“教えて貰う”と言う事と“教える事”と。

作日から、教材作りに精を出していた。

それというのも、この頃の生徒は勉強をした後、パソコン入力して整理する関係上、私の様に古いノートを出して教えるのが恥ずかしく感じる時がある。

だから、勉強の高度な部分をパソコン入力して、綺麗に図面を入れようとしたのである。

前日、私のパソコンの教師である娘に頼んだ。

「二回目だけれど、この部分をもう一度教えてくれない?」

パソコンの前に座って器用に動かすと、綺麗に図面がワードに入る。

横でメモを取りながら見ている私に

「マミー、メモを取る時はノートを決めて其処に書かないと駄目だよ!その辺の紙にメモっただけでは!」

横から、孫が生意気な事を言う。

メモ帳に書き込むのは、整理してからでないと無茶苦茶になるから、その辺の紙切れを拾って書いていた。

「もう一度、其処を教えて!」

「これ、この間教えたよね」

自分でやってみようとしたが上手く行かないから、二回目聞いたのだ。

だから、どこを理解していないか自分には把握できている。

先日のメモと今回のメモを合わせれば良くわかるつもりの私である。

ワードで作った文章の間に、図面を入れるのであるが、イラストレーターの方で図面を作成して移動させて文章が完成する。

イラストレーターだけで仕上げると一枚毎に切られるので、やはり文章はワード作りがよいとなった。

その日は、そのまま休んだ。

目が覚めたのは、午前2時前

「丑三つ時か!よし起きて夕べの図面作りを復習するぞ!」

朝刊が配達され太陽が昇る頃には、充分の図面作りと移動作業をマスターしていた。

再び床に着く。

{私は、子供の頃からそうであった。 人との勝ち負けは対象にしないが、自分の不完全燃焼が許せないので勉強をして来た。

人生もそうである。自分の気持がきちんと地に着ける状態でないと、右往左往するだろうし、その様な生活だったらもうこの世に居ないだろうと思う。

だから、一つの事にかけて人生を過ごせた事は幸せな事だ。

その前に自分にあった勉強を見つけられたのが、最高の喜びである。

そこから私の第二の人生が蘇えった。}

再び起き出して、本格的に教材作りに入る。

世の中から遮断して、埋没する一日となる。

教えて貰った人への感謝の気持ちと、世の中でこんなに楽しい玩具がある!そのスリルに良い痺れて一日を過ごす。

「長生きは、するものだなー」

宿命百占学」 「心のかけ込み寺

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