ありがとうございました。
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早くも12月、昨日は亡き姉の誕生日だった。
離れ離れに生活している甥っ子達を思い浮かべながら、きっと各自母を思い出しているだろう…。
壁に掛けられていたブラウスも、珍しい品種だという紫陽花の花も、姉の喜ぶ顔と共に走馬灯のように思い出になった。
冬眠生活の間にネットの原稿を仕上げ、来年一年分の教材を用意しておいた。
これで一年は、授業に関しては気楽である。
先月末の事、ある学校経営者の人から久しぶりに電話があった。
「お願いしたい事がありましてね。お伺いしたいのですが…」
{女の子の事で相談との話。小学6年生頃から登校拒否が徐々に始まり、家の外に出なくなっているという。自分の顔が醜いから恥ずかしいと言っては、人が訪ねて行くとお面をかぶって応対したり、マスクをつけて話をするのだそうである。自分の事に全て自信がなく、家から出る事を拒み、何時も一人で絵を描いて過ごしていた…}
という話である。
今までは、祖母と父母が熱心に子供の気持ちを理解してコントロールして来ていたが、最近こういう事を言ったそうだ。
「もう普通の人の話は聞きたくない。私が聞きたいのは、運命学から自分がどの様になっているのかを知りたい。それ以外は信じない!」
という事を言うので、親ではどうしょうも出来なくなり、知人の理事長に相談に行ったという事であった。
約束の時間に若い女の子と、その母親を伴って理事長が見えた。
幼い感じがするその女性は、20才という。
「遠い所からご苦労さんね!そちらはもう雪が降っているの?此処までどの様にして来たの?」
「今朝、新幹線に乗って来ました。東京と違って私達の方はとても寒いです」
「そう、夜中?いや朝方ね、彼女が私の寝ている部屋をノックしたのよ。あれっ!と飛び起きて考えたの。{今日のお客さんが無事に着く知らせ}だと解ってね。それから暫らくぐっすり寝ましたが」
私がそう言うと、不思議そうな顔をしてお母さんが見ていた。
「実は、夕べ寝るまで、{私、行けない。行かない}で揉めてました。しかし、朝{行く!}と言って起きて来たのでびっくりしたんです」
「私のところには先に、気持ちが着いていたわよ!」
私には変な知らせがあって、翌日の来客は玄関のチャイムで、予約の約束は電話のベルで必ず知らせがある。
今回のように、部屋をノックするという事は始めての事。それは、もう話が付いているので、本人の気持ちだけの問題なのである。
だから、本人が私の所に「気」を送って来たのであろう。
以前、霊能者に聞いた事がある。
「人を鑑定するという事は、電話だから気楽というのではない。その人のいる場所まで「気」が行き様子を見るから、鑑定するという事は疲れるのだ」
という話を思い出す。
目の前に立つその子は、人に顔を見せたくないと言う気持ちが強いからか、それとも今の流行なのか知らないが、昔の歌手のカルメンマキに似た髪形をして、さらに前髪、横の髪で顔の輪郭をすっぽり隠していた。
時折透けた髪の毛から見える瞳が大きくて綺麗で、光っている。顔色は白く綺麗な肌をしている。
恐らく、周りの者が長い期間腫れ物にさわる感じでその子に接していたのであろう。
「箱入り娘」である。
その箱入り娘さんが、おそらく自分に目覚めたのだと思う。
大人の宥めたり、あやしたり、見え過ぎた美辞麗句が鼻に付き出し、自分の運命上の評価?を知りたくなったのであろう、と私は考える。
だから
「私は、誰のいう事も信じない。信じるのは占い師のいう事。そのような人に自分の事を聞いてみたい」。
今迄の自分から脱皮する機会を、探し出したくなったのだと思う。
良い時期に私も出合ったと思った。
後ろから押すのでなく、前にまわり、道をつけて上げれば良いのである。
3時間近く雑談した。
全て彼女についてでなく、彼女の話がすっきりして本人も納得し今後の道筋がつくと、物はついでにという事で、家庭の話になったりで、後は本当に余禄である。
若い彼女の頬が赤みを帯び、綺麗な輪郭が見え隠れする頃になると、本人もまつわり付く髪がうっとうしく感じるのか、手で払いのけるしぐさが目立つようになった。
{あー、普通の女の子らしくなった}内心で私はそう思った。
「これから、外に出て友達と仲良くします。ありがとうございました」
何事も無かったような感じで帰って行った。
私は何時もの様にどっと疲れが出て、布団をかぶった。
同窓会で知った仲間のボランテイァ活動に、気持ちが洗われた。
小学校から同じであったその男性は、小柄で大人しい人だった。
朝、観光船の時間待ちをしている時、退屈している女性の側に来て昆虫を作って見せてくれた。
「しょうろうバッタ!」と言っていたが、草で織り込んでゆく、実に良く出来たものである。
「残り物だけれど、これをあげる」と言って、松ぼっくりで作った”親子の熊”と”鉛筆”の飾りを貰った。
壊さないように大事に持ち帰り、今玄関に飾っている。
聞くところによれば大阪に住んでいて、ボランテイアで老人会や子供達に教えているとの話。
道理で、顔が穏やかな感じがする。
「材料費が大変だよ!」と、言っていた。
私も何かお手伝い出来ないかな?と咄嗟に思った。
「そうだ!なにか百金へ行って探してこよう」
少し私も協力する事を秘かに決めている。
”兄貴の宝物”
冷蔵庫から沢山の冷凍された「鮎」が出て来た。
「これを宅急便で送るか?これもあるけど食べるか?」
有に50匹はある。恐らく兄さんの”とっておき”のものであろう。
「貰っていい!」
鮎の「白子」である。
気持ちの変わらない内に…。
お陰でこの冬、鮎が思い切り食べられる。
わーい!
賑やかな同窓会が済んで、早くも10日。
今朝その仲間の一人から「みかん」の宅急便が届いた。
「近所の人の取り残しみかんだけど、送るね!」
夕べ電話でそう云っていた。
やっぱりみかんは”紀州みかん”に限る。
「ありがとう!」
ブログを一応書き終えた。
頭の中のけじめがついて「やれやれ!」 これから暫らく、冬眠生活します。
本職の原稿に何も手が着いてなく、期限がただ迫り来るので恐怖を感じています。
元気で頑張っていますから、暫らくのお別れです。
のんびり温泉につかって、夕飯に彼女の手料理をお腹一杯いただき休ませて貰った。
ぐっすり眠れたのか目覚めが良かった。彼女の家は築3年。贅を尽くした和風の立派なものである。
部屋はお茶室になっている。
襖も天上も何もかもが、建築を手掛けた大工さんの拘りの作品のようだ。
とてもお洒落で落ち着いた素敵なお住まいです。
午前4時半まだ夜は明けていない。
6時、上のお寺の早朝の鐘が鳴る。
東海近畿地蔵霊場第26番札所 曹洞宗 新豊山「祐川寺」の鐘の音。
朝食前にお寺にお邪魔すると、入り口に可愛い小坊さんの写真があった。
和尚さんが、早朝祈願のお経をあげてくれた。
自分個人の為にお経を頂くとは、あり難い事です。
新宮へ戻る前に「世界遺産・熊野古道」へ車で行ける場所を案内するという事で連れて行って貰った。
彼女は、本宮町・中辺路界隈の「語り部」である。
一日6時間位歩いて案内するのだそうで、その時に貴賎笠を被ると喜ばれるそうだ!
この笠も中国産の物が土産物店で1000円程で売られていると言う。
しかし、本物の笠は皆地の人が手掛けているそうで、5000円するそう。
関東から見えるお客さんは、特に歴史に熱心な人が多く、案内する張り合いがあると言っていた。
紀伊半島南部にあたる熊野の地と伊勢や大阪・和歌山、高野及び吉野とを結ぶ古い街道の総称で、「熊野街道」とも呼ばれる。
熊野古道には伊勢と熊野速玉大社を結ぶ伊勢路、その伊勢路の花の窟から分かれて熊野本宮大社に向かう本宮道のほか、大阪から和歌山を経て熊野に至る紀伊路は田辺で熊野本宮に向かう中辺路と、そのまま紀伊半島を海岸線沿いに那智へ向かう大辺路、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路、吉野から熊野本宮へ向かう奥駈道(おくがけみち)とも呼ばれる大峯道などのいくつかのルートがあるのです。
この熊野古道「中辺路」は田辺から紀伊山地に入り熊野本宮大社を経て熊野速大社、熊野那智大社を巡る参詣道をいいます。
平安時代以降、皇族貴族をはじめ多くの人が熊野詣に使ったのがこの道です。熊野三山を巡った後は、難所「大雲取」「小雲取」を越えて熊野本宮大社へ戻り京へと帰って行かれたのだそうです。
この近辺には、水呑・伏拝・祓戸王子があり、平安期には、多くの上皇・貴族が訪れた「熊野詣」のメインルート「紀伊路」~「中辺路」沿線には「熊野九十九王子」と呼ばれる小さな社跡が残っています。
これは、熊野権現(熊野の神様)の子神を祀る社跡で、今も熊野古道の見どころで通過ポイントとして親しまれているそうです。
国道168号線を、本宮大社を横目に見ながら進み発心門へ着いた。
「熊野九十九王子」の中でもとりわけ、格式が高いと言われている五体王子(藤代・切目・稲葉根・滝尻王子)の中の一つ「発心門王子」。
「発心とは、発菩提心、即ち仏道に入る心を起こすことをさし「菩提心を発す門」という意味を持つ」。
ここは文字どおり聖域熊野本宮の入口なのです。
「いりがたき みのりのかどは けふすぎぬ いまよりむつのみちにかへすな」
苦行の末、ようやく仏の国に入ったのだから、もはや六道苦の世界に後戻りはするまいという決意を述べたものだとされ、歌碑が建つ。
六道=地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界を指す。
水呑王子を参拝して、
伏拝王子に進むとお天気が良いので、遠くに那智のお山が霞んで見えた。
今日も、多くのグループの人達がこの熊野古道を散策に来ている。
皆元気が良い!羨ましい限りである。
残念ながら時間がないので近くにNHK朝の連続ドラマ”ほんまもん”のロケ地があるらしいが、それは又の機会の楽しみにして、此処で新宮へ戻る事にした。
12時過ぎ兄の待つ家へ戻ると、”秋刀魚の馴れ寿司”を買って待っていてくれた。
思わぬ食べ物で、こおどりした。
やっぱりこれをいただかないと新宮へ来た甲斐がない!兄貴の”心遣い”に感謝した。
兄にホームで見送られ、13時6分発名古屋行きの電車に乗って新宮を後にした。
今回は、此処に書いていない多くの人に再会出来、ひと時を過ごさせて貰った。
実にハードなスケジュールであったが、体調が良く嬉しかった。
「皆さんお元気でね!ありがとう御座いました」
念願の姉のお墓にお参りです。兄と朝食もそこそこに車を走らせた。
こうしてお願い出来るのも、わずかな期間かも知れない。そう思うと淋しさが込み上げる。74才になる人へ、そう運転もお願い出来ないだろう。
走りなれた尾呂志街道も又一箇所、新しく道が出来上がっている。
同窓生がこの町で生活していると言うので、寄って見る事にした。
上野という所は、尾呂志の中でも一番環境が良いようでのどかさが伝わり、今日の陽気は小春日和を感じるのに充分。
「こんにちは!」
言うより先に玄関の戸に手を掛けて開けたが、お留守の様である。
がっしりとしたたたずまいを見回しながら、気持ちの手土産を置いて玄関を閉めた。
「やあ、来たか!」
機嫌の良い言葉を期待しただけに、少し残念に思った。
{若かりし頃、この地をくまなく代議士や県会議員の選挙カーに乗って回ったものだ。その当時と差ほど変化は無い様に思う。しかし、人の代が変わりこの歳で再びこの地を踏むとは想像もしていなかった。}
「紀州鉱山の資料館」の大きな看板の上の銅像である。
この地で父と母の愛情を一杯受けて育ち、巣立った私達である。
この象徴になる「炭鉱夫」の像は、忘れられないこの地のお父さん達の姿である。
しばし、懐かしく見とれて思い出に馳せた。
此処から、実家の前を通り友達のお墓参りに行く。誰も住まない実家は二階の雨戸が傷んでいる。その痛ましさを横目で見ながら、山のお墓に向う。
昨年春に亡くなった「善子ちゃん」のお墓に、どうしても手を合わせたかった。
涙で目頭がかすんだ。お互い身体の弱さには、人知れず悩んだ人生だった。
この様に車を自由気ままに「止まれ、進め!右へ行ってッ」と、お願い出来るのも兄だからである。
さあ、これで満足!。
姉の待つ湯の口の墓地へ進める。
「昔、この先で右へ行ったよなー。ちょっと回ってみよう」
兄が言って本当に懐かしい道を、そして思い出の多い場所を尋ねた。
この川の岩から飛び込んで、善子ちゃんと泳いだ。中学生の夏の思い出。婚約をして、あの木陰で風に吹かれて過ごしたわずかな時間。
今、立つ場所に祖父母の店があり、そこが何よりも姉と私の人生にまつわる物語が生まれた。
その鉄筋の建物だけが時代の波に押し流されて壊され、川原の「榎木」が何度もの水害に立ち向かい残っているのも皮肉なものだ。
「あの、榎木の所に水が来ると、そろそろと思って店の物を上に運びあげ始めたのだよ!」
水害から守る為、雨が降る度に商品の荷揚げ…。姉の声が聞こえてきそうな感じがする。一番環境の変化を受けた小川口の祖父母の店跡に立って、姉を偲び亡き夫の姿を思い浮かべた。
湯の口の墓地に着くと、木の葉がお墓の周りを埋め尽くしていた。
綺麗に掃き清めながら、最後になるかも知れないが気持ちよくお掃除が出来る事を感謝した。どれ程、生前大浜の夫の墓掃除をして貰った事か…。
お返しできる環境にいま出会い、有難さで一杯だった。
「ねーさん、来たよ!これが最後になるかね…」
落ち葉を除くと新しい石碑が光っていた。返す返すも淋しくて残念な姉との会話である。
思う存分お墓で時間を過ごし、次の行動へと進むことになる。
昼食は瀞流荘で、お刺身定食を食べる。大きい切り身のお刺身とヒジキの煮物。
「ひじきの煮物を食べるの久しぶりだなー。美味しいね」
思わず口に出た兄貴の言葉を聞き、日頃の生活を垣間見た感じがした。
何も作ってやれない自分を恥じた。申し訳ないと思った。そして可哀想に思えた。
「志古のドライブインで、買い物がしたい!」
昼食を済ませ、三重県側から「葛橋」を渡り和歌山県側に移る。
対岸の湯の口を見ながら川下に進み、宮井大橋を渡り国道168号に出る。
大体このコースは何時もの通り、しかし今日はその先で違った。
娘が今年手がけた仕事に「新宮市小口」のイルミネーションの紹介の事が話題になった。
「少し遠いけれど、そこに行って見るか!」
とにかく何でも知っている兄貴に驚かされた。
「お母さん、おじさんに教えて上げてよ。小口でイルミネーションの飾りが見えるって…」
娘がその仕事を手がけ、新宮市の観光課の人と会話をしたらしくそう言っていたが…。
国道168号線のさつき温泉バス停近くから進む事8キロ。
新宮市”小口自然の家”があり、大きなもみの木が立っていた。この建物は廃校を利用した宿泊施設で、側には広いキヤンプ場がありその為の設備も整っている感じである。
きっと夏には涼を求めて、多くの家族連れが訪れているのでしょう。
東京から来たという若い娘さんが、近くのお寺に宿泊して近辺を散策しているのに出会った。良くぞ、知っているという感じである。
永年過ごした新宮市の町の事も知らないで観光案内に従事した自分をちょっぴり恥じた。
娘に良いお土産話が出来ると思うと、この地を訪ねた事は大変良かった。
彼方此方とドライブして、再び168号線に出て新宮へ帰った。
紀州みかんの配送を頼み、ジャスコで兄へのお礼を買って家に着いたら4時だった。
それから又友達が待ってくれている本宮へ、今来た168号線を戻るのである。
対岸に”撞木山”と呼ばれる岩肌を眺めて少し進むと新しい長いトンネルが出来ていた。
この撞木山とは「鐘が鳴るか撞木が鳴るか、鐘と撞木のあいがなる」という、バスガイド時代の案内文の一節である。
お寺の鐘を突くと鐘から音が出るのか、それとも撞木が音を出すのかどちらかと考えると、どちらでもなく、釣鐘と撞木の間から音というのが生まれてくるのですよ!と言った説明だったと思う。
一昔も二昔も、それよりもっと前の案内を思い出しながら懐かしんでいると、トンネルの切れ目が友達の待つ自宅近くだった。和歌山県田辺市本宮町請川。
思ったよりもズーとトンネルのお陰で近かった。でも、丸一日ハンドルを握ってくれた兄にしたら大変なことである。「本当に、ありがとう!ご苦労様」
「あんた、犬大丈夫?嫌い?」
「犬好きだよ、だけど人にも犬にも愛想は振れないの!」
「犬には愛想はいらないよ。犬は何でも良く知っているから」
一本やられました。
苦笑しながら彼女の後について行くと、少し離れた所から犬が尻尾を振って歓迎してくれていた。
「見てッ、いつにない喜びようで尻尾を振っている」
犬も受け入れてくれたのだろう。
友達の新築の家を拝見するよりも先に、川湯温泉へ急いだ。
私の到着を待ち構えてくれていたのであろう。
辺りはすっかり、夜のとばりがおりていた。
”紀の松島めぐり”を遊覧船で約一時間楽しんだ。
過去にも何回か、この観光は経験している。
11時前に皆と桟橋で別れ、私は約束の場所バス・ターミナルへ急いだ。
急に雨がぽろついて来た。
甥っ子のお嫁さんのカナちゃんと、その娘りなちゃんが車で来てくれた。
これから忙しいスケジュールが始まる。
まずは新宮へ急ぎ、ジャスコでお線香と御花と供え物のお菓子を買った。
これから主人の待つ、大浜へお墓参りに行くのである(もしかしたら、別に待っていないかも知れないが…)。
「叔母さん、雨がさっきより強く降ってきて止まないね!」
「かなちゃん、これはきっと叔父さん(亡夫)がお前のやりたい事を先にしてから大浜へ来い!という事よ」
「何をするの?」
「買い物と昼食。お腹が空いて来たでしょ!それを先に済ませよという事よ。そしたら天気になるからさ」
「……?」
「最初は家具屋さんのSへ連れて行って!買いたい物があるの」
「思うものが買えたから、次はお昼にしましょ!何処かに連れて行って頂戴」
「回転すしとうどんが食べられる処で良いですか?」
「美味しいね!美味しいね!」
三歳前のりなちゃんがうどんばかりを食べながらそう言っていた。可愛くて可笑しくてただ笑ってばかりの私。
関西味の肉うどんに舌鼓を打ちながら、回転すしも食べられるし最高の喜びで、私もりなちゃんに同感である。
お腹一杯に膨らんで外に出たら、雨が上がり太陽が出て水溜りが光っていた。
「さあ、大浜へお参りに行くよ!」
「叔母さん、何で解るの?天気になる事が…」
「さっき言った事ね。出任せで言ったのや!そうなるといいなーと思ってさ」
「不思議な事や!さっぱり解らん」
今回急に、見慣れた墓石が何故か小さく、まるで人間が歳を取って縮んだのと同じ様に感じた。
{あんたも歳を取ったね!}心で話しかけた。
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10月の最終日曜日、和歌山県那智勝浦町”ホテル・中の島”で「同窓会」が行われた。
三重県南郡(旧・入鹿村)石原産業紀州鉱業所が最高に繁栄していた頃、その炭鉱の町で私達は小学校、中学校に通っていた。当時の友達が集うのである。
勝浦温泉のホテル・中の島と墓参りが出来るという条件が揃ったので参加する事にした。
前日は台風で彼方此方が荒れ模様だったが、当日の28日は秋晴れの最高の日になった。品川8時過ぎの新幹線に乗る。
気がつくと早くも富士山が山頂に雪を頂いてくっきりと顔を出していた。
私が出かける時は、何時も晴れ。午前中大雨が降っていても、東急セミナーへ午後出かける頃は晴れているという感じで。
何も自慢する事は無いけれど、秘かに天候だけには自信がある。
名古屋から紀勢本線・南紀3号に乗り換える。
1号車1番A席の希望指定席である。これは、永年郷里へ帰るうちに身につけた知恵。要するに先頭車両で運転席の直ぐ後ろになる。人の行き来が無いから、人に出会わないので気が楽という事から、指定席を取る時に希望を出す。
今回乗り合わせた千葉と三島の観光客は「何処まで行っても単線だね…」と感心しているのをよそ事の様に聞きながら、松阪牛のお弁当を注文し、週刊誌を読み、お昼寝をする。
自由時間を少し持て余す頃になると、長いトンネルから抜け出し遠方に熊野灘が目に入ってくる。
そうすると「やっと来た!」懐かしい気持ちになる。
電車の窓がパノラマに変わり、見慣れた七里御浜の海岸線が昔の事を思い起こさせる。
暫らく、勢いよく浜に打ち上げる波を見ながら、望郷の思いを楽しむ…。
電車は進み、新宮市・御手洗の浜を過ぎると、 リアス式海岸の白波が立つ美しい風景と、青い海と空を満喫する事になる。
迎えの友人がいるはずなのに、駅には姿が見えない。
「ナイスッ!」と思って、そのまま友達のみやげ物店へ直行。
話に盛り上がっている時、バックの中で携帯が鳴る音に気がつく。
「何処でいるんだよ!」
「みやげ物店で遊んでいるから、時間になったらホテルへ行きます」
ワイワイ、ガヤガヤ何事かと思ったら、懐かしい男、女友達の顔が目に入る。
同じ電車に名古屋から4、5人乗って来たらしいが、私の姿が見えなかったという話。心配してくれていた様子で、駅近辺のみやげ物店を探してくれていたそうだ。
高校時代の友達、温ちゃんとの話も途中で炭鉱の子達と桟橋へ向う。
「良く、来たなー。遠いところから…」
口下手の男達が最高の賛辞を言って迎えてくれる。
「ちょっとも変わってないね。昔のままのHちゃんや!」
遠慮のない女どもが顔を合わせる。
気兼ねのない印象を、そのまま口にする最初の挨拶である。
こうして”炭鉱の町”で育った私達の同窓会が賑やかに幕を開き、賑やかなまま「再会」を約束して幕を下ろすはずであった。
しかし、それは数時間後に
「出て行けッ、直ぐに出て行って!」と、大声で叫ぶ事態が起こる事は予想もしなかった。
人生でこんなに大きな声を張り上げ、怒声を叫んだのは始めての終わりであろう。
心無い男の色に狂った仕業の為に、叫び過ぎて心臓が止まるかと恐怖に駆られた。
戯れに本命でないと言いつつ他の女性の布団に入り、騒ぐのを側で無視する私の導火線に言葉で二度触れて来た。
無視とは許している行為でなく、我慢してやっているだけの事。
それを間違えて、おごりで私の興味をもそそるつもりが地雷を踏んだのだ。
医療関係に従事する「先生」と呼ばれる男の、人を舐めた行為が度を越したのである。
「子供の頃から、あんただけは大嫌いだった!」
腹たち紛れに、ついでに本心をぶちまけた。
「やっぱりそうか、そうだったんだ!」
あんなに戯れて騒いでいた男が手を止めて、女の布団の中からそう言った。
「出て行け、出て行ってくれ!ここはあんたに関係ない部屋だ」
私は叫んで放り出そうと試みた。
もう一人、同室で布団に入っていた友達は飛び起きて、男と女が騒ぐのを布団の上に座ってボーッと呆れ顔でただ眺めていた。
その様子が私には可笑しくて、たまらなかった。
金縛りにあった感じで男は布団から出るに出られず、帰るに帰れなくなっている時、本命の女性が部屋に戻った。そこで異様な何かを察知したのであろう、男を誘って出て行った。わずかの時間とは思うけれど、実に長い感じがした。
その夜は怒りに興奮して、眠れなかった。
「今は楽しい、しかし明日はもっと大切である」という事で、身体の弱い私は宴会の後はカラオケにも雑談にも加わらず、温泉に入って早くから床に着いて身体を労わっていたのに…。
男は、朝食には姿を見せず「仕事がある」と言って早朝帰ったようだ!
常識を弁えない最低男の顔は、思い出す度に身震いがする。
炭鉱の町で育った遠慮の無い者同士の集まりであっても、許せる事と、してはいけない事、言ってはいけない事のけじめがあるはず。
「おい、お前!」「○○子ッ」まるで自分の妻を呼ぶような言葉を使っても、そこは幼馴染のよしみである。
この話を他の部屋の人が聞いたら「やっぱり、あの人は強いね!」そう思うだろう。
とんだ昔を出してしまう羽目になってしまった。
「地位?を鼻にかける人間は、己の態度も改めよ!」
そこが許せないのである。
大虎を退治した気持ちになって、何処かすっきりした。
感情をストレートに出す人のすっきりする気持ちが、やっと理解できた。
郷里へ帰る日が近づいて来たが、どうも荷物が纏まらないし気持ちも今一…。
しかし、自分なりのスケジュールは出来ていた。
夫の墓参り、翌日は姉の墓参り、時間があれば那智の妙法山の阿弥陀寺へ連れて行って貰おう…と。
夢を見た。
身体の調子が悪くて私は横になり、側で姉がいて二人で雑談していた。
そこへ父と母の姿が窓越しに見えた。
「さあ、行こう!那智山へお参りに」
母が大きな声でそう姉を誘った。
「私も連れてって!連れてくれなきゃ自殺するッ」
大きな声で叫んだ。
父と母が頭をつき合わせてコソコソと話をしていた。
「まだ、お前は来るなよ!」
父は私に向って一言そういったかと思うと、先頭に立ち、母、姉を引き連れて暗闇に消えた。その歩き方は、三人とも同じでリズムに乗ったものだった。
「エッさ、エッさ」と言う感じで、身体をゆすりあの世の人?が見せる特有の歩き方だった。
何とも言えない気分で目を覚ますと、頭はガンガンしていた。
今見た夢を辿り、父と母について同じリズムで歩く姉の姿を思い出しながら、すっかりあの世に馴染んだ姉を見たような気がした。
きっと成仏して「私の事は、もう悲しまないで頂戴」と言ってる様に思った。
父が亡くなって3年余り、はっきり夢に出て声まで聞いた。
幼い時から父の一言が思慮深さをもって私を導き、成長させた。今回もきっと何かを教えたのだろう…。
懐かしさと羨ましさが混じった夢だった。
私も、これが最後のお墓参りになるかも知れない様な気がする。
お昼過ぎ友達の電話で目が覚めた。
「帰って来るんだって、スケジュールは?」
「それなりに決まっているの。会いたいけれど時間が上手く取れなくて、ごめんね!」
「本宮へおいで、送り迎えするから…。お姉さんがいる時だったら悪いから遠慮したけれど、今は遠慮なく誘うわ」
しかし、兄貴に義理もある。
どうしたものかと考えている時に、今朝見た夢を思い出した。
父の言いたかった事が、直感した。
「解った、お言葉に甘えて貴女に従うから、宜しく!」
その言葉を伝え、那智の妙法山へお参りするのを辞めた。
昔、父が悩む私に言った。
「先祖は生きている者を苛めたりはしない。だから、お前は何も気にするな!」
私が夫を亡くして間もなく、ある霊能者の処に行って聞かされた事を伝えた。
「お父ちゃん、私の右肩に父方の祖母がついていて、左の方には母方の祖母がいて両方とも悲しんでいるんだって。それは貴女が可哀想なのでなく、貴女の嘆く姿を見ている我が息子と、娘の苦しみが可哀想に思って私に縋っているんだって…。それ、本当?お父ちゃん私の事で悲しんでいるの?」
「先祖は、生きている者を苛めたりはしない!」
それっきり、私は夫の幻を追っかけて、霊能者に会う事を辞めた。
霊能者の一言も一理あると思う。
しかし、何時までもそう言う事にばかり振り回されていては前が見えなくなる。
父の一言には、もっと大きな意味がある。
今回の夢の言葉で、私は吹っ切れたことがある。
気分爽快になって出かけ、故郷で幼な友達とひと時を過ごそう!
早くも宅急便は東京を離れ”ふるさと”に向かっている。
パパのライブと、祖父のお見舞いを無事に済ませた孫達が戻ってきた。
彼方此方で歓迎を受けたらしく、沢山のお土産を下げて来た。
風月銘菓
{博多の銘菓「雪うさぎ」。純白で可愛い「雪うさぎ」は、お子様の人気者。 博多に伝わる「うさぎ」の民話をもとに創られた。ふわふわのマシュマロの中は、美味しい黄味あんがたっぷりです。ホワイトうさぎとピンクうさぎは、いつも仲良しです。}
”博多通りもん”
博多西洋和菓子、世界お菓子コンテスト受賞のもの。
「モンドセレクション」金賞受賞で、博多に伝わる和菓子の伝統に、バターを初めとして西洋和菓子の素材を取り入れて製造しているのだそうだ!
「通りもん」の由来は、
オランダ語の休日「ゾンターク」がなまって「どんたく」という博多弁になり、
「西洋休日」という意味で、この日ばかりは、博多の街は大賑わい。
飾りをつけた台を引き、着飾ったり、三味線を弾き笛、太鼓を鳴らして街を練り歩く、
この行列を「通りもん」という。昔の博多のほのぼのとした、そして懐かしい心に残る祭りとして現在に受け継がれている。そういうところから、このお菓子の名前がつけられた。
”にわか煎餅”
ちなみにこれは、娘が買ってきたものです。
東雲堂
{二○加煎餅本店は明治39年に創業。
以来郷土博多を代表する菓子の一つとしてお茶の間を賑わし、全国津々浦々博多二○加のお面で親しまれております。里帰りのお土産に家族団欒の憩いの時に二○加煎餅を御賞味下さい。}
”秋の山”
かごの底に、金平糖が入っています。
可愛いので、暫らく観賞用に仏壇に供えています。
”肥後 花あそび”
材料を厳選し、小豆本来の味を余すところ無く引き出し、余分なものは一切加えないと言う菓子職人「立山 学」氏、一生一品の作。
これは、珍しいもので美味しかったですね!
”繊月”
”肥後の切れ味”
熊本の和菓子
”ところ変われば、品変わる”といいますが、各地の銘菓の豊富さに驚きます。
食欲の秋深まり、益々体型が変化するのを悔やむばかりです。
無理ないですよね!この和菓子の一覧をごらん頂いて…。
来週の”同窓会”が、ただ、ただ案じられます。
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のんびりしていたら
「お母さん、お母さん、お昼食べさせて!」
息子が飛び込んできた。
「何、下げているの?」
「今日は命日だね」
「誰の?…。お父さんとお祖母ちゃんの日命日だけど…」
「忘れたの?お父さんのだよ!」
「えーっ、忘れてた。日命日だと今朝、思いながらお線香上げたけれど」
「本当に忘れていたんだ!」
「そう、33回忌した時、もう忘れようと決めたの。そしたら気が楽になって、本当に忘れていた」
「もういいよ、これからは俺達がやるから、忘れな!」
「ありがとう。お願いするわ」
「夕飯は来ないからね、F1グループの集まりがあるから」
仏壇に可愛いお饅頭を供えて、がさがさと部屋中を騒がせて出て行った。
静かになった部屋を見回しながら、短い時間であったが息子の慌しさに私は疲れた。
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