の日、上位ランキングに入っているのを夢心地で眺めました。
しかし、人間とは欲なもので、その時は”yahoo”に登場できるだけで満足していたはずだったのに
「三日天下で良いから、この状態があと二日続きます様に…」と願いました。

その事も叶い、皆様のお引き立てによりもう一週間になりましたが依然と良い成績を保させて頂いてます。
本当にありがとう御座います。私は、もう充分満足をさせて頂きました。

あの喜びの時、パソコンから目を離すと「万里の長城」が浮かんできました。

占いの勉強を志てから凡そ24年、その時から私は一匹の蟻となって「万里の長城」を目指してコツコツと歩み出したのです。
雨の降る日も風の日も、病気に苦しむ年月にもめげず、ただ自分の人生の目的の為にひたすら歩を運びました。
長い年月の結果、今その望楼付近に「一匹の蟻」が到着でき、暫らく滞在が許された気持ちに与っています。

この事は、一番に生徒達へのプレゼントとなる。それが嬉しいのです。
長い間、熱心に通って来てくれた若い生徒への報いになるのが何よりも嬉しいです。
そして、今お世話になっている「会社」へ、少しでもお礼が出来たら”いいな!”

名も知らぬ、日本国中の若い皆さん「ありがとう!」

私は、これからも「あなた」の為に、真面目に取り組んで答えを出して行きます。
でも、お願い!「無駄遣いしないでね」

夜中に、ソーッと起き出してはランキングを確かめながら、脳裏では「ありがとう!」を連呼しています。

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正面衝突

珍しい友人から電話がかかり、長話に花を咲かせている時、携帯にメールが入る。

「○○が、事故したの聞いた?」

朝聞いた交通事故の詳しい内容が分からずどうしたものかと案じられ、その日は一日中精神状態が落ち着かなかった。

夜遅くになって、義兄と電話が繋がり、やっと大体の様子がこれでわかった。

{国道42号(新宮~勝浦間)を串本の自宅に帰っている途中、何時も若者達がサーフインを楽しんでいる場所の所らしい。そこの緩やかなカーブに差し掛かった時、センターラインを超えて対向から乗用車がぶつかってきたらしい}

”正面衝突”甥っ子が事故に遭遇したのだった。

「肋骨と鎖骨が折れて、足も怪我しているけれど、元気だよ!」
という、義兄の説明に少し安心した。

義兄の話では、車から必死で脱出を試みるが中々出られず、後続車の人が後ろのドアーを開けて助けてくれた様子。救急車で病院に搬送された時は「ガタガタ」ただ震えて、その震いが止まらなかったそうである。
看護師さん曰く「交通事故に遭った人は皆そうですよ。病院に着くと途端に震い出す人が殆んどです」
と言っていたそうである。
病院に着いた安心が、反対に出くわした恐怖を甦らすのであろう。

前方をしっかり見て運転していれば、こんな事故は防げたはずである。という事故に遭遇させられた甥っ子が気の毒である。

今年は「亥年生まれの人は、気をつけなさい」と言ったって、飛び込んで来る災難もあるという事を体験しただろう。

元気でないけれど、無事だったので「ふっ」と一安心した。

「叔母さんは、君の快復を遠くから祈っているよ!」

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おばさんパワー!!

布団に入って本を読んでいたら、隣の部屋で電話が鳴っている。
{出ようか?よそうか?…}

「はい!」
「私よ。○子です」
「どうした!」
「3月17,18日空いている?往復飛行機で東京に行くんだけれど!」
「土、日ね。空いてるよ」
「17日は、あるイベントがあって埼玉へ行くんだけれど。一緒に行く友達は、その晩は浅草で泊まろうというの!。翌日は浅草を観光してと言うのだけれど、以前浅草へはあんたが連れて行ってくれたからもういいの。それよりあんたとゆっくり話がしたいのだけれど。18日泊めてくれる?」
「うん、いいよ。しかし浅草の浅草寺へ案内した?覚えてないけれど。最近観音様のちょうちんが新しくなっているのと、仲見世が綺麗になっているよ。私で良かったら、違う所どこか案内するよ」
「何処へ行きたいのでなくて、あんたと話をゆっくりしたいの」
「そう、じゃ待っている。しかし、イベントって?以前みたいに宗教の関係で?」

「ちがう、ちがう。○○の…。」
「えー。何?」
「ほら、韓国で兵役が終わって帰って来た人いるやろ。あの人…」
「それは、知っている。しかし…。もしかして、貴女追っかけ?」
「わはは!そう、それなの。その人が埼玉に来るのよ」

「私の周りにも、そんな人いるけれど、その人は韓国まで行くわね」
「私も、二回だけれどいって来たよ」
「じゃ、同じ様に携帯スクラップにブラブラと下げているの?」
「まあね!」
「しかし、旦那さんをほっといて良く行かせてもらえるね。何にも云わないの?」
「ただ、呆れて見ているだけよ!でもね、何時死ぬか分らないから、元気な内に自由に動いておかないと」
「幸せな人だね、貴女は。じゃ、待っているから」

だから、夜の電話は取る気がしないのである。刺激を受けると眠れなくなる。
彼女が、追っかけとは笑いが止まらない。私にはとんと理解が出来ない事である。
近くにいる女性は、私よりも6歳若いから{若いとは、元気がある事なのだ!}と感心していたが、同じ歳の人がそういう追っかけをするとは、想像もつかなかった。

ただ、可笑しくて今夜は眠れそうにもない。

私も実は、秘かに楽しみにしているドラマがある。
「拝啓、父上様」である。あの主人公の二宮君に惹かれている。何とも云えない顔。人のいう事が理解できているのかいないのか、理解に苦しむ表情を見ると、我を見ている感じがして、何とも可笑しく噴出してしまう。

「もう、そろそろあのドラマもおわりだね!お母さんどうする」
先日、息子にそう冷やかされた。それ位彼を見るのが楽しみで、木曜日はルンルンになる。しかし、その番組が終わってまで、彼を追っかけはしない。

{何時死ぬかわからないから、元気に動ける内に好きな事をやっておく。何と気楽な幸せな考えが出来る事。何時死んでもいい様に、過去帳も綺麗に書き換えて置く私。やはり、頼れる夫がいるという事は、人生の終盤までも考える事が違うという事を教えられた。私は幸せ者と思って日々を送っているけれど、手放しで喜べる幸せとはこんなにも差があるのだという事を改めて知った}

眠気がすっかり覚めて、目が爛々と輝いてしまった。

お願い、此方は体力がないから動けないの。

だから、おばさんパワーを吹き付けないでね!

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セミナー開始の、春が来た!

 昨年より、お誘いを受けていた「東急セミナーBE渋谷」での講座開講の時が来ました。15日募集開始のお知らせが、各地域に配布されたようです。
私は、3年振りの復帰仕事になります。

それなりに期待もし、楽しみにして時を待っています。
もし、よろしかったら、この機会にあなたもお勉強してみませんか?

まずは、3月23日の「一日体験」へご参加ください。

東急セミナーBE渋谷  Tel 03-3477-6277    www.tokyu.co.jp/be/

2007・4月期、「庵 妃慧の宿命百占学」講座開講お知らせ。

入門クラスからスタート致しますので、この機会に「占い」のお勉強を始めてみませんか?

「一日体験教室:3月23日 15時30分~17時まで」

・ 本格的授業:4月6日 金曜日からです。
         :月二回。第一金曜日:第三金曜日 15時30分~17時まで。

・ 場所:東急セミナーBE教室。

※場所=渋谷東急プラザ7・8階です。渋谷区道玄坂1-2-2

 <心のかけ込み寺

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”ピロリ菌”

「これまでの長い人生の”ピロリ菌”との戦いがこれで終わった事は、大きなお祝い事です」
今月はじめ、採血が済んで一応の診断が終わった後、先生はそう云われた。

{そうなんだ、そんなに大変な事を先生は治療して下さっていたのに、私は胸の中で、何時このお医者さんから逃げ出そうと随分勝手に悩んでいた}。
昨年の6月から、今年一月迄7回の胃カメラ検査と採血の繰り返しで、気持ちがボロボロになっていた。
「先生、1月は胃カメラ嫌です。精神状態が持ちません」
「駄目、24日予約ね!」
家に帰ってから、どうしても気持ちが治まらず、キャンセルの電話をした。しかし、胸の何処かで良心が囁く。
「24日は、仕事が入っていました。26日にして下さい」
2日間のストライキは、小さな抵抗のつもりだった。

「最後の組織検査をして、これが(-)だったら完治です」
胃カメラが終わった時そう云われたが、私はもう「ピロリ菌」は、どうでも良いと思っていた。
胃カメラを呑んで、結果をみて、抗生物質を一週間呑んで、採血して又胃カメラを呑んで、の半年間繰り返しにもうホトホト精神的に疲れていた。抗生物質は保険外入れて3回。
その度にあちこちの体調を崩し、元に戻るには大変である。

11月はもう「駄目だー」と根を上げて命を諦めた。
今年最高の悪さである。体調も精神的ストレスも限界であった。

{しかし、今遣り残した「過去帳」の作り変えの件。焦ったが直ぐにどうしょうも出来ない問題がある。
「遅くなったなー、困ったなー」で一カ月が過ぎた。12月に入り徐々に体調が回復しだし体の動きが出てきた。
いち早く気が付いたのは、生徒達であった。
「随分元気そうになりましたが、やはり”猿の腰掛”が良かったのですか?」
と云った。
悪い時は口に出すのも憚る感じで、ただ眺めるだけだったと云われた。
「気を使わせてごめんね。”猿の腰掛”も良かったのかもね。どうやら命拾いしたみたい」}

「完治しましたよ。ただし”ピロリ菌”問題だけですが…」
命ある内にと思って一番先に「過去帳」の問題解決の為に、故郷の菩提寺へお供えと共にお願いをした。

「自分のも日にちを決めて、過去帳に書いておくから、後で年月だけ入れてくれるかね」
娘に言ったら、叱られた。
若い人は「過去帳」とは、なんぞや?と思うかも知れない。先祖の戒名と一緒に、享年○才。俗名○○。
と書いてある、仏壇の日めくりの事である。
何もかも自分の手で綺麗に作り替えておいてから、その先は、子供達にお願いしようと用意している最後の物が「過去帳」であった。
「それにしても、あれから長生きするね」子供達が囁くかも知れない。

昨年は、宿命上80%は”あの世”とのパイプラインが繋がっていた。だから6月に健康診断を15年振りに受けた。
「貴女の場合このピロリ菌は、お母さんの母体から受け継いだものです」
それから、半年余りその戦いになった。

「先生、このピロリ菌の事が云われる様になったのは、案外日が浅いですね」
「そう、まだ10余年位かな、でもこれでノーベル賞を受賞したのですよ」
(この菌の発見者2人が、2005年のノーベル医学生理学賞を受賞した。)

先生に毎回胃カメラ結果報告と、フイルムの説明を受けながらも一番納得できたのは、
一番最後の綺麗になった胃の中の状態を見た時だった。
{綺麗だなー}そう思った。

お医者さんの「お祝い事に値する」この完治の意味を、始めてネット検索して今まで云われ続けて来た先生の言葉が良く理解できた。

一般に「ピロリ菌の除菌」と呼ばれるもので
2000年秋より日本でも健康保険による除菌(潰瘍の方のみ)が始まりました。

■慢性の胃潰瘍
 胃潰瘍の約9割を占める慢性胃潰瘍の症状は、胃や背中などの痛みが慢性的に続きます。特に空腹時に痛むのが特徴です。慢性胃潰瘍はピロリ菌の感染が原因になっています。

■ピロリ菌と慢性胃潰瘍
 ピロリ菌に感染した人のすべてが慢性胃潰瘍になるわけではありません。ピロリ菌に感染するとまず、すべての人が慢性胃炎となります。その中の一部が進行して萎縮性胃炎、さらにその一部が慢性胃潰瘍や胃がんになります。日本の中高年の人の70~80%の人がピロリ菌に感染していますが、そのなかで慢性胃潰瘍にまで進行するのは約2~3%、胃がんになるのは0.5%程度と言われています。
 また、ピロリ菌に感染してから慢性胃潰瘍を発症するまでには、数十年かかると考えられています。
 ピロリ菌の感染経路は、まだよくわかっていませんが、口から胃の中に感染するのだろうと言われています。ピロリ菌に感染すると、自覚症状として、むかつきや胃の不快感、軽い上腹部痛などが起こりますが、1週間ほどで治まり、その後は何の症状もないので、気づかない場合がほとんどです。

■ピロリ菌の除菌
 慢性胃潰瘍の人は、ピロリ菌を除去しない限りほとんどの人が再発をくり返しますので、ピロリ菌を除去する除菌療法を受けることをお勧めします。除菌療法とは、2~3種類の抗生物質を1~2週間、毎日服用する方法です。
 しかし、現在のところ、この除菌療法には、健康保険が適用されていません。治療を行っている医療機関も限られていますので、かかりつけの医師に相談してみましょう。

 ヘリコバクターピロリ菌とは?
日本人の約半数以上が感染していると報告されています。
慢性胃炎のため、胃痛・胃もたれなどの症状が続く方、 ここ数年以内に胃潰瘍・十二指腸潰瘍と診断された方は、症状や潰瘍の再発を予防するためピロリ菌を取り除く除菌療法が必要です。除菌療法に成功すると、潰瘍の再発の 心配はほとんどなくなり、快適な生活がおくれます。潰瘍で悩んでいる方、身近に胃癌や潰瘍の家族がいらっしゃる方は、ぜひご相談下さい。

ヘリコバクターピロリ(ピロリ菌)とは?
ヘリコバクターピロリは、「ピロリ菌」としてよく紹介されているので、一度はこの名前をお聞きになったことがあるのではないでしょうか?
1982年にウォーレンとマーシャルが人の胃からの培養に成功し、翌年発表された細菌です。
ところが、胃内は酸性の環境で細菌が生育しにくいという「常識」があったため、当初はなかなか理解が得られなかったようです。しかしその後急速に研究が進み、この菌は慢性的に胃炎を起こす病原菌として認識されるようになりました。

~ヘリコバクターピロリという名前はどういう意味ですか? ~
ヘリコバクターというのは「らせん菌」という意味で、この菌の本体が細長い螺旋状をしていることから命名されています。
またピロリというのは胃の出口側である「幽門部」を示しています。
ヒダが腫れぼったく蛇行し、表面には粘液が付着しています。粘液付着は胃酸分泌の低下に伴う変化でもあります。}

多くの資料をネットを通して読みながら、半年余り費やした事の大切さがやっと理解できた。

「先生、どうもありがとう!」

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私は、こう判断する!

昨今、柳沢厚生大臣の「女性は、子供を産む機械」という発言に対して、
衆議院予算委員会の予算案審議に野党の民主・社民が欠席している。
それはともかくとして、失言問題が選挙にどう影響するかは分らないが、

宿命上から判断すると、現状況として柳沢厚労相自身が、ギブアップすると判断しますが…。そんなに粘り強い人で無いように思うが、強い総理の意向によるのでしょう。
柳沢氏は「男尊女卑」の考えが強い星なので、特別な感情で語られたのでないと思う。

安倍首相は、その影響を受けてどうかは判断しかねますが、3月は何かと問題が多く出て今迄で一番大変な月になります。
「美しい国、日本」をという前に、もっとやるべき事があるのでないかと何時も思う。
安倍首相からこの言葉を聞く度に、鳥肌が立つ程、違和感を覚える。

こんなにも沢山の問題を抱える大臣を任命した貴方に「この先の日本を任せるのが難しい気持ちになる」。

これは、私の個人的な愚痴かも知れないですが。

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”リストラ”

「僕、リストラされました…」
電話の向こうで、寒いのか、ショックかどちらとも判断がしかねる感じで震える声が伝わって来る。
「まさか先日、話していた事がこの様に出るとは信じられません。時間を作って下さい」
「何人が対象者?」
「40才以上が対象になります」
「分かった。時間を作ります。しかし、それまで落ち込まないようにね。物は考えようだから…」

26日に訪ねて来た。背広から出た首が細くなっている。
今月5日に「今年は、どういう事がありますかね?」
気楽な感じで聞くその人に
「そうね、生活の変化が出ているね!」
「じゃ、自宅の内装を始めます。下の店舗を貸せる様にします。何時からが良いですか?」
「今度は本当に動き出しなさいよ。チャンスはそう何時までも続かないよ!4月に工事始めです」

そう云って話を決めたばかりだった。今、目の前に立つ彼を見て「あっ!」
頭髪が見事に全部真っ白になっていた。ついこの間は、まんだら頭だったのに、髪の先端まで真っ白になっていた。
余りにも私の方がショックを受けて、口に出せなかった。
「少し痩せたみたいね」
「ショックでね。あまりにも急な事で…。でも、結婚してなくて良かったですよ」
「馬鹿だね!結婚していたら、この悔しさや会社の愚痴を聞いて貰えるのだよ。その為に夫婦の良さがあるのです」
「すみません。結婚していたら今頃、かみさんに文句言われていると思ったのです」
「情けない、もっと結婚に対して希望を持ちなさい。妻がいないから、此処に来るのでしょ。」

「リストラのショックは大きいけれど、物は考えようよ!。今年は貴方にとって悪い年でないから、この先動きやすいよ」
「落ち込むな!と云われたから、これからの事を考えました。定年まで2年のんびり出来ると思っていましたが、その2年の間に自分の環境を変えて、何とか年金が貰える迄頑張ろうと思います」
「貴方には今、遊びや趣味の星が回っているの。だから気持ちがその様に動くかも知れないけれど時間を大切にしないとね」
「はい!」
「今、やっている”腹話術”は良いと思う。でももう一つの○○は先で考えると、結果遊びになるから無駄な時間を過ごす事になる」
「僕もそう思いましたから、それはやめて来ました。以前父親を看病して見送ったので、その体験を生かして早急に”福祉関係”の勉強をしようと思います」
「それは良いことね。仕事があって初めて趣味がいきてくるんだし、趣味が先で次に仕事という人は、若い内は道楽者に過ぎないから…。それにしても、思い切りリストラのあおりを受けたけれど、朝から夜遅くまでの通勤もそろそろ大変だから自分の思う道が見つかったんだから、会社のやり方に”ありがとう”と感謝ね」
「そう思える様に少しなりました。4月から自宅を改装する話を進めています。8月に両親の”年忌”をして、その後出直しの人生です」

「良かった!」

「じゃ、退職のお祝いをしてあげる」
外に出たら、雨が降っていた。
遅くなった夕食をご馳走するつもりが、割り勘で済ませた事になった。
完全にとは行かないかも知れないが、気分が晴れた感じになった彼を促して外に出たら、雨が上がり月が顔を出していた。

{この問題は、退職金が水増しなるとか、どうのこうので無い。
第一は大きなバックグラウンドの「職場がある事」が、日々の自慢であり励みになっていた事を充分に認識させられた。

”若い時にこの職場を選んだのは、食べ物の会社だからです。何時の時代にも食品産業は廃れる事は無いと思ったからです。”
以前、そう云い切った彼の気持ちは間違いではない。しかし時代の波に乗り、あちこちの会社と合併し、会社其のものが大きくなり、社長までもがフランス人に代わってから急速に会社の方針が「情」抜きで、出来高主義になったようである。
「売り上げ悪ければ、ボーナス無しよ!首切るよ!」
社員を前にして平気でそう公言する社長に何時も緊張感が漲る社内に変化した。と云っていた。
社内の部署によっては「フランス語、英語」が飛び交い、何処の会社だろうと錯覚を起こします。とも聞いていた。
競争は、国内の食品会社相手でなく、世界を対象にして売り上げ高を判断するとも云っていた。
目まぐるしく変わる社内の状況に、本人達も大変だったと思う。しかし今回、思い切った若返り政策として、40才以上のリストラをした事には頷ける点も”無きにしも有らず”だ。
その様な環境のリストラに対して、子飼いから頑張って来た特に50代の人達のショックは計り知れないのだろう。それも理解できる。”寝耳に水”と言うものだ。}

どうする事も出来ない問題に、慰めでなく方向づけをさせないと助言にはならない。
”運期が良い”というのは、乗換えが効く事になる。その点を活用した。

彼ならきっと立ち上がるだろう!
なぜなら彼は”策を練らず素直に取り組む人であるから”

私なりに、暫らく抱えていた重い気分がやっと晴れた感じがした。
もう直ぐ、新しい年が明ける。
 
”亥”年の、正直で盲進する時が来た。

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お母さんの”ぜんざい!”

日々静かで平凡な時間を過ごしていると、「何か子供達の為に食事を作ってやろうか…」という母心が頭をもたげてくる。

寒い時はやっぱり”ぜんざい”だ!。
「ぜんざい、作ろうと思うけれど食べる?」
電話で意見交渉して注文を取る。
「東京のぜんざいは嫌だな!」
「東京と関西のぜんざいは違うという事知っている?」
「知ってるよ!」
「反対だよ。関西のぜんざいと東京のしるこは同じだけれど」
「それ位、理解しているよ!東京に来て何年になると思うの?」

「じゃ、子供の頃食べたお母さんの”ぜんざい”を希望する」

小豆は、年末に「岡山の甥っ子夫婦」から沢山の黒豆とPhoto_66 御餅と一緒に送って貰っている。
お嫁さんのお父さんが丹精込めて栽培した物だそうである。
「小豆」にしろ「黒豆」にしろ、一目見ただけで違いが解る良い商品である。
酪農の後の広い土地で栽培しているという、新鮮なその品物を手にして「有難い!」と感謝した。

暮れに買った「小豆」もそれなりの商品を吟味したつもりだったが、足元へも行かない程、何かが違う感触がする。_2

又、同じ頃に友人から送られた「びんちょう鮪」もそうであった様に、産地直の「ほんま物」を知ると感動する。
「一味違う」という言葉が浮かぶ。

「そうだ、明日は一味違った、お母さんの”ぜんざい”を子供達に作ろう」
子供と言っても、世間ではもう立派な大人である。
しかし、家庭においては私の子供達であり、誰よりも”母の作った故郷の味”を喜んでくれるお客さんは、この子供達しか居ない。
仕事の合間をぬって、いそいそと母の存在を見せ付ける為に”ぜんざい”作りに精を出した。楽しい穏やかな、冬の一日でした。

何かとご心配有難う御座います。ココログが動いていないと心配をして頂いて、それとは無しにお声を掛けて下さって感謝しています。元気で、何時もコンスタントにパソコンに向って作業しています。目的を持って作業をする時には、邁進する癖がありますのでご理解下さい。
ココログがストップしている時は「さては?何か楽しみを見つけたな!」と笑っていて下さい。
何時も心にかけていただいて、感謝の気持ち一杯です。
しかし、悲しいかな、私の頭が融通性を持ってくれないので、あれもこれも出来ないのです。皆さん、ありがとう!

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"おたまじゃくしは、カエルの子”

穏やかな冬の日差しが射す昨日の「成人の日」。

あちこちの駅前で晴れ着姿に見とれながら、
「牛に曳かれて善光寺参り」でないけれど、17才の孫のために娘に連れられて新宿へ出かけた。

初めての「ライブ」お披露目である。
半年前に女の子でグループを結成し、3ヶ月程前に「ライブをやろう!」と決めて、
全て4名で試行錯誤しながらどうにか本番を迎えたのである。

”陰の努力”とはこの様な事を言うのだと、このライブを計画してからの孫の動きを感心していた。
当然ながら、学校行事をこなしつつ、練習場所に何所を借りるか。この間の所は高いから、区の施設を借りようとか、チケットの事。
150名入る所だから110名にして、ドリンク代300円…等。

重いギターを肩に掛けて、華奢な身体で「ニコニコ」と練習に出かける姿は「夢に懸ける少女」の可愛い姿だった。
それこそ白鳥は水面では、スイー、スイーと泳いでいるが、水面下では足を一生懸命動かしているという。
そのものずばりの努力は微塵も見せずに良く頑張ってきた。

私達大人が協力する事は、労働や金銭でなく「理解してあげて見守る事」ただその一言に尽きる。
もう、口出しも大人の手もいらないのだ!

10曲をギターを弾きながら歌い、アンコールに応えてもう一曲を歌い終わると満面の笑みを浮かべてマイクを置いていた。
生まれながらにしてクラッシックをバックミュージックに生活する子供もいれば、孫の様に家庭環境上いつもジャズやロックを耳にして育った赤ん坊もいる。
誰が進めたのでも、教えたのでもなく、自分の方向性を決めてそれに向かって突き進もうとする17才の若者に、今はもう足りない時の「頭数」の力にしかならない自分がいる。

{急な行人坂を三人で歩いていた時、私は息も絶え絶えに
「今は、貴女に協力して上げる。しかし、何時の日か晴れの大舞台に立った時は、私を招待してくれるよね!」
孫は、肩に掛けたギターを持ち直しながら、笑っていた。
きっと、「今に、そうなるよ!」まだ今、口に出せない自信を、笑って誤魔化したのであろう!
練習に行く孫は、「じゃネ!」手を振って改札に向った。
身体は小さめだが、持つ夢は大きく努力は人一倍する孫である}

”頑張れ!自分の大きな夢に向って、貴女はカエルの子なんだよ”

ライブが終わって新宿駅東口に来ると、綺麗なイルミネーションの輝きに出会った。Photo_65

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待ちぼうけ!

土曜日。今日は朝から夕方まで通しで勉強する生徒が見える日。
10時過ぎには生徒を迎える準備が整い、時間つぶしにパソコンを開いた。
外は冷たい雨が降っている。
「さぞ寒かろう、今日は気の毒な事だなー」
心の中でそう思いながら、インターネットで教材を探す。

{何時もなら、もうチャイムが鳴りそう。一人目の人は何時も少し早い。
さいたま市からの人は、時間ぎりぎりで着く。30分が過ぎた。でも来ない}

カレンダーのメモと睨めっこ。
「あら、これは彼女達が書いた字ではない。確か彼女達は何時も第二土曜日と決まっている…」
思い返せば誰かに
「土曜日に入れておいて!」と!別の生徒に頼んだ事があった。第二土曜日とは言わなかったのだ。納得して諦めたのは、11時近く。
早々に「やっちゃったー」感じ。でも自分が失敗したのだから、仕方が無い。

それから先は上手く気持ちを切り替え、カレンダーの増刷に取り組んだ。

溜まっている仕事は幾らでもある。

チャイムが鳴った。先日頼んでおいた、宅急便である。
通し授業をする時は、昼食を外でするから自分だけ家で食事する事は無いが、今日のお昼は思いがけず先ほど届いた「さんまの馴れ寿司」を食べる事が出来た。Photo_63

以前は、お正月が過ぎた寒い頃、何時も郷里から「馴れ寿司」が届いた。
「何時か、競技会に出そうと思っているの!」亡き姉の声が思い出される。
色んな思い出をまさぐりながら、一人「馴れ寿司」を美味しく頂いた。
「満足!」

今回は、南紀勝浦「文太朗」から取り寄せたものである。
娘は「私は、さんま寿司が食べたい!」Photo_64 と言うので、それぞれ取り寄せた。
このさんま寿司は、お歳暮にして「脂がほど好くあって大変美味しかった」と喜ばれた商品である。

どちらも南紀でないと作れないお寿司である。
早くも年頭にドジを踏んだ一日であったけれど、お陰様で”郷里のお正月”を味わった嬉しい日でもあった。

外は冷たい雨が降り続いている、土曜日の昼下がり。

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年頭の挨拶

あけまして、おめでとう御座います!

昨年に続き、今年もどうぞ宜しくご哀願下さい。
お正月に退屈しましたら、ぜひお楽しみ下さい!

年末年始、ここでお楽しみ下さい!
"
占い師に聞け 2007年はこれで開運。
          コレで幸運をGET!”



宿命百占学

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年賀参拝!

_004_1 2007年夜明け前の「大鳥神社」とお正月の交通量。

除夜の鐘と共に、夜明け前に参拝する人の姿が増えていた。

_005_1

朝10時頃になると一番人影が少なくなる。その時間を見計らって参拝に行った。

_003

境内もこの通り、悠々とシャッターが切れる。

お正月の大事な行事が、一つクリアされた気持ちになる。

今年は4月から「東急セミナーBE」で仕事をする事になっている。
カルチャー講師は、3年振りの復活でそれなりに緊張している。
人が集まってくれれば良いが、それを祈るばかりである。

しかし、神社ではそういう願い事はしていない。

{元旦にこの様にお参りできるのが幸せです}ただその気持ちを伝えている。
   

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面白い広告を、見つけた!

お台場からの帰り、大崎までの臨海線が埼京線と名前を変える。

そのまま「恵比寿」まで乗り、山手線に乗り換えた。

車内の広告に目をやるとPhoto_61

「おや?」写真を見て下さい。

伊 右衛門の広告に立派な”しめ縄”が付いていた。

目黒で降りて、今年最後の晩餐会を孫の要望に応えて、叙々園焼肉店で打ち上げをする事にした。

10時過ぎに大鳥神社を眺めると、境内は綺麗に整い年賀の参拝客を待つ静けさで佇んでいた。

2006年も、もう直ぐ終わる。

振り返ると体調不良に悩まされた年だったけれど、今夜の大晦日が楽しかったので、全て帳消しになった。”終わりよければ全てよし”

皆さん、この一年お付き合い有難う御座いました。

どうぞ、来年も頑張りますので宜しくお願い致します。

皆様の御健康をお祈りいたします。

ありがとう御座いました。

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あー、楽しかった!

2006年の大晦日の今夜、「大江戸温泉」へ遊びに行って来た。

家を3時に出て、山手線を大崎駅まで乗ってそこから先は初めて乗る臨海線。

東京テレポート駅(お台場)で下車すると前方に大きな観覧車が目に入る。Photo_51

その先は、シャトルバスに6分程乗って到着である。

大江戸温泉物語の玄関の辺りから江戸の町になっていたが…。Photo_52

高層ビルがあってー。

Photo_54

Photo_53

館内では、老いも若い人も皆好みの浴衣姿でくつろいでいる。

孫と”綿菓子”を買って、昔を懐かしみ簡単な食事をした後、温泉に入る。

垢すりの看板も気にはなるが、「どうも裸になって…」と考えると二の足を踏む。
やっぱりマッサージを選んで、一年の疲れを癒した。Photo_55

Photo_56 お客さんはどうも都内の人よりも、それよりも日本人でなく韓国からの人が多い様に感じだ。
「きっと、ツワーで来た人達よ」孫がそう感じたらしい。
「じゃ、今日来ている東京在住の私たちは、東京のいなかっぺだ!」と笑った。Photo_57
それ位多国籍の人が多かった。

長い時間お風呂に入って、懐かしい「ラムネ」を呑んで帰りの途に着く。

お台場の観覧車がとても綺麗に色を変えて楽しませてくれた。Photo_58

Photo_59 Photo_60  

2006年ももう直ぐ終わろうとしている。

最後の夜は、思いがけない楽しい一日だった。

来年も、ガンバローッ。

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本当の"贅沢”

「焼肉を食べて、胃の調子を少し悪くした…」
「我々の年ではね、もう肉はきついよ、魚でも食べて良くなれよ。美味しいトンボシビ送るよ」

本当に送ってくれた。
それも大きな物をどっさっと。

「わあっ、美味しそう!」Photo_45
夕飯に早速お刺身にした。地方では”トンボシビ”というが、此方では”びんちょう鮪”という。
でも近所のスーパーでは、余り良い品物に出会った事がないので、
子供たちが食事に来ても大好きなびんちょう鮪はテーブルに出せなかった。
今回は思い切り食べさせて上げようといき込んだ。
私は、夕飯に頂いて、その残りを翌日のお昼にそのまま食する。それ程新しく、美味しくて思う存分味合わせて貰っている。

お礼の電話の時に奥様が言った。
「内ではね、尻尾の方をフライ用に作って冷凍して置くの…」
「勿体無い!」内心思った。

しかし、どう考えても三日目。食べきれないのである。
思い切って、少しフライ用に加工した。
「心の中では、アー勿体無い!」を叫び続けた。生ものが好きな私は、朝からでも”お刺身”が食べたいのである。
しかし、何時までも新鮮なままで保存できない。
作りながらもつまみたい感じが起きる。その時ふと思い出した事がある。

もう古い話になるが、フランス料理のフルコースをご馳走になった事があった。
その時に、料理の材料をコック長が説明に来た。その中にアワビがあった。

「ワー、お刺身で食べたい!勿体無い」
「何だね君は、新しい魚はお刺身で、腐りかかったのは、煮て食べるのかね」
そうすかさず突っ込まれた。
「済みません!アワビのお刺身が好きなものですから」
その場の空気とその意味を理解するよりも、”あー、勿体無い!”動くアワビを恨めしく眺めたものである。

その時の事が急に脳裏に浮かんだ。

そして、この年になってその時の言葉の意味が理解できた。
新鮮な内に料理する意味が。
しかし、まだ何処かに「勿体無い、こんなに新しいのに…」という気持ちがズーと脳裏を掠めていた。

卵をまぶしながら、こんなに新しいのに…。
でも、気がついた。
如何に私は今、贅沢な食生活をしていると言う事を。
{東京では、この様な新鮮な鮪が手に入り難い。それなのに大きくて新鮮な鮪を手にし、
お刺身だけならいざ知らず、フライ用にも調理して保存出来るという事}
「有難い!」それに気がついた。

フランス料理にしても「最高の贅沢」を味合わせてくれたのであった。その人は何時も私に征服力を与えてくれた。良い相性とは、そういうものである。
そして今回この「トンボシビ」の送り主は、私に何時も刺激を与え、何かを学ばせてくれる。
決して口に出して物事を直接言うのでなく、私が自然と考える体制を与えてくれる相手である。
「最高の贅沢とは、こういう事なのだよ!」と。
新鮮な内に手早く調理して、食するのも良し保存しておく事も良しなのである。

長年の「勿体無い!」という気持ちが、本当の「贅沢」を知らなかった自分を目覚めさせてくれた。

奥様に教えて頂いた調理方で早速保存します。

しかし、お刺身の美味しさを最後まで充分堪能させて頂きます。

「ありがとうございました。ご馳走様です」

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あなたは、どんな人?

今年の9月、戦後生まれの初の若き「安倍首相誕生」には大変期待?か興味を寄せたものです。
早くも3ヶ月が経ちました。その間に色々の問題が出て来ましたが、

「総理、総理どうなってんの?貴方の意見は…」
と言う感じの事が時々あります。
今回の本間政調会長の件だって「公私混同」もはなはだしい問題である。
引越ししたから良いのでなく、実際に何ヶ月間かは住んでいたのだから、
騒ぎにならなかったらそのまま居続けた様な話である。
こんな事、役職に付ける時に簡単な身辺伺い位すれば良いのにと思う。

色々と問題が出てくると、前総理小泉さんのやり方が浮かぶ。そこで二人の違いを紐解いてみる事にした。
これはどちらが善し悪しの話でなく”そうなんだ!だから人の目にその様に映るのだ”という判断が出来る事の話である。

その前にあなた自身も自分の事を判断して見て下さい。
人には、
①よく身体を動かして、自分で物事を一生懸命切り開いてゆく人。
②物事はきちんと自分で決めて(解決して)前進する人。
③自信過剰で、思い上がりの強い人。
④パワーがあって、何度でも同じ事を繰り返しながら人生を渡ってゆく人。
⑤己に甘く、それでいて自己満足度が強い人。
⑥一歩人に譲って、諦めの良い人。

と、6ツに分かれる。
この中の②は小泉元首相。安倍首相は⑤です。ですから、小泉さんの言うことは、歯切れが良かったのです。
「私は首相ですから、判断は自分の責任においてはっきりします」と言ったかどうかは知りませんが、その様な感じを受けた気がします。しかし、欠点は攻撃あるのみで全身攻撃精神旺盛でしたから、取り付く島がない感じも受けましたし、クールな人とも冷たい感じをも人に与えました。
安倍首相の場合は、実にソフトです。きついのは苦手です。

「私が首相なんだから苛めないでよ!」と言いたげな感じです。

ここで皆さんも桃太朗さんになって頂き「鬼退治」に出かけて貰います。
どんな性格の桃太朗かはわかりませんが、お供に何を選びますか?
小泉前首相が桃太朗になったとしたら、攻撃精神でまっしぐらになるはずです。
そこで、お供に一番先に必要となるのは、知恵(理論)・ユーモアのある”猿”です。行動を抑制する役目です。
安倍首相でしたら、先遣隊に”キジ”が大切かも知れません。それに”犬”も必要です。

と言うように、人の質によってお供が違って来るように、補佐役の質も選ぶわけです。
自分の欠けるものを補ってくれる相手を選ぶのが大切なのです。

そういう事で、安倍首相には「決断力が不足する」のです。物事がはっきりしないので周りの人の意見が混乱すると私は考えるのです。
どこかが、だらだらとしまりが無いのもその様なところから感じるのかもしれませんが…。それは、性格上しょうの無い事なのです。

②の人が⑤の表現は出来ませんし。反対に⑤の人は、②の人の様な態度は取れないのです。そこが、大きな差であって期待しても無理な話です。

ちなみに、現都知事も元総理田中さんも②です。

そこに魅力を感じるところがあるのかも知れませんね。

http://www.bitway.ne.jp/hyakusen/nifty  <宿命百占学>

http://www.an-kikei.com  <心のかけ込み寺>

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早くもお正月が来た。

新潟十日町”きねつき”餅が、今年も早々と友人から届けられました。
さすが米どころと言った感じの御餅です。Photo_43
とても綺麗な肌をしています。
「ありがとう」
これでお正月を迎える準備が一つ揃いました。

もう一つ早い目に準備が整うつもりで用意したのですが…。
失敗かな?それとも来年はこの様な”ささやかな幸”かな?
と判断して、観念しました。

「玄関に門松を飾ろう!」
写真を見ただけで
「これが良い!」
と、勢い込んで早々と通販に申し込んだのが良かったが、届けられたのを見て、
「これ、なに!」仰天しました。Photo_44

「ミニミニ門松のご注文品お届けです」
配送屋さんの顔をまともに見られなかった。
「どうしょう…」
考えた挙句、お正月に仏壇のお飾りにすることに決めました。

今年も暮れようとしていますが、気ぜわしい年末にもこんな早とちりで失敗です!

「笑わないで」と言いながら、自分が笑っています。

http://www.bitway.ne.jp/hyakusen/nifty  <宿命百占学>

http://www.an-kikei.com  <心のかけ込み寺>

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貴女のような”胡蝶蘭”です。

夜の冷え込みが厳しくなって来た或る日。
大きな宅急便が届いた。Photo_41
可愛い花が咲いた”胡蝶蘭”の鉢植えでした。

殺風景の私の部屋が急に明るくなりました。
「やさしい気持ち”胡蝶蘭”」とあります。

Photo_42

貴女の気持ちそのものです。

しおれた私に”花”の助っ人が付きました。
「ありがとう」

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"牡蠣”

先日岡山の甥っ子夫婦Photo_40 から干し柿が送られて来た。とても美味しかった。
そのお礼をしていない内に、今度は沢山の”牡蠣”が届いた。

外の殻を束子で洗うと泥が取れ、綺麗になった牡蠣を鉄板で蒸し焼き状態にして食した。
塩味が丁度良い感じで何も加えずその物を口に運んだ。
新しい食品はやはり一味違う。
このような美味しいものを戴かせて貰える己の幸せに感謝する。

本当に満足、満腹感を娘と味合わせて貰った。
「ありがとう。ご馳走様でした」

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”さるの腰掛”

今日は、来春から始まるセミナーの打ち合わせがあり少し疲れた。
7時のNHKニュース途中で眠る事にした。
グー、グー。
”よく眠ったなー、何時だろう?”
10時前だった。
”どうしょうか?このまま寝ようか、起きようか!”
そうだ、と考え布団から出てパソコンに向かう。それが今。

先月末の話になる。
酔っ払いの友人?それとも酔っ払った友人というべきか、長距離電話があった。
ろれつが回らず、切れの悪い言葉尻が酔っ払った人の特徴である。
「……かず子がね、かず子がね」云々。
「気安く呼んでるけれど、随分親しくなったみたいね」
「嫌ね、かず子が出ると家内が必死になって観るので、何時も二階へ上がって来るのさ」
「そうなんだ、○○かず子さんに奥さんを奪われるのだ!」
「俺、あの顔を見ると気分が悪くなるよ」
かの有名なかず子さんの話である。

有名になるとはそういう事である。主人公を味方に付けて、テレビのチャンネルを独占する強さを出すのだ。
そう云えば隣の国のドラマも、その様な奥様専用番組で時間を優先している。
その時は、誰様の言葉も耳に入らないといってる人がいた。
素直に燃えられる人が羨ましい限りである。

その時二階での話題は、
「元気かね!」
「まあね」
と言った味気の無い話である。

「調子が悪いのだったら、良いものがあるからそれを試してみたら?」
「何が良いの?」
「さるの腰掛さ。しかし本当に良いのはその中でも”梅ノ木に出来るサルノコシカケだそうだよ!」
「へー。木にもよるのね」
「送ってやるから、飲んで元気になれよ」

「かず子さんの番組」を夢中で見ていただろう奥様の余分な仕事を二人の会話で作ってしまった。
二日後、見事な”サルの腰掛”が届いた。その中にコピーも用意してくれていた。

”粉末15グラムを500ccの水で二時間煎じる”Photo_37
さあ、困った。土瓶が無い。
デパートへ走った。お取り寄せで一週間かかるそうである。スケールも新しくした。
とにかく何時も形から整えないと気に入らないので大変である。

Photo_38 二日前に揃った。
”今日は、日が良いから、早速煎じましょう”
1ℓ分を煎じた。Photo_39
「免疫力」を高める効果が大きいとある。私はそれに望みを託した。

苦さは特別”嫌!”というものでない。300cc入るグラスに少し水を加えてテーブルの上に置いた。

今夜は二日目、身体に温かさを感じる。布団用の靴下がいらなくなった。
夕べ生徒が言った。
「今日はとても顔色が良いですが、何か良いことあったのですか?」

私の頭は鈍感である。しかし、身体は敏感に察知するところがある。だから朝から飲んでいた煎じ薬が夜には効き目が出掛かっていたのだ。
手の平は最高に綺麗な色をしている。
「お茶代わりに、嫌、水を飲む気持ちで親しもう」

お医者さんに何時も「水を沢山飲みなさい」と言われている。

さるの腰掛と聞いた時は、少し戸惑ったが実物を手にすると可愛いものである。
まして、ここにおサルが腰掛けるのだ?と想像したら、何ともいえない親しみが沸く。

三年前にこの世を去った姉が、これを見たらきっと羨ましがるだろう。

”友人よありがとう。奥様、手を煩わさせてすみませんでした”

健康に気をつけます。
血色の良い美人に生まれ変わるからね。
感謝の気持ちで一杯です。

                            おやすみなさい。

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師走の”日曜日”

今日は夕べの天気予報だと、寒い朝という事。しかし早く起きてカレンダーつくりをする事にした。

「カレンダーまだですか?」
聞かれる度に、首をすくめて「ごめんね!」も、この時期になると気が引けて云えなくなった。

主に印刷であるが、朝日の一杯入る部屋に響くプリンターの音を聞くと”機織り機を思い出す。
{よく頑張って働いてくれるね}
有難い気持ちでリズミカルな動きに満足しながら、キッチンで今夜の煮物の用意を始める。

「宅急便です!」

「少し早いですけれど、冬の味覚の干し柿が出来ましたので送りました」
岡山の甥っ子夫婦が手紙を添えて送ってくれた。Photo_35

「可愛い!」
思わず顔から笑みがほころぶ。

「美味しい!」
何とも云えない甘ーい味がする。Photo_33

「お醤油は、こちらの料理で薄口の味付けに利用している物です。義母には叶いませんが頑張って料理を作っています」
亡き姉もきっと喜んでいるでしょう。
我が息子の為に気を使って料理をしてくれるお嫁さんに、お礼を言ってると思う。

Photo_34

          

今年のカレンダーもやっと出来上がった。
これでやれやれである。

次の日曜日は、換気扇の掃除になるだろう。
師走の月だけ、日曜日が一回でも多くあればなーと、今から思う。

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"武士の一分”を、観に。

今日は1日。映画の日だったらしい。
朝一で映画へ出かけた。1000円だった。10時上映に少し遅れてしまった。

初めての映画館なので勝手が分かり難い所へ小さい館内が真っ暗闇。
「一番前の席しかありません」
顎を突き出す感じで辛抱しながら観た。

考えてみると、藤原周平さんの原作物を好んで見る自分に気がついた。
厭らしいしつこさがないのが良い。

木村拓哉さんは美男子とは知っていたが、画面一杯に映し出される顔を眺めていると、
左側の目が切れ長で何とも綺麗である。
正面後ろの方から、この映画を鑑賞したかったと、悔しくなった。

選んで行く映画だから安くて前の方よりも、普通の値段で自分の好みの場所に座って観たい。
これからは、1日の映画鑑賞は止めた。

この映画の感想は、人それぞれだから…。
私の気楽な一日を、満足させてくれた事には違いない。

しかし、女の浅はかな考えで犯した罪を許す男のしぐさに「惚れ惚れした」のは嘘でない。

ラストシーンが何とも云えない良い印象に残る。

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”すすき”

今月の十日頃、品川駅中央広場で友人と待ち合わせた。Photo_30
そこには、もうクリスマスツリーが飾られていた。

その足で、ホテルで会談する事にした。
ホテルの喫茶で外の景色を眺めていると”すすき”が、風になびいていた。
観賞用のものである。Photo_31

”馴染みのあるすすきは、こういう生えかたをしていなかった”と思いながら眺めた。

それにしても”ススキ”には、やはりお月さんがいる。_375

「陰」極まれば「陽」になる。
本当にそうなるかなー。
この頃、少し弱気の自分がいる。

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”物は、使いよう”

今年の夏は、暑さとの戦いであった。
気候もそうであったが、それよりも使い始めて2年半になるパソコンが不調になり、文字変換がスムースに出来なくなった。
HPのドメインを管理して貰っている関係上、勝手に買い換える訳には行かず、そうは言ってもリース会社は責任を取ってくれず、難儀したものである。

腹立つ感情の暑さと、パソコンの熱で何度もうんざりしたものである。1_1
何度も「パシッ」と切れながらも、原稿作りに汗を流した。
パソコンの下には「アイスノン」を置いて、冷やしながら機嫌を取っていた。

「もうこれまで、この先は我慢が出来ません」
10月末に熱い感情を投げつけた時、
「こちらから、パソコン会社の人を送ります。修理費は持ちます」

「ここの数字を読んで下さい」
「94となっています」
「これは、94度という事です。このパソコンの熱がここまで上がっているのです」
「アイスノンは、効用がありましたね」
「そんな問題でなく、後2度高くなったら煙が出たでしょう」
「ひゃー」

手袋をはめ、分厚い布を出してパソコンの”ヒートシンクFAN”を、取り替えながら、
「熱いから火傷に気を付けて下さい。」

”キーボードも不良のためそれぞれ交換しました。動作テスト、温度チェックOK!”
の確認書が渡されて修理がすんだ。

お陰様で今月はパソコンを使ったのでなく、感度が良いから反対にパソコンに追い回された感じである。

「ノートパソコンの人は、少しこの場所に何かを入れて空気の入りと出が上手くゆくようにして下さいね」
そういう助言を貰い、手元の品物で応急処置できる物を探した。

お揃いの箸置きと?である。デパートの粗品で頂いたが可愛いから捨てられず、何に利用するかも分からず、食器戸棚の中に置いていたのを思い出した。

丁度うまくはまり、パソコンの付属品と間違う人もある。Photo_28
「捨てなくて良かったー」

「私も、早速それとよく似たものを買いました」
この状態を見た、若い人から電話があった。

「外側はそのままでも内蔵が新しくなりましたから、新品と同じ感じで使えますよ!」
そう言った、パソコン会社社員の言葉が今とても耳に残る。

「外側は皺くちゃでも良いから、私の内臓を全部入れ替える事が出来ないかなー」
スムースに働いてくれるパソコンといつも向き合いながら、その様な気持ちにさせられるが、しかし、今回はそんな愚痴でなく、

「ノートパソコンを使用している人は、少し空気の入りを良くして使う事。」
を、伝えたかったのである。

http://www.bitway.ne.jp/hyakusen/nifty  宿命百占学

 http://www.an-kikei.com 心のかけ込み寺

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天声人語に!

先日の”天声人語”に
{世の中には物は言いよう、ということがある。
「改定します」が値上げだったり、「しつけ」が虐待、「工夫」は、やらせで、「相談」が談合だったり。
政府が、今の天下りの規制を改定する目的として持ち出しているという「交流」も油断がならない…。}等と書いてあった。

私も最近、知人から言われた言葉に違和感を覚えた一言がある。
「…実はあの時、私には何も『他意』は無かったのよ」
という無責任な言葉で言い訳された。

「他意」とは(隠している)ほかの考え、と辞書にある。
その言葉を借りるなら、子供が友達のおもちゃを取り上げたとしても、他意は無いと言えないだろう。
心の底に「あのおもちゃが欲しい!」とか、相手を「泣かしてやろう」等と考えるからそうするのであって。

そう言う彼女に、私は大人の言い訳の最高のずるさを感じた。
時間の経つのを待ったのだろう。そしてどうしても自分の犯したルール違反を正当化したかったのだろう。
考えた挙句「他意はなかったの」という言葉で収めたつもりであろう。

「他意は無かったの」と言う簡単な気持ちで仲間同士のルール違反をした彼女を、私は同年代として許せない。
こういう考えが、今のいじめを引き起こし、社会問題化する世の中になったのだと思う。

それよりも
「あの時は、悪かったわね」の一言の方がどんなに彼女の値打ちを上げたか分からない。
それこそ”物は言いよう”である。

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やはり、一味違う!

ご近所さんから、今年も”青森りんご”と非売品の”りんごジュース”を頂いた。

「やっぱ、この味ね!」

思わず言葉が飛び出した。Photo_27 これは、東京に来て知った味である。

産地直送、わが故郷で言えば”紀州みかん”と同じ感覚。

「俺んちの子供はね、長野のりんごを食べてから、青森のは甘味が薄いと言って食べないのだよ」

りんごを下さった家のご主人がそう言った。

「イヤー、最高の味ですよ!」

しばし、食後の楽しみが味わえる。

ありがとうございます。

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炭鉱の”同級生”

幼馴染の集まる同級会が、11月12日愛知県蒲郡市”三谷温泉(松風園)”で行われた。
39名が集合しての盛大なものだったようである。
愛知万博に出た”和太鼓”の鳴り物を、幹事の粋な計らいで呼んでくれたらしい。
「過去何回もあった同級会で最高のものだった」
と、二人の女性が電話口でまだ余韻が残る感情を交えて”宴”の様子を教えてくれた。
「部屋も窓から海が大きく開け、良かったよ。それに食事も最高に美味しかったよ」
「最後にね、みどりさんが用意してきた”炭鉱節”を全員でテーブルを囲んで踊ったの」

郷里の広場で夏の夜、老いも若者も一つになって踊った”炭鉱節”の思い出を皆が心の底に持っているのだ。
私たちが育った時代は「石原産業」の全盛期である。
そこを飛び立った子供たちが一同に会し、良き昔を偲んだのである。
微笑ましい光景を想像しながら、しばし幼馴染の顔を走馬灯の如く思い浮かべた。

「Kちゃん、行ってた?」_009
「うん、来ていたよ」
「あの人、色が白くて肌が何時までも綺麗でしょ!」
「そうかー、ちがうよ。色が黒くなって痩せた感じだったよ」

やっぱり私の勘が当たっていたな?
同級会の2,3日前に宅急便が届いた。
ボール箱一杯の”みかん”である。

直ぐにお礼の電話をしたが留守だった。
嬉しさと驚きで、そのままお礼状の手紙を書いた。
やっぱり、神ノ木に引っ越したのは、この夢の為だったのだ。
定年退職して、住み慣れた新宮の地を去り、何故?山の方へ行ってしまうのだろう?
と不思議に思っていたけれど、将来の設計を立てての引越しだったのだ。
今年、初めてみかんの収穫をしたので黙って送ってくれたのだろう。
その気持ちに感謝しながら、お陰さまで食後に美味しいみかんを頂いている。

「もしもし、○○さん」
「はい、そうです」
「僕、○○ ○です」
「エッ。本当?」
「この度の同級会に贈り物をありがとう御座いました。皆に代わってお礼をいいます」
「本当にお久しぶりですね!今回の同級会、貴方のお陰で素晴らしかったと聞きました。
ご苦労様です。それにしても貴方と話すの何年振りになるかしら…」
「懐かしいね、50年振りでないかな」

電話の向こうで笑いながら言ってた感じがした。
10年一昔と言うけれど、50年前と聞いて腰が抜ける位驚いた。

「あの人は、立派に成功しているよ!」
と、伝え聞いたその人のはっきりした声が耳元に残る。
それは、子供時代の”生徒会長”の姿と共に。

そして、一瞬「炭鉱の村」として栄えた昔が、甦った。

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逝った友達!

先月クラス会をした友人からメールが入った。
「○○さんが、亡くなったそうだよ」
病気との長い闘いの末、静かに逝かれたようである。

「○○ちゃん、とうとう兄が逝っちゃった。一年と十ヶ月の植物人間の患いでした」
○H○で撮影を担当していた人で、仕事中に倒れたのが最初だった。
「大変だったね。何時の事?」
「七日の日です。母が痴呆出て入院するのを待っていたみたい」
「そう、それで…」
「友引が入るし、伯母がどうしても都合が悪く12日にお通夜で、13日が告別式です」
「陰、隠したの?」
「ううーん、其のままにしてあるの」
「どういう事?」
「葬儀屋さんが預かってくれているの。建物の中に箪笥の様なものがあって、その引き出しに入っているの。外側に各自の名前が書いてあってね、ズラーと入っているわ」
不謹慎だけれど、私の知りたがり屋の興味をそそる話である。

何気なく堺の友人に電話を掛けた。話の途中で
「善子ちゃん、亡くなったの知っているよね!」
「えっ、知らない」
「今年の4月頃だったよ。癌みたいよ」

その後すぐ、郷里のお姉さんに電話をした。
「今、聞いたの。淋しくて…」
「ありがとう。あの妹と良く、あんた達の話をしていたのよ”元気でいるのだろうか”って。
善子は骨肉の癌だったの。親の死よりももっと悲しい思いをしているわ…」

彼女を思い浮かべる時、故郷の山や川を走馬灯の様に思い出す。
中学校の3年間、夏になると3人の友達で北山川の急流の冷たい水に戯れた思い出が。

特別群れて遊ぶ友人同士でもなかったけれど、泳ぎに行く時は自然と行動を共にし、
同級会では知らぬ間に寄り添っていた。あそこに行けば彼女が働いていて、家に行けば何時も快く迎えてくれた。だから、実家に帰る楽しみがあった。

その彼女の死は、私には大きなショックだった。

多くの幼馴染がいるけれど、遠くになった故郷の山や川と共に思い出す友人は、そう何人もいるものでない。
願わくば、故郷の地に眠る”善子ちゃん”の墓前に、今すぐお参りしたい気持ちが騒ぐ。
今夜は、幼馴染達が愛知県蒲郡市の三谷温泉に集い”同級会”をしている。
明暗とは、こういうものである。

三人三様の人生を全うした、私の知り合いの尊い皆さんの「ご冥福」を、心よりお祈り致します。

 <心のかけ込み寺>

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”ココログ”の力

久しぶりに、その人とあったつもりだった。
「お久しぶりですね!お変わりなかった?」
「全然、久しぶりでありませんよ」
「随分、お会いしていないじゃない?」
「いいえ、”ココログ”を見ているので、何時も会ってる感じで過ごしていますもの」

「近況も必要無い位、良く知っています」
「ありがとう!」

「お姉さんの居なくなった淋しさを共に悲しみました。遅くなりましたが弔いのお花です」
大きな花束を「どっさっ」とテーブルの上に置いた。_027

悲しさから遠ざかっていたが、目頭を熱くした。

ブログやココログは、こんなに親近感があるのだ!

その人が帰られてから、

仏前で戒名を読み上げ、姉に伝えた。

楽しみにしていただいている人に申し訳ありませんが、この先又、原稿書きに追われる日々を過ごす事になるので、お休みさせていただきます。

拙い私の文に、目を通して頂いている事が本当に感謝です。

「何時も、ありがとう」

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"ハチ公”も、びっくり!

_008 朝一でハンズに出掛けた。
ハチ公前の広場に行くと”電車”が乗り上げていた。
「何だろー?」

連休続きの朝だから、まだ人もまばらである。

「昔、渋谷から横浜方面へ出ていた”東急東横線の電車”だった。

古き昔の東京を知らない私には余り興味が無い。_005
でも、電車の中に入り素通りして出た。

それよりも、このお人形さんたちの方が可愛い。

「平和の銅像」_007

今朝の渋谷駅前は、何時もより綺麗に感じた。

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「クラス会」も終わって!

何事も無く、東京でのクラス会が終わって「ほっ」とした。
別段重荷になっていたのではないけれど、やはり「皆の道中無事と天候」の事を考えると「全てに最良を!」と願うのは、幹事を受け持つ者の一番の願いである。

秋晴れの最高の日だった。
東京湾のクルーズを楽しんで、隅田川を上って浅草へ行ったが船の観光も大変楽しかった。

到着と同時に

「上流で降った雨の為、隅田川が水嵩を増して運航の危険がありますので、打ち切りになりました」
と、いうアナウンスがあった。
12回位、橋をくぐるので水嵩が増えると、船の屋根が橋桁にあたる危険性があるらしい。
時間の差で上手くそれも通り抜ける事が出来た。
しかし、何が運航を妨げる事になるのか分からないものである。

浅草寺への仲見世通りは、連休とあって観光客が多く大変な人混みだった。

その様な思い出を綴った「アルバム」もどうにか完成して昨日送付した。
これで、精神的自由の身になった。
 
「何事も無く」という願いが、当然の事であるけれども、その事が一番気をもますのも本当である。

今まで、その時の気ままで参加、不参加していたクラス会への見方が変わった事も確かである。
この身を持って、良いお勉強になりました。

遠い所まで、おいで下さったクラスメイトの皆さん「ありがとう!」

|

最後の味わい

岡山の甥っ子夫婦が
「叔母さん、これでブドウも今年は終わりだよ!」
そう言って、メールと共に宅急便が届けらられた。

「わーい、わーい」_092

「味は変わらないらしいけれど、色が少し黒くなってるよ」

一番風呂に浸かる時と、人の後に入る湯の感じが違う様に、葡萄の感触もどこかが違った。
しかし、「美味しい!」には、相違ない。

一つは、先日、友人に貰ったアレキサンドリア「陸の宝珠」のぶどうである。
お菓子も美味しかったが、本体の葡萄の実も良い味わいだった。

「ありがとうね!来年も待っている」
と言ったら、厚かましいおねだりになるね!

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"案内図”

クラス会への参加者に案内図を送付していた。
新幹線で品川駅下車の場合。駅全体の見取り図を添え、次の乗り換え場所も印して。
東京駅利用者は、在来線五番ホーム「山の手線」乗り換え説明を添えて。
浜松町下車後は、北出口からお進み下さい、ホテル迄の道を矢印で等と。

自分の身に置き換えて、丁寧にしたら
「この案内見て来れなかったら、アホだわ!誰でもすぐ分かる!」
と云って笑われたが…。
「そうかなー」と、内心思っていた。

そそっかしい私は、何時も地図を見て「分かった、わかった。簡単に行ける!」
と直ぐそう解釈する。平面図のまま覚える。
そして、その場所に行くと聳え立つ建物に驚いて
「こんな建物、聞いてないよー」となって、頭の中が真っ白になる。

今回は、もっと面白い話があった。
最終の行き先は「浜松町駅」である。
地方から来られるので一番気にしていたら、やはり「冷や汗」を掻いたようだ。

出発駅で
「新幹線の切符を下さい」
「どこまで、ですか」
「浜松町です」
「新幹線に浜松町駅はありません」
「う……」

それで

「行き方が、わからないー。一人で行けないー」

という騒ぎになったそうだ。
駅員さんの、説明不足と言う訳ですがね。

最初の話に戻って、
私は荷物が多いので、タクシーで行った。
「浜松町、芝公園2丁目お願いします」
「お客さん、私余り詳しくないのですが…」
「あ、そう。真直ぐ行って、東京タワーが見えてくるからそれを目標にして」
カーナビが着いているのに。

受付で予約の確認を済ませて、ロビーの椅子に座り4組の花嫁を眺めた。
丁度一時間した時。一人目が来た。
「増上寺で参拝して、広場でお祭りを見物して来た」
この人は、理想的な時間の使い方をした。

「あー、疲れた。道を間違えたらしく、遠かったよー」
汗たらたら。肩で息している。マラソン走者みたいに。
「地図、送ったでしょ」

3時を過ぎると携帯があちこちで鳴り出した。
「今、浜松町の駅にいます。この先どうしたらいいの」

「大門の所で、二人迷っているの。この先、行き方が分からない」

迎えに出た者が戻ってこず、次の人が迎えに行って先に来る。
「あの人、何処へ迎えに行ったのだろー」

ロビーの隅が、こんなやり取りで急に賑やかになり、再会の挨拶よりも、人探しになる。

「鈍才が送った案内図は、秀才には理解出来なかったか…」
という、結果になりました。

  宿命百占学

  <心のかけ込み寺>

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故郷からの、おみやげ!

「三人の幹事さんへ!」一人の男性から、紙袋を渡された。

紀州の南高梅「女松梅干」
{松には男松と女松があり、女松葉を入れて漬け込むと縁起が良いと云われています…」

「良かった、梅干が切れていた!」
ある人が喜んだ。

年を重ねると、やはり「梅干やお漬物」が恋しいのは、誰も同じみたい。

女性の友達が、_093
「お煎餅、お土産に少し持ってきたの!」

黒潮堂
{本宮、音無川茶を使いました。表面の白い蜜は「音無川」の清らかな流れを表し…」
あずき煎餅と二種類いただいた。
子供達を呼び、テーブルの上に広げた。間もなく大きい手があちこちから伸びた。

「待って、記念写真をまだ撮ってない!」

とても美味しくて、保存(自分用に)する事ができなかった。

お土産ありがとう!

ところで今回、私は「小川軒のレーズンバタークッキー」にした。
羊羹や最中は、日持ちが良いので何時でも味わって貰える。
このクッキーは、「宅配出来ません」と、お店が云う商品であるから、早くから目を付けていた。
前日、買いに行き冷蔵庫で保存し、保冷してホテルへ運んだ。
一番美味しい状態で、皆に食べて欲しかったから。

結果は、どうか分からない。

私の人生に give and take!” の、感情は無い。

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”観光コース”

翌朝は、タクシーでモノレール乗り場へ。

_077
祝日の早朝とあって、お台場の広場には人影がまばら…。
催し物が行われるのか、準備に顔を出した若者たちが強風と戦いながら働き始めている。_079_3 

暫らく時間を取る為に、近くのホテルでコーヒータイム。

フジテレビの”球体展望室”に上り眼下の景色を眺めてもらう。_084

乗船場所から”観光船”に_081乗り、湾内を一回り。_085

船を乗り継ぎ、墨田川をたくさんの橋の下を潜って上る。
45分かけて”浅草”へ到着。

昼食は、「釜飯 春」の老舗で。三階建ての客席が満席。

誰かが言った「こんな商売、新宮でしてみたい!」

店頭でも列を作って待っていた。予約していた甲斐があった。

_090浅草寺にお参り。

_091

のんびりと秋の日差しを受けながら、気楽なクラスメイトとの観光が無事に終了した。

東京駅に着いてお別れしたら、ドドッと疲れが身体を覆った。

何事も無く、みんな元気で本当に良かった。

再会を祈って「さようなら!お元気で」

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”クラス会”

素晴らしい秋晴れの10月8日~9日。Photo_25
港区芝公園にある”メルパルク東京”で高校の時のクラス会をした。

天気も最高の秋日和、その上お日柄も良いらしく、Photo_26

ロビーの椅子に座ってクラスメイトを待っていると、
何組かの花婿、花嫁を眺められた。

女性に用意した部屋から、東京タワーが見える。

もう一室の方は、更に”富士山”も望められたようだ!
都心と云えども、立地条件が揃ったホテルであった。_076

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"実りの秋”

故郷の義兄が、早くも庭先に実った「栗」を送ってくれた。
一つ目の箱を開けると、大きな粒の栗と一緒に、唐辛子や、田舎手作り(こうじ米味噌)「紀和のみそ」も箱に入っている。これでないと「梅干」と思わない、昔ながらの「シソ漬うめ干」も。
本当に、故郷の食物を欲する胸の内を見透かされた気分である。

Photoもう一つの箱には、三重・御浜町で採れた「早生みかん」が箱一杯に詰められていた。
この蜜柑の味は、晩秋に収穫される「温州みかん」と違って、味がさっぱりしている。
近くのスーパーで今日、8個袋に入ったのが500円程の値をつけて店頭に並べられていた。
子供達にその事を伝え、みかんの皮をむく時は、感謝の気持ちと共に味わう様に伝えた。

「兄さん、ありがとう。お蔭様で、人より先に秋の味覚を堪能させて頂け ます」

 <宿命百占学>  <心のかけ込み寺>

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大好きな、お菓子!

Photo_22 知人が郷里(岡山)へお墓参りに行って来たらしい。
私の大好きなお菓子を、お土産に買って来てくれた。

これは、マスカット オブ アレキサンドリア
”陸の宝珠”

葡萄が一粒づつ包まれている珍しいお菓子である。
何とも上手く云えないが、下手な感情で表現すれば”優しい感じのする味”である。
写真の方が、少しくすんだ感じで申し訳ないと思う。

とにかく上品で美味しいお菓子です。
一人で頂きました。
「ありがとう」です。

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この提灯は、何?

地下鉄の出口を間違えてとんでもない方角に出たらしい。
今回は、来月9日に「クラス会」メンバーを浅草に案内する、その時の昼食場所をゲットする為に何時もの三人で浅草寺の鳥居前に11時半の約束で集合。
10時に浅草へ着いた。夕べ、ネットで調べているお店を先に確かめるのに早く出た。
その安心感と路線を変更して電車に乗ったものだから、間違えたらしい。
「駒形」○丁目とある。ブラブラしていたら「提灯」が目に入った。

ここは何処?である。Photo_21

「江戸文化道場 本店」らしかった。

{江戸文化道場は、駒形どぜうのご主人が主催していて隔月に一度、江戸の食文化をはじめ芸能や工芸、文化論の専門家をお招きして、楽しく江戸を学ぶ講座を開いているのだそうです。
お料理と同じように本物志向を心がけ、芸能であれば実演を、工芸であれば実物をお見せしていて、すでに開催100回を越えたそうです。
 会費: 会員(年6回分) \18,000 (お食事付)皆勤賞あり ビジター(お一人) \3,500 (お食事付)}

{渋谷店 どぜうを食べて落語や講談を聴くという、まさに江戸っ子らしい催事を二十三年余り続けているそうです。 2ヶ月に一度、奇数月の第三日曜日の開催です。}此方のお店には、ドジョウを食べに行った事がある。

あちこちへ行って「パチリッ、パチリッ」していると、何を写してくるか分からない。
これは、お店の宣伝提灯でした。

 <宿命百占学>   <心のかけ込み寺

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季節の先取り

季節の変わり目には、いち早く敏捷に身体が動く。
今年も”夏物よさらば!”で、17日に夏物にアイロン掛けをしてベランダで蒸気を取った。

干し切れない程の”丁シャツ”は、9割が「姉の形見」の服である。
ふた夏を私と過ごし、まだ暑さが感じる今日の日に仕舞う。

何時も衣替えが早すぎて、寒さに凍えたり、暑さに難儀する繰り返しで次の季節を迎える。

「今年もまだ残暑があるだろう」
しかし、分かっているけれど辞められなくて、1 やっぱり”季節の先取り”をしてしまう。

  <宿命百占学>  <心のかけ込み寺>

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"問題無し!”

一週間近くの間、手元を離れていたパソコンが「欠陥無し」と言う事で戻って来た。
「6時間近く触っていますが、熱の暴走も無く平常ですよ。それに変換もきちんと出来ていますよ!」
と言う、診断結果が電話で知らされた。

「あんたは、人見知りして反対にお利口さんだったの?」
パソコンに聞いてみた。

熱は上がる、「パシッ」っと電源は切れる、おまけに変換するのに言う事は聞いてくれず…。
大変な状態で気楽に文章も打ち込めないので「病院」へ入れたのに、問題なし?
まるで私の頭の方を疑われる感じになった。

「まっ、良いけどさ。これからも頑張ってね!」

<宿命百占学>

<心のかけ込み寺>

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エキストラ!

家族で東京に引っ越して来て、始めて目黒駅西口交差点に立った時
「東京は、何て人が多いのだろう?」
と、驚いた昔が懐かしい。住まいは、そこから1、2分のドレメ通りの一角。
毎日の買い物には、現在新しい”アトレビル”が建つ場所に東急スーパーがあった。

いち早く、子供達に課題を出した。
「折角、東京で生活が出来るのだから”東京でしか体験できない事。東京だから出きる事”を良く考えて行動しょう」

学生生活を送っていた娘が「バイトする」と言って探してきたのが”エキストラ”だった。
「お母さんも、しない?」
何か分からないけれど、娘の云うとおりに付いていった。
暫らく行動は同じにしていたが、その内娘は高校時代からの夢であった「スタイリスト」の道を目指す準備に入った。

私は、所属事務所からの連絡が入るのを待っていた。
当時は”たけちゃんまん””金八先生”、ドリフの”八時だよ!全員集合”等が、テレビチャンネルを独占していたように思う。
撮影場所は、東京近辺の至る所。何処かの下町の時もあるし、大きなホールもあった。撮影所は日活の時もあったが、主に緑山撮影所の仕事が多かった様に記憶する。

西も東も知らない私が、とに角呼ばれるとせっせと集合場所に行ったものだが、それは今考えても何処であったのかさっぱり分からない。帰宅は夜中の時もあったが、その時はタクシーで帰った。電車が走っている時間帯の時は「山手線」の乗る場所を教えて貰う事だけしつこく聞いた。そうでないと何も分からないから、家に戻れない。

暫らくその様な楽しいひと時を過ごした。
「この様な事は、東京に来たから体験できる…」
あくまでも体験であって、憧れる気持ちは微塵も起こらなかった。
当然である。演技が出来ないから、何時も頭数合わせの為に呼ばれるのを心得ていた。
しかし、変化のある毎日が楽しかった。

その様な時間を持って楽しい生活をしていた頃をすっかり忘れてしまっていた時に
ホリプロ・エキストラ募集”を見て、当時を思い出した。

現在ニートでブラブラしている若者、定年を迎えて自宅でゴロゴロしているご主人様方、
人生という時間を止めるので無く、社会参加を心がけるのを忘れないで、しばしの時間を”エキストラ”生活でエンジョイしては如何かな?と思った迄です。
勿論、「雇う方」にも「選ぶ権利」があるのは、百も承知の上です。

”ブラブラ、ゴロゴロ”していると、濁り水の様にドロッとして良い判断が浮かばず、傍迷惑になるだけ。身体を動かしながら、次の事を考えなさい。
特に若者や男性は”社会参加”が必要不可欠と考えます。
お金を無くすのと違って「勿体無い!」と私は痛切に感じます。

何かの思い付きの参考になれば、と思ってblogにしました。

宿命百占学

心のかけ込み寺

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入院先が、まだ知らされない!

高熱に遣られそうなパソコンなのに「ネクサス」さんから、まだ転送先が知らされない?
机の上を見る度にパソコンが気にかかる。

ふと思いついた。
「熱が出る時は、無理をせずに冷やせば良い!」
だから分厚い本でパソコンを斜めに起こし、その空間にアイスノンを差し込んで見たら少し時間が保てた。

しかし、何時「パシッ」が来るかは分からないが、文字盤の温度を伺いながら”冷や冷や”状態である。
それでも触りたいのだから、どうしょうもない。

トラックバックが入っていた。
ホリプロ」さん、からだ。

「有難う御座いました」

宜しかったら皆さんも、ホリプロさんのHPや芸人さんのブログを拝見させて貰って下さい。私も思い出した事がありますので、後ほどbolgに載せてみます。

一先ず、熱冷ましを致します。

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暫らく、休養致します。

とうとう、ダウンしました。

私、本日より「パソコン専用病院」へ入院いたします。

元気で戻るか、新機種になってお会いするか、未定ですがいずれに致しましても、その時は又、宜しくお付き合い下さい。

何時「パシュ!」と切れてしまうか、不安な状態でお知らせいたしております。

待っていて下さいね!    

                                                   庵 敬白。

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リッチな家庭!

「屋久島へ行ってきました。せんべい買って来ましたから、皆さんにも出して上げて下さい」
「ありがとう!観光?彼氏と?」Photo_20
「違いますよ、彼等ないです」
「済みませんでしたね。彼氏いないの知っていて」
「そうですよ…。父がログハウスを10年掛けて造っていたのが完成したので見に行きました」

尺八の音色と共に大きな建物が携帯で映し出された。(デジカメをもって行ったのに壊したそうである)
「この音楽は?」
「父が尺八を吹いています」

彼女は姉妹で六本木に住んでいる。要するに”ヒルズ族”
実家は、東京近郊。
お父さんは、六本木のオクションには興味がなく、屋久島へ観光に行って魅せられたそうである。
地元の人の信用を得る為に、全て材料は「屋久島」で手に入れたモノ。
自分で建てた別荘。

「隙間があるからこれから寒いので駄目よ!」
「虫等入る?」
「それは当然よ。それは平気だけれど風が入るから寒くなると居られないわ」
「テントみたいなもの持って行って掛けないとね!」
笑った。

風が入ろうが隙間があろうが、お父さんの好みである。

でも、凄い人達がいるものだ!

宿命百占学」 「心のかけ込み寺

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みんな元気です。

「韓国へ行って来ました。お土産です!」Photo_19

若い人は、時々お化粧品を買いに行くのだという。

冬になったら常備薬になる高い「朝鮮人参」をお土産にくれた。

これで、無事暖かい冬が越せそうである。

「ありがとう」

もう少し年配の女性は、ストレス解消のつもりで時々韓国へ出かける。

3泊友達と楽しんで来たらしい。

「○○追っかけ?」

「違う!」と云った。Photo_18

「今回初めて、”韓国垢すり”を体験したわ」

「マグロ状態になって?」

「うん」

決してその人はマグロにならないけれど、強いて言えば「鮫かな?」聞かれたら叱られるから内緒!

広間に沢山の細めのベットが並んでいるそうだ。

その上に寝かされ、一枚のタオルが最初顔の下に置かれ、「はい、上向いて」でタオルがオスソを隠した。

「それには笑った」といった。

この話を聞きながら

「ヤダー、絶対私はしない!」

と、顔を紅くして友達が叫んだ。

「貴女は、個室でするが良い」

別の人に聞いてた話を横で教えた。

いずれの人も皆元気!

知らない事は、体験談を聞いて物知りになる私。

宿命百占学」 「心のかけ込み寺

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”秋祭り”

昨日、今日は地元目黒の「大鳥神社秋祭り」である。
東京は、34℃の猛暑に見舞われ、さぞ大変な残暑厳しき折柄の祭りであっただろう。
商店街の通りに大きな太鼓と可愛い神輿が早朝よりおいてあった。

今年は、「大鳥神社鎮座1200年」の年だそうで、お祭りを迎える地元の人々の気の入れようも何時もの年より強いように感じていた。1200

大鳥神社の由来は、
{社伝によると、「日本武尊の御霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る。」
とあり、大同元年(806年)社殿が造営され、
その時から数えて1200年を迎えたのです。
 大鳥神社は、主祭神が日本武尊さまであり、相殿神(あいどののかみ)として、国常立尊(国開きの神様)と弟橘媛命(日本武尊さまの妃)をお祀りしています。2_3
 日本武尊は景行天皇の皇子であり、九州の熊襲を討ち、その後に東国の蝦夷(えみし)を平定されました。
日本武尊にまつわる伝説は各地に残りますが、大鳥神社もその一つです。
古くから目黒の総鎮守として崇敬されて来たのです。}

日曜日の今夜、境内の夜店から大きな音楽が聞こえて来たが耳をすまして聞くと、神社の雰囲気ととても似つかわない「乱れ髪」が流れていた。
「時代の流れの一つなのかなー」と思いつつも、私は音楽に合わせて口ずさんでいた。

聞くところによると、9日は地元商店街が中心になり、10日は地元の住民がお世話をやくようである。

また、今日は目黒駅の東出口の商店街界隈では、(詳しくは、品川区)目黒駅前商店街振興組合青年部ですが、この通称・め組による「めぐろ秋刀魚まつり」が行われたのです。

何年か前からの土地高騰により昔ながらこの辺りに住んでいた人々が出てゆき、生まれ育った目黒駅前は
ビルだらけの冷たい街になってしまいました。
そこで青年部は若い柔軟な 発想で一同団結し、駅前に昔ながらの暖かさを呼び戻す為に11年前から
『目黒のさんま 祭り』を開催しているのです。
今年は第11回目を向かえたのだそうです。
                  

{昔の御身分の高い方々は、下々の庶民の生活はご存じありません。ですから常々少しでも知りたいと思っておりました。
天候に恵まれた初秋の日。お殿様がご家来を連れて、目黒不動参詣をかねての遠乗りにでかけました。}
ここから始まる「さんまは目黒にかぎる」でお馴染みの、江戸落語『目黒の秋刀魚』の話である。

◇さんま祭りのきっかけは勿論、この「さんまは目黒にかぎる!」のオチでおなじみの古典落語『目黒のさんま』からヒントを得たのです。
近年は「目黒の良さ」と「さんまの良さ」の両方をわかって貰う為に、さんまを炭焼きと生で無料配布して、昨年は12,000人以上のお客さんに楽 しんでもらったそうですが、今日は5000匹のさんまが振舞われたそうです。

お話の誕生は、この辺りは江戸時代に松平讚岐守・森伊豆守などの上屋敷があり 『目黒のさんま』に登場するお殿様(松平出羽守)の早駆けの場所とされていたことからこのお話が生れたのですが、時代が変わっても、目黒を訪れたお客さんたちはお殿様と同じ秋空の下でさんまを食べたことになるのです。
 
場所と日にちが変わって、来週の17日・日曜日は、目黒駅西口側の権之助坂にある目黒新橋界隈で「さんま祭り」があります。
仙台の気仙沼から秋刀魚が提供されるとの話で、12,000匹用意されるそうです。こちらは目黒区が主催になります。

東京でよく耳にする言葉に「火事と祭りは江戸の華」というのがありますが、本当にお祭り好きな人々だと思います。

宿命百占学

心のかけ込み寺

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双子

孫の夕食のおかずの一品に「目玉焼き」でも増やしてやろう。
そう思って、小さなフライパンに卵を割りいれた。
「見てみてこの卵、黄身が変だよ!」
「マミー、写真よ。残しておくのよ」
孫がそう言ったから、携帯でパチリ!Photo_10

「人間で言ったら、双子だね。」
”双子と言うのは、身体の一部が一体になりきり離せないらしいよ!だから相手の存在を絶対に必要とするのだそうだ”
だから、同じ様にして育て、同じ環境で過ごす必要性があると言う事。